国境の南、太陽の西

【この小説が収録されている参考書籍】

【この小説が載っている参考書籍】

評判

国境の南、太陽の西の評価:

4.22/5点 レビュー 233件。 B ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.22pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全375件 121〜140 7/19ページ
No.255
(4pt)

嫌悪感無く、好きです。

所詮不倫だと切り捨てる論評もありますが、そこはあまり気になりませんでした。私が男だからでしょうか(笑)
まぁ、それは置いておいて…、世界観が好きな作品です。これは、ノルウェーの森と並びリアリズムを描いた作品にはならないのでしょうか。
国境の南、太陽の西 Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西より
4062060817
No.254
(4pt)

著者の死生観は好きだ

主人公は妻以外の2人の女性と深く関わるのだが無意識のうちに2人を傷付けてしまう。そのことで自分も傷付いてしまう。主人公は現実と非現実の境界に生きており、非常に危うい。著者の性描写はあまり好きではない。またその事に文学性は感じられない。でも著者の死生観は好きだ。「人は皆死んでゆくし、いろんな死に方、いろんな生き方がある」とか「腐敗と崩壊の影」「壁に焼き付けられた影のように」とか。いずれにしろ、男女の若い時期の純粋さ、危うさ、潔癖さがよく表現されている。
国境の南、太陽の西 Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西より
4062060817
No.253
(5pt)

不思議な1冊

初版が出た1995年、自分はまだ若かった。一読して、特に何かを感じたという印象はない。せいぜい、名前を持つ登場人物たちに違和感を覚えたくらいだろうか。それからさまざまな経験をし、主人公と同じくらいの年齢になったとき、書棚で埃をかぶったこの本が目に留まった。改めて手に取ってページをめくると、小説の世界に引き込まれるような感覚に襲われた。食事も忘れて一気に読み終え、本を閉じて嗚咽した。不安も恐れも知らなかった頃、まったく気付かなかった主人公の"喪失感"が、痛いほど伝わってきたのだ。今も、表紙を見ると当時の自分の状況を思い出し、心がざわつく。多くの方が指摘されているように、しばらく時間をおいて読み直すと印象が大きく変わる不思議な1冊だと思う。
国境の南、太陽の西 Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西より
4062060817
No.252
(5pt)

適度に面白い本。

あまり短編集を出しているとノーベル賞委員会からラノベ作家と勘違いされませんかね。
国境の南、太陽の西 Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西より
4062060817
No.251
(4pt)

星の数に迷った。

この本は確かハードカバーで購入して読んだと記憶しています。それぐらい期待して読みました。私から見たら、文章は読みやすいと思いました。すらすら読みました。が、最後にがっかりでした。謎は謎のまま終わるのです。それまで私は「ノルウェイの森」を読んで感動し、羊、ハードボイルド、ダンス、・・・と次々に読んでいったのです。が、この作品を読んだ後、春樹さんの本から離れてしまいました。それから何年もたって、1Q84の1と2(3は途中で挫折)、アフターダークなどを読み、再度、この本と向き合ってみようと思いました。当然、私も年取っています。読み終わって思ったことは、最初に読んだ時は謎だったことも、多少推測できるなあ・・・ということ。(ネタバレ注意)。彼女の子供は謎だけど、普通に結婚して産んだ子じゃないかもしれない。普通、お葬式をするか、おうちのお墓に納骨するんじゃないかと思います。文章は、改行が比較的少ないので、スピード感があると思います。イズミさんのことも不思議です。そんな過去のことをいつまでも根に持つかなあ? ちなみにこの小説は佐々敦行さん(?)だったと思いますが「ハーレクイン・ロマンスだ」と酷評していますが、でも、その人、ハーレクイン・ロマンスを読んだことはあるのかなあ?と思いました。私はハーレクイン・ロマンスではないと思いましたが。
国境の南、太陽の西 Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西より
4062060817
No.250
(5pt)

