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天路の旅人
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天路の旅人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.51pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全90件 61~80 4/5ページ
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モンゴルやチベットに少しでも興味のある方、もし、なかったとしても、戦前まで受け継がれていた日本人の気質に触れたい方におすすめです。日本人としての生き方や在り方を見つめ直せるものでした。私もまだまだ旅を続けてみたくなりました。 | ||||
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未だ読みかけなので中間評価ですが、沢木さんの軽快なタッチの文章が心地よい本です。 | ||||
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内容はもちろんよかったこと、とても読みやすかったです。 また、この本を読むきっかけとしては、5年前に亡くなった祖父が子供のころ満州開拓で渡っていたことより、読ませていただきました。 ありがとうございます。 | ||||
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長い話であり、知らない地名、聞きなれない人の名前、読み続けるのは困難かと思われたが、読み進めるうちにぐいぐい進んでいく西川氏に引っ張られ読み進んでしまった。まっすぐな人柄、自分の気持ち、考えを決してごまかさない、諦めない生き方に感動した。 | ||||
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第二次世界大戦末期に 中国西域に潜入した密偵、西川一三の 8年に及ぶ旅の顛末を描いたノンフィクション 日本に強制送還されてから 盛岡市で化粧品卸業を営んでいた西川に、四半世紀前に盛岡に定期的に出向き、一年間、計50時間に及ぶインタビューを行いながらも、完成までに7年もの歳月を要した大作 そのインタビューは 西川が仕事を終えた後の 町の居酒屋で はじめは口が重かった西川と だんだん打ち解けて はじめは二合に決めていた酒が、 最後の方は 四合ずつになったというエピソードで始まるが 読むにつれ、その西川の旅の内容では、そうもなるであろうと思われた。 一人の人生に焦点を合わせる 沢木ノンフィクションを 久しぶりに堪能 | ||||
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かの西川一三を書き上げた。 かつて紀行本を多読していた時に知った名前。 戦時中の1943年から戦後1950年の8年間。 青年はラマ僧に扮し内蒙古からインドまで歩いて旅をする。 想像を絶する壮大なパノラマが広がる。 それは”聖なる刻”。 情報は地図もコンパスもなく、足跡と見聞きのみ。 根源ある旅の喜びと意志の強さに深く感動する。 | ||||
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久しぶりに、しっかりと時間をかけて本を読んだ気がした。それは乗り物に載って旅をするのではなく、自分の脚で旅をするような、気持ちにさせた読後感。 第二次大戦末期、中国大陸の奥深い西域まで密偵として潜入した若者、西川一三。 日本の敗戦を知った後も、ラマ僧に身を隠したまま、引き寄せられるようにまだ見ぬ世界の先への歩みを止められない旅と人生を、西川の著作と一年間の徹底的なインタビューとをもとに描き出した一冊、『天路の旅人』。 困難を突破しようと苦労しているときが、旅における最も楽しい時間だとしたらば、旅を続けたい旅人は旅を終える安息をよしとせず、すぐにまた旅に向き合い、旅に歩みはじめるのだと思っていた。だが、西域から帰国した西川一三はそれを選ばなかった。 西川一三は帰国後、盛岡で、毎日昼はカップラーメンを一杯とコンビニの握り飯をニつだけを食べ、毎日夜はつまみもなく酒二合だけを居酒屋で独酌し家に帰る、そんな三百六十四日を繰り返し日々を働く。