待ち望まれし者
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待ち望まれし者の総合評価:
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「上」に引きつづき読み進めました。こちらの方が、現代のモリーンたちの話よりも、2000年前のキリストたちの時代の話が多く出てきます。ちょっと途中スピードが落ちましたが、どのようにしてキリストが磔刑までに至ったのかのあたりには引き込まれてしまい、夢中で読んでしまいました。キリストのことはとても気になっているのですが、キリスト教に入ってしまう気にはなれないので、断片的にしか知らないのがこのフィクション+ノンフィクション小説を読むのにちょうどよかったように思います。現行のキリスト教にがっつりではないことで柔軟に物語を感じられたのだと思います。ユダの運命が非常に可哀そうすぎる。キリストもまさか予想外の展開だったのだと思います。マグダラのマリアのことが知りたかったので、いろんな謎がわたしにはしっくりすることが多かった。ヨハネがかなりの堅物で、暴力夫で驚きました。2000年前の女性差別は相当すさまじいかった。磔刑は窒息死で亡くなることも知っていたし、呼吸のために腕の力で上半身、体重支えるためには、手のひらに釘を打つのでは支えられないので当然に無理でだから手首になる。これは本当。ムチも肉が裂けます。キリストは酷い亡くなり方をさせている。なに悪いことしたわけでもないのに、権力者の権威を脅かすというだけで、ほんとに酷いことです。次作の「詩聖の王子」を先ほど購入したので続けて読みます。 | ||||
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マグダラのマリアの福音書が存在しているのは事実です。完全体でなく、破り取られている部分があります。その頁は発見されていない。現行のキリスト教と本来のキリスト本人の教えにいろいろと違うことがあるのは以前から当然に気になっていたところで、マグダラのマリアが娼婦という事実はどこにもないのも知っていて、男性中心の社会が女性を貶める際に、娼婦と呼ぶのはいつの時代にも変わらない常套手段です。母親のマリアはキリスト教でも表に出てきてますが、復活の際にキリストが一番初めに訪れたマグダラのマリアがその後どうなったのか、キリスト教では出てこないので、どうなったんだろうとずっと思っていました。 現行のキリスト教は長いことキリストの教えを断片的には伝えてくれているのでそのことは評価できると思います。しかし、キリストが女性差別、性差別をするとか、十字軍遠征で自分の教えを大量殺りくの戦争してまで押し付けて人を支配しようとするなど到底考えられません。キリスト教でない人を拷問したり、魔女は水に沈めても死なないから、死んだ場合は人間と判断するとか。収穫前の畑を焼き払って餓死させようとしたり。天才と言われた女性をカキの殻で切り刻んで惨殺したり。女性が男に学問を教えたのが罪だと。そんなことキリスト本人がやるように言うわけがない。 異端とされたキリスト教のグノーシス(性差別しない)は知ってましたが、この話の重要となるフランスのカタリ派というキリスト教は知りませんでした。現行のキリスト教徒たちが、このカタリ派のひと達をジェノサイト惨殺したことや、マグダラのマリアのさまざまなことなど史実だと思いますが記載されていて、その秘密が巨匠のいくつもの絵の中に記されているというのもとても興味深いです。キリストを羊飼いといい、マグダラのマリアを女羊飼いと呼んでいますが、ふと、サタンの姿を一般に山羊(ヤギ)で表しますよね。羊とヤギは似ていますが、この関係を調べたところ、羊の群れをコントロールするのに、数頭ヤギを混ぜて、そのヤギを人間がコントロールする羊の群れの管理の仕方があるのが分かりました。ヤギは羊をコントロールする。つまりヤギは羊飼いの隠語にもなるなと思いました。だから、悪魔はヤギの姿をしていて、魔女(女たち:性差別)を手下にしているという風に現行のキリスト教は言ってるのかなと。現行のキリスト教が隠してきた歴史的な史実が学べるフィクションとノンフィクションが混ざった小説だと思います。面白くて、時間を見つけてはちょこちょこ読み進めています。上巻を読み終えました。下巻も読み始めています。この著者のキャスリン・マゴ―ワンさんですが、影響力があまり強いと命狙われるとか、危ないのではないかと思ってしまいました。 | ||||
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まあ、不思議な本ですね。もともとは自費出版の「ノンフィクション」だったのが、大手出版社からメジャー・デビューするに当たって、小説としての出版になったのだとか。 最初、トンデモ本の印象が強かったのは勿論のことなのでしょうか。でも、インターネットで検索すると対応する事実がしっかり出てきたりするんですね。 ミステリーを期待する人は手を出さない方がいいと思います。 それなりに結構面白いのも事実でした。 ただ、私の趣味の問題なのかも知れませんが、著者の「高貴」な「血筋」への(全然屈折のない)傾倒には辟易しましたね。これがシリーズ通して一貫するようなので……? | ||||
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ミステリー仕立てが、とってつけたものであるのはあまりにも明らか、というところでしょうか。 この本の面白さは「それにも関わらず」なのでしょうね。キリスト教に関心があるかないかで決まると思います。 キリスト教人口は、日本では突出して少なくて日本人全体の1%いるかどうからしいので、『ダヴィンチ・コード』のようなベストセラーにはなりようがないのでしょう。 マグダラのマリアが、イエスの奥さんだったかも知れないとは以前から聞いてましたけど、それにとどまらない、さらなる新説が提示されます。 如何にもトンデモ本のようでいて、もしかしたら……と思わされてしまう話が(マグダラのマリアの結婚生活以外にも)どっさり出てきて、まあ、面白いというか疲れるというか。 ダヴィンチの『最後の晩餐』でイエスの右隣りにいる人、思いこみなしで見れば女性に決まっているのですが(配偶者であり、一番弟子であった方のマリアさんでしょう)「定説」ではヨハネだということになってるそうです。マリアさんにしちゃうと、弟子の数が足りなくなっちゃうからでしょうか。でも、手だけ登場している人がもう一人いて、この手がペトロの手であるのは不可能なので、めでたく12使徒+マリアさんとして勘定が合います。 他の宗教でもよくあることながら、キリスト教関連の「定説」というのは、ごく普通に考えられることを無理やり押えつけて成り立っている場合がしょっちゅうですね。 『待ち望まれし者』は、そういう硬直性に対する頭の柔軟体操として、一読の価値があるかも知れません。 | ||||
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一連の「ダ・ヴィンチ・コード」ものと言えば、そうなんだけど、キリスト教の「教義」の新しい解釈論ともとれるフィクションです。 ただ、この小説は「ダ・ヴィンチ・コード」や「テンプル騎士団の遺産」程のサスペンス的要素はなく、「マグダラのマリアの福音書」(←フィクションです)を書く為に、“付け加え”的にドラマ部分を書いた・・・という感じです。 著者のキャスリーン・マゴーワンは、自分がマグダラのマリアの子孫のひとりであると公言しているそうで、この小説の主人公であるモリーンはまさにキャスリーンの分身として描いています。キャスリーンは、小説のモリーンと同じく「幻視」も体験しているそうです。 従って、この小説は「ダ・ヴィンチ・コード」もののひとつとして読むよりかは、マグダラのマリアが主役で、もし彼女が福音書を書いていたらとしたら・・・という観点で読むといいと思います。 この作品は3部作のうちの1作目だそうで、きっと2作目、3作目も読んでしまうんだろうなぁ〜(^^; | ||||
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