誕生日パーティー
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こういうのが「読むべき本」というのかも知れないと思う。難民や移民本人が書いた本(それも勿論良いです)ではなく、そういう人を近くに見て書いた本、史実というのがとても伝わる気がして。 著者のユーディト・W・タシュラーさんという名前のユーディトという名前が、私はドイツ名に詳しくないので女性なのか男性なのか判別がつかなった。しかし読む内に何となく女性だろうなと思った、そしてそれは当たりだった。彼女は実際にカンボジアへ行った事があるだろうか。あると思う。そしてオーストリアの彼女の生活の回りに主人公の様な移民家族がいたのか、いたのだと思う。私がロンドンにいた時でさえ、ベトナムの家族もいたし、東部アフリカのエリトリアから30年前に越して来た夫婦に一番私はお世話になってもいたからそう感じます。 そして古い話ではなく本書は、2016年6月17日のメールから始まる。ごく最近というのがいい。今すぐの暮らしとダイレクトに繋がるからだ。そして鴨を簡単に「捌く」場面から始まる。バッタンバンというカンボジアの地名が本書の最初に出る。タイとの国境に近い北の洲ですが、そこで私はビジネスビザを発給して貰い、ポル・ポト死亡後の内戦からの復興作業に加わりました。 カンボジアに鴨を捌く姿があるのかは恐らくあるだろうが、私が滞在した中では専ら鶏だった。本書の主人公が簡単に捌くがこれは当地カンボジアでは子供の仕事くらい当たり前で、13歳前後で十分出来る事で別段取り立てて「悲惨」や「残虐」でもない。鶏は人が食べる為にあるのだろうと思われる程、鶏を絞めて殺す事はイージーな事です、当地では特に。首を切り血を出し、茹でる事で羽をむしり易くして、後は美味しい内臓の部分だけを別に取り分けて(バースディケーキのイチゴだけ先に取るみたいに)、肉を関節ごと切り離して煮るなり、焼くなりするだけで調理ができる。 都会だろうオーストリアの環境ではそんな「野蛮な」行為は見せたくないというのが大人の心か、作者が女性だからそう思う心なのか。そして話は1970年代のカンボジアの姿などに進んで行くことになる。日本にも移民らしき人はいるにはいるが、第三国定住を目指して、日本ではない3ヶ国目を最終目的地としている方々が圧倒的だと思う。それは日本の政治形態がそうさせているのだろうと思う。そういう対比も本書からは出来る。今のウクライナからドイツや北欧各国が難民を即座に受け入れているのとは全然異なる。そういうオーストリア性も本書から分かる。又は欧州がよく分かる。 作者ユーディト・タシュラーさんは何故この話を書く気になったのかは私には分からないです。その悲惨だというカンボジアの歴史はオーストリアで育ったら、かなり遠い筈だと思うから尚更。でももしかするとそのカンボジアへ行ってみて、よく分からない(観光立国の様に今はあり、世界遺産で外国人が沢山来ているから)内戦がどの様だったか、不明な気持ちのままふらっと手作りで出来たみたいな当地の戦争博物館へ立ち寄ったかも知れない。まだ使えそうな対戦車地雷や手榴弾が無造作に転がるその博物館で、説明書きの英文を読んでやっと知る事実が見えたのかも知れない。その英文は私が書いたものだった可能性があります。博物館で説明する係だった私が、いない間に来訪した人が読めるものが必要だと所狭しと書いて貼っておく事を思い付かなかったら…本書はなかったかも知れないと思うのでした。そうやって私は現地で聞いた話を沢山博物館に英語で書いて貼ったのでした。 カンボジアでは話せても書くという文化が今は別にして当時ではなかった(子音が山ほどあるので母国語のクメール語を文字にするのは至難というお国柄な)ので、現地人が英語で説明出来てもそれを書くという発想は殆どなかった気がする。雨が多く激しく、紙と鉛筆という学習がないという背景もある。一夜の雨で普通のノートが濡れて翌朝には電話帳くらいに膨らむのだから、書いて覚える教育はこの地には根ざさない様で書くという文化自体が我々と違い遠い様だった。そんな個人的な経験や思い出が多数、この本にはだぶり、興味津々とため息が同時に交錯しながら読書する本書になりました。 | ||||
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本作に関心を持ったのはコミックの「サンクチュアリ(史村翔・池上遼一)」を読んで、カンボジアの悲惨な状態について知ったことが契機になった。コミックのサンクチュアリは、それがきっかけになっても、クメール・ルージュの活動そのものをテーマにしたものではなかった。 もちろん、本作は創作であって、史実を伝えたものではないが、十分に状況は伝わってくる。中国の文化大革命もそうだが、人間は何故理不尽なことを平気でやってしまう様になるのか。現実の世界で、今でも起こっていることで、社会心理・集団心理の残酷さを改めて感じる。 また、難民の子供や家族を受け入れる欧州の心の広さを日本とは違うものと感じ、考えさせられるきっかけにもなった。 | ||||
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2019年に出版された「国語教師」の作家さんの作品です。 一応、”このミス”のランキングにも入っていましたが、ミステリ色はかなり薄いと思います。 しかし、小説としては一級品だと思います。誕生日に訪れた兄弟のように育った人物の登場から、時代や視点人物を変えてエピソードの断片が語られ、徐々に家族の歴史が明らかになってきます。クメール・ルージュによる虐殺の歴史が背景にあるので、読んでいて楽しくなるような物語ではありません。しかし、物語の着地点に描かれる家族たちの清々しい姿が印象に残ります。 年末年始の休暇にじっくり読む本をお探しなら、お勧めします。 | ||||
