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明智左馬助の恋
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明智左馬助の恋の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.77pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全30件 1~20 1/2ページ
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前2作に関しては斬新な視線感じられたが・・ 本作に関しては、期待感を唆る題名ではあったが、左馬助、光秀共に感情移入できないし、ストーリーも何の盛り上がりも無い。 | ||||
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新品なのに、何故か表紙が破れているものが送られてきました。システム化されているから難しいと思いますが、発送する前に商品に異常がないか確認して欲しいです。 | ||||
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本書は、2007年4月に日本経済新聞社から刊行された単行本を、 2010年5月の文庫化にあたり上下巻に分冊したものです。 下巻は、1582年の正月に安土城を公開する話から始まり、本能寺の変とその後を語って終わります。 加藤氏は、信長の遺体が見つからなかった事実から、ある説を展開しています。 断定も出来なければ、完全に否定も出来ないユニークな説でした。 上下巻を通じて残念だったのは、校閲のミスで誤字が散見されたことです。 特に、天正十年(1587年)との表記は、2を7と見誤ったとしか言いようがありません。 著者の信頼度に関わる問題になりかねませんので、注意してほしいものです。 | ||||
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本書は、2007年4月に日本経済新聞社から刊行された単行本を、 2010年5月の文庫化にあたり上下巻に分冊したものです。 上巻は、1578年に三宅弥平次(後の明智左馬助)が、主君・明智光秀から夜中に呼び出しを受け、 坂本城に駆けつけて、荒木村重の謀反を知る話から始まり、弥平次の出自、 荒木家から離縁されて返される光秀女・綸、荒木一族の処刑、綸と弥平次の再婚などの話を経て 秀吉が鳥取城を落とす辺りで終わります。 左馬助の目を通して語られる光秀像はユニークで面白いのですが、 真偽定かならぬ情報がいくつも有り、信長と正親町天皇の対立に関しては興醒めでした。 また、信長を激しい躁鬱と捉え、その狂気を描いていることも残念でした。 | ||||
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何かと話題が先行して、手に取ってみれば信長モノがちっともつまらない。 加藤さんの本を読んだ中ではこれが一番小説らしさを備えているという気がする。 しかし、軽いね。 | ||||
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信長、光秀、秀吉の物語と言えば司馬遼太郎の国盗り物語〈1〉斎藤道三〈前編〉 (新潮文庫)が思い出される。それぞれの人物描写は本作と同様に逆賊秀光像を覆すものとなっている。『国盗り物語』が信長の舅、斎藤道三の立身から本能寺の変まで時代を追って構成されているのに対して、加藤版三部作は本能寺の変という事件を信長、秀吉、光秀の視点からその背景と顛末を描いている。作者は本能寺の変で信長の死体が見つからなかったことに対し大胆な仮説(創作)がストーリーの中核をなしていることが特徴だ。 明智光秀は起こした事件は派手であったが、それ以外はむしろ地味で光秀は誰かの物語の登場人物とさいて描かれることがほとんどだ。本作も娘婿の明智左馬助が主役となっている。左馬助は光秀の死を聞き、坂本城に引き上げる際窮地に陥り、馬と共に琵琶湖を渡ったという「明智左馬助の湖水渡り」伝説が伏線と共に描かれ印象に残った。その後一族自決となるのだが、戦国の世の習いとはいえ現代人には過酷である。良くも悪くもこの時代リーダーの資質を持つ家系は間引きされ途絶えていったのだろう。 考えてみると本能寺の変にかかわった織田、豊臣、明智の家系はいずれも滅亡している。このうちの誰かの血が残っていれば日本の歴史と現代社会は違ったものになっていたのではないだろうか。その後徳川家が天下を取り現代に繋がっているのだが、歴史のもしもに想像をめぐらすのも悪くない。 | ||||
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私の中の一気に読めるシリーズに入りました。 何がっていうのはないんだけど、もっと読みたい感が出てくる作者です。 | ||||
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本作単体でも楽しめるでしょうが、やはり「本能寺」シリーズ?の前二作は読んでおいたほうが一層楽しめます。 いや、やはり必須ですね。それらの伏線・土台あってこその三作目です。 「本能寺の変に秀吉が噛んでいたなど、あり得ない」など、そういう議論は無意味です。 もう、今となっては誰にも証明などできないのですから。 (歴史など、そういうケースは少なくありませんよね。そもそも「一次史料」ですら実は事実かどうか分からない) そうではなく、もう日本史の中ではメジャーもメジャー、知らない人がいないくらいの事件で定説にあえて挑み、 その上で「読ませる」作者の着想・筆力に脱帽します。 古今の大家が題材として取り上げ尽くしてきたテーマです。 最初からハードルは異常に高いのに面白い。大変な壮挙だと思います。 一作目ではところどころ垢抜けなかった筆致も、二作目で開花して特に中盤からは「おおっ!?」と思わせるほど暢達で、 作者の文章が確立していく様も感じ取れます。 そして本三作目では、あえて地味な人物にスポットをあてて物語は静かに進んでいく。 歴史小説は山ほど読んできたという方でも、信長・秀吉・光秀・・・三者三様の(側の)視点から描かれた 新たな歴史ドラマを堪能できるのではないかと思います。 | ||||