それは、朝起き火をおこし茶とツァンパを毎日食む旅と同じ、削ぎ落とされて単純化された幸せな旅の日々の続き、であったのかもしれない。 沢木耕太郎は最後に西川と別れたとき、雪降る中、自転車を引く後ろ姿に向けて「気をつけて!」、と声をかけようとするが飲み込んだのだと、書いている。 気をつけて、は『深夜特急』の最後、これからの旅人に向けてかけられる言葉、「恐れずに、しかし気をつけて」とかけた言葉と想い交わるものだ。 でも西川の旅は、いま危険なき路を、恐れなき家族の待つもとへ歩んでいる。それは天路でなくとも西川一三の旅の続きなのだ。雪降る先に消えてゆく西川一三の旅は、雪の中に始まり、雪の中に消えてゆく、そんな始まりと本の結びとなっていた。 | ||||
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西川一三(かずみ)という人は、戦争中に内蒙古の鉄道会社で働いた後、中国西北部の状況を探るスパイとして、交戦中の中華民国の支配地域に入り、そのまま8年間青海省からチベット、インド、ネパールなどを放浪して、インドからの強制送還という形で日本に帰ってきた方です。同じ時期に木村肥佐生という人物もよく似た経路を通って移動しており、二人は、一時期一緒に旅行をしていたりもしますが、帰国してからのこの二人の人生の歩み方が対照的で考えられさせました。 彼の旅は放浪であり、地域の状況を情報として報告するという目的はあるのですが、それも日本の敗戦後は意味のないこととなります。日本や世界がどのように動いているのかもわからない場所で、それでも西川は、未知の土地を訪れたいという気持ちに突き動かされて、インドからアフガニスタンに入りたいと願います。その気持ちは印パ戦争のために西へ進むことができず、実現しないままに、インドにおいて日本人であることが露見して、日本に強制送還となります。 驚くべきは、内蒙古からラサまでの移動はずっと徒歩であることです。その時代に移動手段がそれしかなかったのですから当然と言えばそうなのですが、それもガイドをつけての旅行者というものではなく、駱駝の引手という労働者としての移動であったり、ラマ僧の巡礼としての移動であったりというものです。旅というよりは、その日を生き延びる毎日が積み重なって何千キロという移動がなされているという印象を受けました。 80年代初めごろのバッグパッカーを少しだけ体験した身としては、旅の途中に会った、長期の旅行者の中には、観光が移動の目的ではなく、移動することを目的として旅をしていると感じる人に何度か会った記憶があり、その時感じた印象と同じものを西川一三という人物に感じました。 それは、巡礼者の精神ともまた少し違うように思います。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道は、最近はひとが押し寄せて大変なことになっているようです。四国八十八ヶ所のお遍路道もめぐる人は多いです。ラサやメッカへの巡礼となれば、道中の厳しさも大変なものと思いますが、それでも巡礼とは、その目的地があり、そこをめぐってまた戻ってくるという目標があります。西川一三も様々な巡礼道をたどりますが、いずれも聖地に詣でることには西川自身にはあまり思い入れがあるわけではなく、また、出発地に戻ることを前提として考えていない点でも巡礼者の精神とは異なっています。西川一三は、移動し、漂泊すること自身に意味を見出していると思えます。 同じ時期によく似た行程を移動し、最終的には一緒に日本に送還されることとなった木村肥佐生は、帰国後はアメリカの対中国情報活動へ積極的に協力し、チベット語の能力を生かして大学教授となり、チベットを何度も訪問したり、ダライラマが日本を訪れたときにはその世話をしたりと、経歴を生かしたその後の人生を築きました。西川の人生はこれとは対照的です。帰国後、原稿用紙3000枚をこえる旅行記を書き上げると、自身とはなんのゆかりもなかった岩手で化粧品のちいさな卸会社を起こして、年に364日その会社と家を往復する生活をなくなるまで続けました。1988年になって、新世界紀行というテレビ番組で、西川一三の旅路が紹介されましたが、この企画で本人が旅路を再びたどることを持ちかけられた時も、同じ所へ行っても仕方がないと断っています。 私自身が、同じようなチャンスがあった時に、そのような長い旅路をたどるような選択をして、それを生き延びて日本に帰ってこれるかどうかについては、まったく自信がありませんが、もし自分であれば、帰国後はきっと木村に近いような、経験をいかに生かすかを考えて生きるように思います。