不思議な1冊

初版が出た1995年、自分はまだ若かった。一読して、特に何かを感じたという印象はない。せいぜい、名前を持つ登場人物たちに違和感を覚えたくらいだろうか。それからさまざまな経験をし、主人公と同じくらいの年齢になったとき、書棚で埃をかぶったこの本が目に留まった。改めて手に取ってページをめくると、小説の世界に引き込まれるような感覚に襲われた。食事も忘れて一気に読み終え、本を閉じて嗚咽した。不安も恐れも知らなかった頃、まったく気付かなかった主人公の"喪失感"が、痛いほど伝わってきたのだ。今も、表紙を見ると当時の自分の状況を思い出し、心がざわつく。多くの方が指摘されているように、しばらく時間をおいて読み直すと印象が大きく変わる不思議な1冊だと思う。
国境の南、太陽の西 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西 (講談社文庫)より
4062630869
No.249
(5pt)

適度に面白い本。

あまり短編集を出しているとノーベル賞委員会からラノベ作家と勘違いされませんかね。
国境の南、太陽の西 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西 (講談社文庫)より
4062630869
No.248
(4pt)

星の数に迷った。

この本は確かハードカバーで購入して読んだと記憶しています。それぐらい期待して読みました。私から見たら、文章は読みやすいと思いました。すらすら読みました。が、最後にがっかりでした。謎は謎のまま終わるのです。それまで私は「ノルウェイの森」を読んで感動し、羊、ハードボイルド、ダンス、・・・と次々に読んでいったのです。が、この作品を読んだ後、春樹さんの本から離れてしまいました。それから何年もたって、1Q84の1と2(3は途中で挫折)、アフターダークなどを読み、再度、この本と向き合ってみようと思いました。当然、私も年取っています。読み終わって思ったことは、最初に読んだ時は謎だったことも、多少推測できるなあ・・・ということ。(ネタバレ注意)。彼女の子供は謎だけど、普通に結婚して産んだ子じゃないかもしれない。普通、お葬式をするか、おうちのお墓に納骨するんじゃないかと思います。文章は、改行が比較的少ないので、スピード感があると思います。イズミさんのことも不思議です。そんな過去のことをいつまでも根に持つかなあ? ちなみにこの小説は佐々敦行さん(?)だったと思いますが「ハーレクイン・ロマンスだ」と酷評していますが、でも、その人、ハーレクイン・ロマンスを読んだことはあるのかなあ?と思いました。私はハーレクイン・ロマンスではないと思いましたが。
国境の南、太陽の西 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西 (講談社文庫)より
4062630869
No.247
(5pt)

中年の危機

C・Gユングや河合隼雄(先生)が言っている、所謂「中年の危機」を描いた小説だと感じます。
「国境の南、太陽の西」がアニマ像の投影の失敗を描いたものならば、「ねじまき鳥クロニクル」の方はアニマ・影などの無意識との対決を制し、統合(個性化の過程)を描いた物語(そして神話)だと自分は理解しました。

いずれも大変面白く読み通せました。
国境の南、太陽の西 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西 (講談社文庫)より
4062630869
No.246
(5pt)

島本さんは実在するのか?

ネタバレあり

最初に読んだときは、中年男性の慰め小説か、と思ったが、再読してふと、全く違う読み方ができるのとに気がついた。

再開した島本さんは、全て主人公の幻想だったのではないか?
というのも、ざっと読むとただの中年男性の昔を懐かしむセンチメンタル小説なのだが、なぜわざわざそんなものを書いたのだろう、と疑問に思いながら読んでいくと、急に再開した島本さんが実在の人物ではなく、主人公にしか見えない幻想なのではないか、と気づいたのだ。
そう思って読み返すと、島本さんが実在したという証拠(第3者が島本さんに関わるなどの描写)がないこと、どんな生活をしているのか詳細が不明であること、薬の袋に何も書かれていないこと、いつもなぜか雨の日にやってくること、などなど、再開後の島本さんが主人公の妄想の産物だと示す伏線に見えるものがたくさんありました。恐らく最後のイズミを見かけたのも幻想だと考えると、この物語は中年の不倫小説なんかではなく、かなり根の深い病の物語なのではないか、と思えてきます。
国境の南、太陽の西 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西 (講談社文庫)より
4062630869
No.245
(5pt)

