マザー
- 都市伝説 (86)
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とんでもない傑作というのは、時に不遇である。 それは多分、その小説としての容積の巨大さが、多くの読者の器から溢れてしまうからだろう。 溢れたものを味わえるのは、溢れた先の世界に感性を持っている者だけなのではないか。 それは必ずしも「何でもわかる」といったような、一般的な読解力の高さや頭の良さの問題ではなく、例えばある種の「霊感」のようなものだ。「その世界」の「におい」や「光」をあらかじめ知っていて、「ああ、これだ」を気づくような感性なのだ。 平山瑞穂の作品には、そういう「におい」が、いつも漂っている。作品によって濃淡はあるものの、たしかに平山の描く世界の基底には「向こう側の世界」が息をひそめているのだ。 もしも私がこの世界に生まれていなかったら、もしも私が生まれ変わったとしたら、「あちらの世界」で「こちらの世界」のかすかな「におい」を感じながら、しかしそれは「存在しないもの」だと言い聞かせながら、そちらの日常を生きているのではないだろうか。 一一そんなふうな既視感を、平山瑞穂の作品は強烈に喚起する。 平山の「文章」は、まるで「読む覚醒剤」のような力を持っている。 私は、平山瑞穂の「遅れてきた読者」だが、それでもこの作家に出会えた幸運を喜ばずにはいられない。 もともと、こちらの日常とあちらの日常とがどこかでつながって、いつのまにかその境界線を踏み越えてしまう、といった物語が大好きなのだ。 例えば、山野浩一、荒巻義雄、中井英夫、P・K・ディックといった小説家の作品がそうだし、デイヴィッド・リンチ監督の映画などもそうだ。 だから、最初に読んだのは『ルドヴィカがいる』で、その次が『ここ過ぎて悦楽の都』だった。どちらも「あちら側の世界」に踏み込んでいく物語だ。 これらの物語には、いずれも平山瑞穂のかもしだす「あちら側の世界の、懐かしいにおい」が濃厚に漂っていた。 しかし、物語の結末には、どこか収まりの悪さも感じさせられた。 しばらくして短編集『全世界のデボラ』を読み、「やっぱり、この人にしか期待できない世界がここにある」と確信した。「十月二十一日の海」は、私の短編小説オールタイムベストテンに入る稀有な傑作だった。 私が求めていたのは、単に「こちらの日常とあちらの日常とがどこかでつながって、いつのまにかその境界線を踏み越えてしまう」という物語ではなく、「懐かしいあちらの世界に還っていく」ような物語なのだと気づいた。 境界線を踏み越える手前では、怖れや躊躇も当然あるけれど、しかし、それは決して「不幸への道」ではないのである。 これまで読んできた平山作品の中では、『マザー』はまちがいなく「完成度の高い」傑作である。 この作品ならば、平山の「におい」に鈍感な読者でも、その「壮大さと切なさ」に巻き込まれ、酔わされ、連れ去られるのではないだろうか。 この作品を読んで、それでも面白いと思わない人は、小説など読むのはやめて、映画を観たりマンガを読んだりした方がいいとさえ思う。 平山作品は、文章でしか創造できない世界なのだ。決して映像化などできない。 なぜなら、映像作品では、平山の発する「幻臭」を再現することなど出来ないからだ。 どのようにすれば、平山瑞穂の魅力を表現できるのだろうと迷いながら、まとまりのない文章を連ねたが、最後に、本作『マザー』について、一部の人にだけは多少なりとも伝わるのではないかという、即物的な説明をしておこう。 『マザー』の世界は、昔の特撮ドラマである『ウルトラQ』や『怪奇大作戦』に通じるところがあるし、さらに言えば、脚本家・佐々木守の伝奇サスペンス『三日月情話』の世界ともつながっていよう。 そんな「ほの暗き異世界」への通路が、この時代にもまだ生きているというのは、選ばれた読者への奇跡的な「恩寵」以外の何ものでもないのではないだろうか。 | ||||
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平山瑞穂さんの著書は「忘れないと誓った僕がいた」が最初で、その後読んだ「四月、不浄の塔の下で二人は」が特に好きで、この「マザー」も平山瑞穂さんでレビュー評価も良かったので読みました。 平山さんの著書は、作品毎に作風は違いますが「記憶」に纏わるストーリーが多く、面白いです。 このマザーも記憶で、最初のイメージは都市伝説やらソフト、ミュージシャン志望と、これまで読んだ作風とはまた違いましたが、読み始めるとハマって読み進められました。この様にマザーを自分が手にしたら、やっぱり使ってしまうだろうか?と考えました。実際手にしたら、使ってしまうかもしれませんね(笑)。 夏実と雄輝、立場も生活目標も全く違う二人が、こんな風に関わっていくのか!ドンドン深くなっていく「関わり」が先が気になりハマりました。雄輝は自らマザーを手にし、アドミニストレーターになりながらも、夏実をおぼろげな記憶の苦しみから救った。しかしアドミニストレーターであり続ける限り、雄輝の葛藤?苦しみは永遠と続く。。。でもマザーを手放した以上、アドミニストレーターを降りる事は出来ない。彼は本当に、世の中からエディターを消滅させる事には成功した。(彼自身がマザーを造り出した点は、予想外でしたが)。 本当にこんなソフトが出回ったら、恐ろしい世の中になる事は間違いないなぁと感じました。 使ってみたい気持ちと、しかし使ってしまうと、「書き換え」られた人・書き換えた人だけの記憶の問題ではなくなってしまう……廻りの人・関わりのある人全て?の人の記憶も生活も一変してしまう…そして何より、身代わり?とも言える「消されて」しまう人が居る事。完璧ではない消され方が、苦しみを生む。。。 夏実は〈秋〉の記憶を消してもらえ、おぼろげな苦しみから解放されたが、ラストを読むと、今度はソフトの事は全て忘れていても、曲が「不在証明」から「存在証明」に。「書き換え」られた夏実の中で、今度は〈雄輝〉となった記憶がおぼろげに残り、新しい記憶の夏実がやっぱり雄輝のおぼろげな記憶から書き上げた「存在証明」の曲が・歌詞が、出来上がっているのでしょう。 読後、いつか夏実と雄輝の再会を望む気持ちが残りました。夏実は「いつもここにいるよ」と歌っているし。 | ||||
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なんとなく気になったので読み始めたのですが、気がつくと続きが早く読みたい!と思うほど引き込まれていました。 もっと話題になってもいいのに… もし少しでも気になったのであれば読んでみるべきだと思います。 | ||||
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「マザー」とは、どんな仕組みのソフトなんだろうと思いながら、読み進めました。 しかし、ソフトは、画面表示とソフト自身の転送しかしていないんですね。 携帯ソフトをめぐる都市伝説から、魔術落ちは、予想外でした。 主人公のストリートミュージシャンとまぼろしの彼氏との性描写は、リアルなのは良かったです。 | ||||
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平山瑞穂は、マジックリアリズム的な純文学的な小説と、ポップな青春小説等を書いているが、純粋楽しむための小説、という意味では一番、完成度が高いと思う。もっと話題になってもいい、隠れた傑作。 | ||||
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