それゆえに、私がこの本を読んで西川一三の旅路とその後の生き方を尊く感じるのは、自分にないものへの憧れかとは思いますが、格好いい人生に思えます。 「深夜特急」の旅をして、それを本にまとめた沢木耕太郎が、西川一三の著作とその人生に興味を持つのは納得ができますし、最初のかかわりから25年を経てこの本をまとめられたことは、必然であったかもしれません。沢木耕太郎が西川一三を出版するに至ったことを祝福したいと思います。西川自身はすでに亡くなっていますが、たとえ存命中にこの本が出版されたとしても、彼自身はさして喜びもしなかったのかもしれません。出版された自身の旅行記も、木村の旅行記もほとんど読んでいなかった様子なのと同じように、この本も特に目を通そうとしなかったのかもしれないという気もします。それが旅の暮らしのなかで、繰り返し仏に対面した西川が得た、彼の哲学なのかもしれないと思いました。 | ||||
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人がなぜ旅に惹かれるのか?その理由の大きな一つが読めました。 | ||||
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本を読み、地図を見るとその時代の国々の情勢が伺えます。 | ||||
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こんな作品が無料お試しだなんて、アマゾンすご過ぎ! サンプルかと思ったら、全編まるまる無料とは・・・すご過ぎ! | ||||
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心からおすすめです。 | ||||
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極めて困難なことであっても,諦めず何としても前進する.その苦闘と乗り越えられた達成感が自分の心を清らかにしてくれる.そしてこの行動がさらなる自分の興味の地平線を広げてくれる.複数回読み直しても感激は続きます. | ||||
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人間の生命力に感心させられた。 とても読みやすく、読んで良かった。 ただ一つ、主人公が旅する通りの地図をもう少し詳細なものにして欲しい。想像力がもっと高められると思うから。 | ||||
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この本の著者である沢木耕太郎さんが、「是非とも書いておきたい人だ」、と言っていたのでそれに押されて読んだ。沢木さんが著作を以てこの世に現してくれたかのような、この本に登場する主人公、西川一三(にしかわかずみ)さんは稀有の人だ。日本国にとって目に留まるような功績や実績を成した人ではないが、自分の信念に沿った真摯な生き方を示してくれた方だと思う。なによりも、自分の使命をまっとうしようとした意思力に敬意を表したい。その意味では、ルバング島の小野田さんのような方である。 西川氏は、大東亜戦争末期に、日本の勢力圏だった内蒙古を出発して足掛け八年にわたって中国大陸の奥深くに進入し、チベットにまで到達した日本軍のスパイだった。日本に戻ってきたのは、終戦後の1950年(昭和二十五年)である。それもインドで逮捕されたからであり、そうでなければまだスパイとしての使命をまっとうすべくインド或いはチベット、または中国大陸の奥深区で活動していたかもしれない。その後、西川氏は、帰国してから「秘境西域八年の潜行」という書物を表した(この書物を清書してくれた女性と西川氏は結婚した)。沢木耕太郎氏がその書物を参考にして、また直接本人にも面談して、表したのがこの本である。広大な野や砂漠の中を、隊列を組んで或いは一人で八年間、まさに天路を旅した西川氏の行程が、詳しく書かれている。 西川氏は、スパイとして彼の地に潜入したのではあるが、日本人と発覚することを避けるために、蒙古人のチベット仏教の巡礼者として旅を続けていた。最初は身を隠すつもりでいたそのチベット仏教に、身を捧げて修行をしていったその過程も興味深い。座禅を組んで無の境地に達することの難しさを打ち明ける西川に対して、ラマ僧の師が、竹のヘラを目の前に突きつけて、「これを見てみろ」と言って指導したことなど、真(まこと)を極めようとする師はどの国にも居られるものだ、との感を持った。 特に大きなことを成し遂げた人のことを書いたものではないが、西川氏の八年の旅路を知ることにより、一筋に生きた人間の生き様を見たようで、背筋が伸びた気がした。沢木耕太郎さんが、「書かねば」と思った所以であると思う。 | ||||
