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更に、古くて素敵なクラシック・レコードたち
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更に、古くて素敵なクラシック・レコードたちの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.55pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全4件 1~4 1/1ページ
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更にを購入しました。 レコードコレクションについて知りたいと思います。 | ||||
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みなさまのレビューに触発されて書きますが、確かに村上春樹という人はジャズの人であり、この本は編集者か何かから、ただ求められたから書いたに過ぎないような本です。一言でいうと「ぬるい」。 悪口をいえば、印税がっぽりで生きている人が道楽で書いたような本です。 逆に賞めるとすると、何よりセンスがいい、マイナーなものにも目が行き届いている。 しかし、これもただの道楽だから、ということはできないか? | ||||
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前著「古くて素敵なクラシック・レコードたち」の好評に応えて待望の続編が登場しました。 パガニーニの「24のカプリース」から、ベートーヴェンの「ピアノソナタ11番」まで、村上選手が秘蔵する懐かしのLPが陸続と登盤。1枚毎の思い出とともにその独断と音楽愛と「普遍的偏見」にみちみちた解説と解釈を、営々と綴っていきますが、不思議なことにその内容は、おらっちのそれとそれほど食い違ってはいないのが不思議です。 昼飯を抜きながら全世界のクラシックレコード屋のバーゲン箱を漁りつつコレクトした村上選手の守備範囲は驚くほど広く、たとえばクルト・ヴァイルの「三文オペラ(組曲&オペラ版)」の7枚や、ラヴェルの無伴奏の「3つのシャンソン」をロバート・ショウ合唱団の名演で聴いた感想などは、『レコード芸術』誌のエラソーなヒョーロンカなぞ、足元にも 及ばない深みにいつのまにか到達しているのではないでしょうか。 超有名プレーヤーだからといって無暗にもち上げず、若き日の邦人や無名に近い演奏家のレア盤などにも共感と拍手を惜しまない、いい意味でのアマチュア精神が自然に発揮されているのにも好感が持てます。 50年代のモノラルレコードも多いのですが、CDよりも豊富な情報で満ち満ちているレコードの愛好者が日を追って増加しているこんにち、本書の刊行はまことに時宜を得た好個のガイドブックと申せましょう。 | ||||
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村上春樹の小説は、誰しもが知っているとおり、音楽に満ち溢れていて、ジャンルとしては、ジャズが大きな領域を占めているが、クラシック音楽との関わりも多大であって、私がそのことを特に意識したのは「海辺のカフカ」(新潮社、2002年)を読んだときであり、この物語のなかでベートーヴェンの「大公トリオ」が果たしている役割が大きくて、その影響で何枚かの大公トリオのディスクを買ってきて、熱心に聴き比べたりしたのだった。 私自身は、長年、クラシック音楽を聴いているが、それは殆どCDを通じてのものだ。父が何枚かのクラシックのレコードを持っていたが、レコードは片面20〜30分くらいしか収録できない。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」や第9番「合唱」という長い曲をレコードで聴くと、どうしても曲の途中で、レコードをひっくり返して、針を置き直さないといけなくなる。俗説では、CDを開発するとき、SONYとカラヤンが話し合って、カラヤンの指揮したベートーヴェンの第9番が一枚に入るようにしたとされるが、とにかく、長い曲を通しで聴けることが、私にとっては重要だったので、私はCDを好んだ。私はレコードの音質よりも、CDの効率を愛するタイプの人間なのだろう。しかし、いまや、音楽をサブスクで聴く時代であるから、CDで音楽を聴くというのも一時代前の世代の話である(また、最近では、再びレコードブームで、レコードの売上がCDの売上を抜いた、という報道があった。効率の時代から質の豊かさが追い求められる時代に移行したのかもしれない)。 村上春樹の「古くて素敵なクラシック・レコードたち」(文藝春秋、2021年)、「更に、古くて素敵なクラシック・レコードたち」(文藝春秋、2022年)を手に取って私が驚愕したことは、村上春樹がレコード世代で、私がCD世代だという、世代の違いであり、それゆえに、この二冊の本で言及されているレコードと、私の愛聴しているディスクにほぼ重なりがないし、たまに重なっているものでも、演奏の嗜好が全く違うということであった。例えば、「更に」の方で、マーラーの交響曲第2番「復活」が取り上げられていて、そこでバーンスタインが指揮した2種の演奏が比較されている。やや長いが引用してみる。 「バーンスタインの演奏はクレンペラーやワルターに比べると、音楽の印象が実に若々しい。両者とは違ってマーラーとの個人的しがらみもなく、そこには新しい時代の新しいマーラー像を打ち立てようという健全な野心が溢れている。そしてその意欲が空回りしていないところが立派だ。 きりっとした前向きの姿勢が、清新な音楽を生みだしていく。後年(一九八七年)のNYフィルとの再録音は、感情が尻尾の先までたっぷりこもった優れた演奏だが、僕にはいささか濃厚すぎて胸にもたれる。どちらか取れと言われたら、迷うことなくこの率直な六三年盤を取る。」(335頁) 私は、20世紀末のマーラーブームの中で次々とリリースされたバーンスタインのマーラーのCDにより、マーラーの交響曲の魅力に触れて、未だに圧倒的にその影響下にある。したがって、「復活」は、他のディスクをたくさん聴いてきたが、バーンスタインの1987年盤より優れた演奏はない、これは奇跡的な演奏ではないか、と信じているのであり、1963年盤を取るとした村上春樹とは、全く嗜好が違うことを感じるのである。 もう一つ書いておきたいことは、セルジュ・チェリビダッケ(1912〜1996年)のことである。村上春樹のこの2冊の本は、レコードの紹介であるから、新しい時代の指揮者や演奏家がほぼ触れられていないのは当然である。チェリビダッケはレコード時代の人であるが、生前、レコーディングを嫌ったため、チェリビダッケの指揮した演奏の殆どは、彼の死後、CD時代になってから発売されたため、この2冊の本に、チェリビダッケの指揮したレコードは含まれていない(と思う。斜め読みゆえ、間違っているかもしれない)。チェリビダッケは、私は大変好きな指揮者であるが、彼のあの遅いテンポのブルックナーを村上春樹がどう思っているのか、読んでみたい気がする。もちろん、この2冊の本は、村上春樹が「更に」の冒頭で書いているように、ガイドブックでも、啓蒙的な意図を持って書かれたものではないし、むしろ個人コレクションの報告書である。従って、チェリビダッケの「不在」は仕方がないのだが、隔靴掻痒という感じがするのである。 だから、この本は、これからクラシック音楽を聴こうとする若い人に対して、網羅的なガイドになっていないし、嗜好も偏りがあるので、お勧めしない。レコード時代を代表する村上春樹が、どのようなレコードを聴いてきたのか、あるいは、その時代にはどのような演奏があったのかを知るため、もしくは、古い演奏のレコードやディスクを買う時に辞書的に参考にするため、という読み方しか考えられない。大の村上春樹ファンかクラシック音楽ファンでなければ、なかなかついていけないだろう。勿論、書棚に飾るには、レコードのジャケットのような素敵なデザインだ。評価は難しいが、読者を選ぶので、標準点としての☆3つとした。これは私の書いた52番目のレビューである。2022年12月16日に斜め読み。 | ||||
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