とても気に入りました。

近くにこの小説を売っている店がなかったので、ここで買えて満足しています。村上春樹の長編小説の中では短く読みやすいと思います。
国境の南、太陽の西 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西 (講談社文庫)より
4062630869
No.244
(5pt)

巡る

数ある村上春樹の作品に対して、または村上春樹という作家に対して、様々な感想や評価がある。近年ではその中の少なくない割合の物が批判的なものであるようにも感じる。巨人的な作家になった今、彼の読者が増えたということもあるのだろう。しかしそれは一つの潮流として、社会的な世相の反映なのか、そういう傾向があるのは間違いないことのように思う。それは私自身についても同様で、近年の著作に対しては大した感興も覚えなかった。そんな現在においても、この作品に限っては、私にとっては何度も読み返したくなる作品だ。この作品を初めて読んだ当時のまだ若く強い感性とそれが生じさせた感情の強さが、そう思わせるのかもしれない。或いはそうではなく、かつては自分にはあったはずの強い感性への喪失感が、追憶を求めることにつながっているのかもしれない。そう、この作品は、ここまで書いてきたことがそのまま含まれている、そんな作品なのではないか。私にとってはちょっとしたバイブルのようなものだ。
国境の南、太陽の西 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西 (講談社文庫)より
4062630869
No.243
(5pt)

中年の危機

C・Gユングや河合隼雄(先生)が言っている、所謂「中年の危機」を描いた小説だと感じます。
「国境の南、太陽の西」がアニマ像の投影の失敗を描いたものならば、「ねじまき鳥クロニクル」の方はアニマ・影などの無意識との対決を制し、統合(個性化の過程)を描いた物語(そして神話)だと自分は理解しました。

いずれも大変面白く読み通せました。
国境の南、太陽の西 Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西より
4062060817
No.242
(5pt)

島本さんは実在するのか?

ネタバレあり

最初に読んだときは、中年男性の慰め小説か、と思ったが、再読してふと、全く違う読み方ができるのとに気がついた。

再開した島本さんは、全て主人公の幻想だったのではないか?
というのも、ざっと読むとただの中年男性の昔を懐かしむセンチメンタル小説なのだが、なぜわざわざそんなものを書いたのだろう、と疑問に思いながら読んでいくと、急に再開した島本さんが実在の人物ではなく、主人公にしか見えない幻想なのではないか、と気づいたのだ。
そう思って読み返すと、島本さんが実在したという証拠(第3者が島本さんに関わるなどの描写)がないこと、どんな生活をしているのか詳細が不明であること、薬の袋に何も書かれていないこと、いつもなぜか雨の日にやってくること、などなど、再開後の島本さんが主人公の妄想の産物だと示す伏線に見えるものがたくさんありました。恐らく最後のイズミを見かけたのも幻想だと考えると、この物語は中年の不倫小説なんかではなく、かなり根の深い病の物語なのではないか、と思えてきます。
国境の南、太陽の西 Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西より
4062060817
No.241
(5pt)

とても気に入りました。

近くにこの小説を売っている店がなかったので、ここで買えて満足しています。村上春樹の長編小説の中では短く読みやすいと思います。
国境の南、太陽の西 Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西より
4062060817
No.240
(5pt)

巡る

数ある村上春樹の作品に対して、または村上春樹という作家に対して、様々な感想や評価がある。近年ではその中の少なくない割合の物が批判的なものであるようにも感じる。巨人的な作家になった今、彼の読者が増えたということもあるのだろう。しかしそれは一つの潮流として、社会的な世相の反映なのか、そういう傾向があるのは間違いないことのように思う。それは私自身についても同様で、近年の著作に対しては大した感興も覚えなかった。そんな現在においても、この作品に限っては、私にとっては何度も読み返したくなる作品だ。この作品を初めて読んだ当時のまだ若く強い感性とそれが生じさせた感情の強さが、そう思わせるのかもしれない。或いはそうではなく、かつては自分にはあったはずの強い感性への喪失感が、追憶を求めることにつながっているのかもしれない。そう、この作品は、ここまで書いてきたことがそのまま含まれている、そんな作品なのではないか。私にとってはちょっとしたバイブルのようなものだ。
国境の南、太陽の西 Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西より
4062060817
No.239
(5pt)