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何というか、明智一族を善人に描きすぎて 凄みに欠ける印象を受けました。 それなりに面白いのですが 前部作と比べると、ちょっと物足りなかったです。 | ||||
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明智光秀を読み解ける作品。解釈の仕方が第三者的に書かれていて、ある意味なるほどと納得させてくれた | ||||
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いじらしい妻や不器用な主君に対しての左馬助の思いが良い。また、恐怖の信長の意思を知った際の公平な感じ方など、気持ちが良い。 現代の人間関係にも通じる、人の営みを感じた。 | ||||
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「本能寺三部作」の最後の一冊です。『信長の棺』、『秀吉の枷』と来て、『明智左馬助の恋』。 結論から云いますと、たしかにおもしろかったのですが、シリーズのなかではおもしろくないほうかもしれません。 信長をめぐる物語を『信長の棺』では信長の視点から、『秀吉の枷』では秀吉の視点から、そして『明智左馬助の恋』では明智光秀の視点から描いています(明智左馬助の物語というよりは光秀視点です)。 これを読んだのは、若桜木虔さんというかたに興味があったからです。若桜木虔さんというかたは小説家・小説講座講師で、その小説講座(通信講座のほうでしょうか)を受講していたのが、このシリーズを書いた加藤廣さんです。加藤さんは企業勤めなどをしたあと、退職して余暇が出来てからでしょうか、戦国時代の資料を収集したり旧跡を訪れたりして構想を固め「本能寺三部作」の元となる小説を執筆、それをどうしたらいいのかを講座を受講し教えを請うた模様。はじめは大長編だったらしいですが、そんな大部な著作はアマチュアが相手では出してもらえない、ということで三部作に変更、その一作目『信長の棺』はベストセラーになりました(以上は若桜木虔『時代小説家になる秘伝』(ベスト新書、2008)を参照)。 そういえば加藤さんは桶狭間についても書いておられるようで、興味あります。 以上です。 | ||||
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戦国の世に織田信長という変革者が出現し、豊臣秀吉が天下統一をなし、徳川家康によって太平の世が築かれます。 この大きな流れの中で、最も重要な役割を果たしたのは誰か、と言えばもしかすると明智光秀ではなかったか、という思いにいたります。 長い間、光秀は主君殺しの汚名を着せられた、犯罪人の代名詞でした。 しかし、改めて振り返ってみれば、不可思議なことばかりが残されています。 光秀は織田家中の中では最も成功した武将であり、人柄は領民に慕われ部下を愛した律義者と伝えられています。 なぜ、光秀は信長を本能寺で討ったのか。 秀吉はなぜあれほどの速さで中国大返しを敢行し、光秀側の武将まで味方に引き入れられたのか。 家康は、何故本能寺の一方を知り慌てふためいたのか。 本能寺の変の後、光秀は何故無為な時間を過ごしたのか。何をしていたのか。 本能寺の変という日本史の大事件には重大な秘密が未解決のままなのではないかという想いは多くの方がお持ちのことでしょう。 著者は、そういう視点を持っている好事家に対して、非常にユニークな推論を提示してくれています。 確かに、本能寺の変は納得がゆきかねます。 だからこそ、この作品はこれほどまでに面白いのでしょう。 本能寺の変というミステリーに新たな視点をあてた快作だと思います。 | ||||
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『信長の棺』『秀吉の枷』とあわせて本能寺三部作と呼ばれているようです。 この三作は、信長、秀吉、光秀という本能寺の主役それぞれの視座から謎の歴史的怪事件を立体的に映し出そうという狙いなのでしょう。 しかし、既に前二作で光秀についてはかなり描かれていて、上巻を読んだ限りでは其れほど新鮮さは感じられませんでした。 当初から、著者は明智光秀に相当な関心を抱いておいでのようで、本能寺の変の定説を覆そうとする狙いは非常にユニークに感じていました。 この巻は、荒木村重の謀反辺りから桑実寺事件まで物語が進みます。 細川藤孝、筒井順慶などキャラ分析に面白さがあります。 著者は、織田家を企業に見立て、光秀、秀吉など重役級の家臣として捉えているように感じられます。 戦国武将を組織社会に生きる人々として心理を推察している点が面白い点です。 | ||||