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東北在住のおじいさんが、昔はスパイで中国からインドまで旅をした。無事に日本まで生きて帰って人生を全うした。 内容は序盤で全部説明されるし、フィクションの冒険ものと違って回想形式なので、生きて帰れることが始めからわかっている。なのになぜこんなに飽きず豊かで、ひとつの人生を丸ごと体感したような満足感があるんだろう。 単なる辺境の旅ものというだけでなく、それが現在に繋がっているところが好き。 毎日休みなく働いてカップラーメンを食べて息を引き取った老人がいたという情報だけだと、勝手に「かわいそう、きっと楽しいことのない人生だったんだろう」と想像してしまうけど、普通に歩いている人間ひとりひとりに、現在の姿から全く想像できない過去があり、青春があった。 | ||||
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歩いた先に希望があると信じて、ホモ・サピエンスはアフリカを脱出して、ヨーロッパ、そしてアジア、さらにはベーリング海を渡り、北米、南米とひたすら歩いた。その前途には、草木、水もない砂漠、雪の高山、ジャングルなど幾多の困難があったが、それを乗り越え、ひたすら歩いて進んだ。おそらくホモ・サピエンスは、ゴリラやチンパンジーなどの霊長類より長い距離を歩くのに適した肉体的な構造に進化し、希望に対する強い意志が加わり、地球の絶対的な支配者になった。本書に描かれている西川一三の蒙古、西域、チベット、インドを巡る5000kmを超える壮大な旅に、ヒト、ホモ・サスペンスとしての原始的、根源的なもの、歩いて旅する、アフリカからの脱出の姿が浮かび、逆に日本に帰国後の西川の生活態度に現代人を見る。著者が描きたかったのは、ただの冒険家でない西川のこうした姿だったのかもしれない。歩いて旅する動物、これがヒトなのかもしれない。 | ||||
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面白かった。病気で臥せっている間に一気読みした。元々は日本軍の密偵としてのミッションからスタートした西川一三さんの旅だが、途中からは完全に旅が目的化し、行ったことのないところにどこまでもいきたいという旅になっていく。仏教に深く帰依するわけでもないのに求道者のようなすごい人生。 日本に帰ってからは結婚したこともあって、対照的に岩手県からほとんど出ず、一年、元日以外364日働き続けるというこれまた中々出来ない人生。 人間の一生の不思議さ、やろうと思えば何でもできるんだなということ、沢木耕太郎さんの読みやすい文章ですごく考えさせられました。 沢木さん、ご高齢になりつつあると思いますが、まだまだたくさん本を書いて頂きたいです!新刊が出ると必ず買う著者の一人です。一度講演でもお顔を拝見し、思っていたイメージ通りの方でした。 | ||||
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本人が詳述した旅を第三者が書くには、それなりの動機や視点が必要になるだろう。 「キャパの十字架」の時もそうだったけど、本人を追い続けたことから書く必然性が生まれ、本人が書けなかった新たな視点を手繰り寄せるところに、沢木耕太郎らしさというか沢木耕太郎の真骨頂を感じる。 当然、深夜特急が西川一三を追いかける動機になっているのだろうけれども、帰国後に一定の名声を得た木村 肥佐生ではなく、市井の人となった西川一三を追いかけるあたりも、実に沢木耕太郎らしい | ||||
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本の厚みをまったく感じさせない読みやすさ。第二次大戦末期にラマ僧に扮して中国奥地に潜り込んだ西川一三の足跡(天路)を、深夜特急で有名な沢木耕太郎さんが追いかけるような形で物語として綴っていきます。行ったことがないのに目の前に壮大な景色が広がるようでした。 これだけの旅路を記憶に記録し本にまとめた西川さんの原作も読みたくなります。 | ||||
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