僕だったら。

たいへんおもしろかったけど、ハジメ君みたいに稼ぐことが出来ない僕が不倫などしたらあっさり妻に捨てられるだろうと僕は思った。
国境の南、太陽の西 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西 (講談社文庫)より
4062630869
No.238
(5pt)

For all we know, we may never meet again

今回数年振りにこの小説を再読し、自分が大昔に書いた文章を思い出した。いまこの小説についてレビューを書くよりも、その過去の文章をここに転載するほうが好ましいと思われるので、以下に転載する。少し長いし、未熟な文章だけれども、いま久し振りにこの自分の大昔の文章を読み直してみて、これは『国境の南、太陽の西』そのものではないか、と思ったので、転載することにした。

――――

俺はね、「そこにあったはずのもの」を見ることなしに死んでいくのが怖いんだよ。それを見たら、人生はどうなっていただろうか?それすら分からない。自分の納得行くように生きないと駄目だ。周りの言うことに流されてたら駄目だ。俺が死んでも誰も責任を取ってくれない。俺は楽しいとか楽しくないかとかにはまったく興味がない。ただ、後悔したくない。

半年振りのこの感覚、悲しさを感じられることが嬉しい。でも悲しい(笑)。悲しさ「しか」ないような気がする。言葉が出てこない。悲しい、その先が…この悲しさを見届けてやろう。なんか救いがないみたいだ。それでも嬉しいのは、人生が続いていくからだろう。この悲しさがなかった時、この痛みを感じられなかった間は、自分の人生は止まっていたし、これから先動き出すのかも分からなかった。けれど、いま再びあの痛さ、悲しさを感じて、「そうだ、俺の人生はここにあった」と思ったんです。もう放したくない。ずっとこの痛さを、悲しさを感じながら生きていたい。自分の人生はそこにしか感じられないから。自分の人生を生きたい。

それで、この悲しさというのは、おそらく「知ることが出来ないこと」が悲しいんだと思うんだよね。多分、人に関することだと思う。この人の見ているようには、俺には世界が見えていないじゃないか。俺の知らないものについて、この人は涙を流しているじゃないか。この人と同じ悲しみを悲しめないことが、悲しい。俺の悲しさじゃなくて、この人の悲しさが余りにも深い、と感じて、この人と同じように涙を流せない自分が悲しい、のかな。この人は泣いている。けれども、俺はそばで見ているだけ。それが悲しいの。抱き締めたくても抱き締められないんだよね。でもこの悲しさは何故か自分の中で熱を持っている。この悲しさを感じている間は、自分の中が温かい。それが嬉しい。

なぜ怖いのか。それは、それを知らなくても順調に生きて行けそうな気がするから。だから、それを知らないで死ぬことが怖いし、 それって悲しいよなあって。知らないで過ごすなんて、物凄く簡単なんだと思う。それを知らなくたって、これからずっとすごく楽しく幸せに生きていけるのかもしれないし。だから余計に悲しいの。本当にさあ、凄く順調に生きていけそうな気がするんだよ、それを知らなくても(笑)。それが本当に悲しい。だからこそ、俺は尚更これを手放したくない。

――――

また、この小説を読んでいて、ある一節に出会い、この小説の通奏低音は、ジャズのスタンダード曲の「フォー・オール・ウィー・ノウ」だと思った。

「もうどうせ僕はもとには戻れないよ、島本さん。それにひょっとしたら明日は来ないかもしれないんだ。そしてもし明日が来なかったら、僕は君が胸に抱えていたことを何も知らないままに終わってしまうことになる」と僕は言った。(村上春樹『国境の南、太陽の西』、講談社文庫、p260)

For all we know, we may never meet again

Tomorrow may never come, for all we know

また、上に転載したぼくの過去の若書きをいま読んでも、その当時の自分の感情に共感することはできない。もう、「そこにあったはずのもの」は生命を失い、絶たれてしまった。そうしたところも、『国境の南、太陽の西』のようだ、とぼくは思う。
国境の南、太陽の西 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西 (講談社文庫)より
4062630869
No.237
(5pt)