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感想の前に。著者は本能寺の変を天正10年(1587年)と記されているが1582年の誤りである。何故こんな間違いをされたのか。作風は『信長の棺』によく似ている。信長の遺体を発見できなかったことで謎めいた展開にしている。多くの光秀作品では愛宕山での歌会で光秀の謀反を疑わせる発句を取り上げているのに対し、作者はむしろ紹巴の第三句以降の他の句に焦点を上げながら解説した点など興味深い。さらに信長弑逆は朝廷命令であるとした点などはこれまでになかった発想である。信長打倒説が、他にも家康、秀吉らもあることからしても本作品の展開には驚かせられる。一番興味深いのは信長の無慈悲な所業の分析をしていることだ。これは現代社会心理学の面からすればすごく頷けるものだと思う。作品名と内容とはそれほど頷けるものではない。歴史小説343作品目の感想。2011/11/11 | ||||
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感想の前に。著者は本能寺の変を天正10年(1587年)と記されているが1582年の誤りである。何故こんな間違いをされたのか。作風は『信長の棺』によく似ている。信長の遺体を発見できなかったことで謎めいた展開にしている。多くの光秀作品では愛宕山での歌会で光秀の謀反を疑わせる発句を取り上げているのに対し、作者はむしろ紹巴の第三句以降の他の句に焦点を上げながら解説した点など興味深い。さらに信長弑逆は朝廷命令であるとした点などはこれまでになかった発想である。信長打倒説が、他にも家康、秀吉らもあることからしても本作品の展開には驚かせられる。一番興味深いのは信長の無慈悲な所業の分析をしていることだ。これは現代社会心理学の面からすればすごく頷けるものだと思う。作品名と内容とはそれほど頷けるものではない。歴史小説343作品目の感想。2011/11/12 | ||||
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本能寺の変を明智側視点で描いた作品ですが、歴史ミステリーとしての具体的な内容は前二作で描かれており、もはや一般の歴史小説として評価せざるをえないです。本作を面白いと思うかは人それぞれでしょうが、個人的にはどこかで見たシーンの焼き直しにしか感じられず、高評価できない作品でした。 | ||||
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「本能寺の変」三部作の中で最も「古き良き時代小説」にふさわしい主人公を据えた作品。本作を持って本能寺の変にまつわるミステリーは完結するのだが、種明かしのほとんどは「秀吉の枷」までで明らかになっている。本作は明智左馬助の動きを中心にして坂本城落城までのストーリーを紡ぐことによって、これまでの作品で具体的に描かれてこなかった事変の実際部分を補完することが主たる目的になっているようだ。それだけにストーリーも人間味豊かな内容になっており、最後の坂本城落城の描写は非常に深い余韻を残す。長い長いストーリーの果てにようやく「泣ける場面」が出てきた。それにしても三部作を読むことで、作者の考える「本能寺の変」が立体的に浮かび上がるように設定されているのは、多分に映画的手法であり、全て読まなければ気が済まないようにさせられるのは余りに見事と言う他ない。 | ||||
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本能寺の変に関し、私は単純な光秀単独犯説を採るから、変それ自体及びそれに至る状況についての著者の説とは相容れない。そのことは「信長の棺」のレビューで書いたから詳細は繰り返さない。この下巻で私が気になったのは信忠が信長の愚息とされていることだ。信忠は武田家殲滅戦で活躍し、信長が家督を譲ったほどの優秀な男というのが私の理解なのだが。変に巻き込まれた時に判断ミスがあったとしても。 しかし、著者の仮説に従って進行する本能寺の変を描く筆致は緊迫感があり、読ませる迫力がある。そして何より歴史を大きく動かす歯車の役を終えてあっという間に滅亡した明智一族の行動を、哀悼の念を込めて丁寧に記しているのには共感を覚えた。坂本城落城までを書く必要があり、そのためには左馬助が本書の主人公でなければならなかったのである。彼はまた、山崎の合戦に加わらず、安土城での留守役だったからこそ、安土城に込めた信長の、常人の発想の及ばない意図を知るのだが、それが何かは各自読んで確かめてほしい。それにしても、あの有名な論争がここに結びつくとは。著者の想像力の豊かさには唸らされる。 | ||||
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私は著者の歴史解釈に賛同する者ではない。例えばこの上巻では天正九年の馬揃えが信長の押しつけだったとしているが、現在はそもそも公武の対立は先鋭化しておらず、京での馬揃えの開催も、安土の左義長を耳にした朝廷の方が要請したとする説が支配的なはず。 しかし、歴史解釈の当否はさておき、本能寺三部作を完読して、本能寺の変及び前後の真相に「信長の棺」では太田牛一の視点で、「秀吉の枷」では秀吉の視点で、そして本書では明智側の視点で、それぞれ迫り、かつ三部作が互いに絶妙に関係し合って壮大なスケールの物語を構築していることに感心した。例えば多志のエピソードや左馬助が馬にのったまま湖水を渡ったエピソードが本作でこのような形で生かされようとは思ってもみなかった。まるで、ジグソー・パズルのあいた所が埋まっていくような快感だ。 そして、本能寺の変の一因であると多くの人が指摘する、秀吉との出世競争や信長の酷使によって徐々に光秀が追いつめられていく心理状態を、左馬助の観察を通して書くアイデアが秀逸。律儀な明智の家風と好漢・左馬助を知るためだけでも一読の価値ありだ。 | ||||
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