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今世紀に入ってからのヨーロッパにおける中東からの難民問題は日本でも大きく取り上げられていたので認識していたが、ドイツやオーストリア国民がもう既に1970年代には他国から祖国を追われた人々を受け入れていたことを知った。彼らが辿ってきた歴史、受け入れた人々との理解と齟齬を、事実と作者の実体験を基に作られたフィクションであるが、実に良く練られた話で読み応えがあった。またミステリーというカテゴリーの定義を良く知らないが、謎解きというよりヒューマンドラマだろう。とは言え、謎解きが無いわけではなく、何が起こったのか、登場人物と一緒に過去を遡って糸口を探したくなる。上手いのは1970年代のカンボジアのメイ家が語られる章で意図的(でしょう)に人名が出てこないこと。一人称の僕は誰なのか、この作者のトリックにまんまとハマって終盤までミスリーディングしてしまった。そうだったのか〜、あなたはあの……という、気持ち良い後味。 余談だが、頭蓋骨に斧が当たる音というのを例えるくだり、カンボジア人の登場人物は「ココナッツを割るみたいな音がする、コン、コンって」と例える。前後して読んだRomy Hausmann『汚れなき子』の登場人物(ドイツ人)は、『頭蓋骨に何かを叩きつけた時、スイカを床に落とした時みたいな音がするんだ、パン!』と例えていた。環境によって喩えが変わるのだなぁ!原書はどんな擬音だったんだろう? | ||||
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403頁もの長篇小説です。なのに、目次がありません。 <見出し>の言葉から、物語の内容を推測しようと思い、列記してみました。 残念。推測失敗。 何種類かの<見出し>が、何度も何度も繰り返し登場するだけだったので。 <見出し>の言葉から内容を推測するのはあきらめて、最初から読み始めました。 次第に<見出し> について分かってきました。 「2016年6月18日 土曜日」とは、 「僕のパパ」の「五十歳の誕生日パーティー」(5頁)の日だということ。 キムの息子である「僕はもうすぐ十二歳」(7頁)になる。「ヨナス」(5頁) 「2016年6月17日 金曜日」とは、「五十歳の誕生日パーティー」の前日。 「2016年6月19日 日曜日」とは、「五十歳の誕生日パーティー」の翌日。だよね。 「モニカ」とは、 キムの「義母」(11頁)。すなわち、キムの妻「イネス」(10頁)の母親。 「義母のモニカとそのパートナーであるアレクサンダー」(17頁) ところが、「ぼく」(15頁)の名がわからない。 あだ名は、<同志・タコ>、<同志・ ナイフ職人>(27頁) ここまで読んで、思いました。巻頭に、<主な登場人物>のリストがほしい、と。 読者が途中まで試作してみた<主な登場人物>のリストは、次のとおり。 キム カンボジア難民。イネスの夫。オーストリアの田舎村に住む。「建築家」(22頁) ヨナス キムの次男。 ジモン キムの長男。 レア キムの長女。ウィーンのアパートに住む。 イネス キムの妻。教師。「二十年以上も」(38頁)前に結婚。 モニカ イネスの母親。キムの義母。 アレクサンダー イネスの父親。キムの義父。 テヴィ・ガーディナー キムにかかえられてカンボジアを脱出した難民。オーストリアで二年間住む。現在は「ボストンに住んでいる」(35頁)。八年前(2016年の8年前だから、2008年)にベンと結婚。 ベン・ガーディナー テヴィの夫。ハーヴァード大学の歴史教師。 やっとこさ、39頁まで来ました。最終頁の403頁まで、まだまだです。残り九割。 この先、どんな物語が待ち受けているのか、ハラハラします。 <見出し一覧> 5頁 プロローグ 8頁 2016年6月17日 金曜日 26頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 40頁 1974年-1980年 50頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 57頁 1980年 63頁 モニカの日記より 1980年10月-12月 86頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 97頁 カンボジア 七〇年代 チャン家 112頁 モニカの日記より 1981年1月-1982年9月 129頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 139頁 カンボジア 七〇年代 チャン家 161頁 2016年6月18日 土曜日 170頁 2016年6月18日 土曜日 184頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 190頁 2016年6月18日 土曜日 193頁 2016年6月18日 土曜日 201頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 207頁 1986年夏 215頁 1986年秋 220頁 1992年9月-1993年7月 223頁 2016年6月18日 土曜日 233頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 239頁 1992年秋 245頁 1992年秋 261頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 267頁 1993年春 275頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 278頁 1993年春 295頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 298頁 2016年6月18日 土曜日 303頁 1994年-2004年 308頁 1996年夏 313頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 319頁 2004年-2016年 325頁 2016年6月18日 土曜日 331頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 337頁 2016年6月19日 日曜日 341頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 349頁 2016年6月19日 日曜日 351頁 2016年6月19日 日曜日 361頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 365頁 2016年6月19日 日曜日 368頁 2016年6月19日 日曜日 371頁 2016年6月19日 日曜日 374頁 カンボジア 七〇年代 メイ家 380頁 2016年6月19日 日曜日 388頁 エピローグ | ||||
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