僕だったら。

たいへんおもしろかったけど、ハジメ君みたいに稼ぐことが出来ない僕が不倫などしたらあっさり妻に捨てられるだろうと僕は思った。
国境の南、太陽の西 Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西より
4062060817
No.236
(5pt)

For all we know, we may never meet again

今回数年振りにこの小説を再読し、自分が大昔に書いた文章を思い出した。いまこの小説についてレビューを書くよりも、その過去の文章をここに転載するほうが好ましいと思われるので、以下に転載する。少し長いし、未熟な文章だけれども、いま久し振りにこの自分の大昔の文章を読み直してみて、これは『国境の南、太陽の西』そのものではないか、と思ったので、転載することにした。

――――

俺はね、「そこにあったはずのもの」を見ることなしに死んでいくのが怖いんだよ。それを見たら、人生はどうなっていただろうか?それすら分からない。自分の納得行くように生きないと駄目だ。周りの言うことに流されてたら駄目だ。俺が死んでも誰も責任を取ってくれない。俺は楽しいとか楽しくないかとかにはまったく興味がない。ただ、後悔したくない。

半年振りのこの感覚、悲しさを感じられることが嬉しい。でも悲しい(笑)。悲しさ「しか」ないような気がする。言葉が出てこない。悲しい、その先が…この悲しさを見届けてやろう。なんか救いがないみたいだ。それでも嬉しいのは、人生が続いていくからだろう。この悲しさがなかった時、この痛みを感じられなかった間は、自分の人生は止まっていたし、これから先動き出すのかも分からなかった。けれど、いま再びあの痛さ、悲しさを感じて、「そうだ、俺の人生はここにあった」と思ったんです。もう放したくない。ずっとこの痛さを、悲しさを感じながら生きていたい。自分の人生はそこにしか感じられないから。自分の人生を生きたい。

それで、この悲しさというのは、おそらく「知ることが出来ないこと」が悲しいんだと思うんだよね。多分、人に関することだと思う。この人の見ているようには、俺には世界が見えていないじゃないか。俺の知らないものについて、この人は涙を流しているじゃないか。この人と同じ悲しみを悲しめないことが、悲しい。俺の悲しさじゃなくて、この人の悲しさが余りにも深い、と感じて、この人と同じように涙を流せない自分が悲しい、のかな。この人は泣いている。けれども、俺はそばで見ているだけ。それが悲しいの。抱き締めたくても抱き締められないんだよね。でもこの悲しさは何故か自分の中で熱を持っている。この悲しさを感じている間は、自分の中が温かい。それが嬉しい。

なぜ怖いのか。それは、それを知らなくても順調に生きて行けそうな気がするから。だから、それを知らないで死ぬことが怖いし、 それって悲しいよなあって。知らないで過ごすなんて、物凄く簡単なんだと思う。それを知らなくたって、これからずっとすごく楽しく幸せに生きていけるのかもしれないし。だから余計に悲しいの。本当にさあ、凄く順調に生きていけそうな気がするんだよ、それを知らなくても(笑)。それが本当に悲しい。だからこそ、俺は尚更これを手放したくない。

――――

また、この小説を読んでいて、ある一節に出会い、この小説の通奏低音は、ジャズのスタンダード曲の「フォー・オール・ウィー・ノウ」だと思った。

「もうどうせ僕はもとには戻れないよ、島本さん。それにひょっとしたら明日は来ないかもしれないんだ。そしてもし明日が来なかったら、僕は君が胸に抱えていたことを何も知らないままに終わってしまうことになる」と僕は言った。(村上春樹『国境の南、太陽の西』、講談社文庫、p260)

For all we know, we may never meet again

Tomorrow may never come, for all we know

また、上に転載したぼくの過去の若書きをいま読んでも、その当時の自分の感情に共感することはできない。もう、「そこにあったはずのもの」は生命を失い、絶たれてしまった。そうしたところも、『国境の南、太陽の西』のようだ、とぼくは思う。
国境の南、太陽の西 Amazon書評・レビュー: 国境の南、太陽の西より
4062060817