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うぶすな参り



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【この小説が収録されている参考書籍】
うぶすな参り 鎌倉河岸捕物控(二十三の巻)

うぶすな参りの評価: 3.83/5点 レビュー 12件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.83pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全12件 1~12 1/1ページ
No.12:
(5pt)

満足です

とても綺麗で読みやすく満足しました。これからも利用したいです。
うぶすな参り 鎌倉河岸捕物控(二十三の巻)Amazon書評・レビュー:うぶすな参り 鎌倉河岸捕物控(二十三の巻)より
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No.11:
(5pt)

本の虫

「鎌倉河岸捕物控」は当初人に勧められて読み始めました。
次から次へと展開される内容に魅せられて、一気に二十二巻まで読み進めました。
二十三巻を手にして読み終わり、漸く日常の生活が戻ってきました。
家事を最小限にしてまで夢中になるほど読み終えた本は、
最近なかったと、本棚に並んだ二十三冊を眺めています。
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No.10:
(5pt)

とても良かった

鎌倉河岸シリーズの大ファンです。古本とは思えない綺麗な状態で大変良かったです。
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No.9:
(5pt)

楽しく読めました

シリーズのはじめから読んでおり、たまに中弛みかなと思うこともあるが、たいていは期待以上の作品です。この巻も楽しく読ませてもらいました。
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No.8:
(4pt)

シリーズ愛読

このシリーズをそろえています。おなじみのキャラクター、毎回おもしろい。
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No.7:
(3pt)

シリーズが広がってますね〜

現在、居眠り磐音と、これと、酔いどれ小藤次を読んでます
 どこまで続くんでしょうか・・

うぶすな参り 鎌倉河岸捕物控(二十三の巻)

 飾り十手/
 女こましの源二郎/
 蛍の別れ/
 庖丁正宗/
 包金さわぎ

 鎌倉河岸シリーズは、だいたい文庫本一冊の中に事件が三つ詰まってます
 今回は政次としほの間に生まれた11代目に夏吉という名前がついて
 そのうぶすな参り(お宮参りね)に行くぞ〜っていう時間軸の中で

1、蛍狩りの夜に殺された、金座裏の縄張りの住む娘の犯人捜し
2、大名家に伝わる、徳川からの拝領包丁のすりかえ事件の真相と犯人捜し
3、金座裏の裏戸口に置かれたニセ小判の事件

 の三つが描かれてます。

 政次はもともとは、名人級の飾り職人・勘次郎の息子で、コツコツする仕事は向かない、って自分で根回しして呉服屋の小僧になってます。それが、小さい子供の考えることじゃない、ってオヤジさんは、その段階で自分の跡取りにはならない、ってきっぱり諦めてました。
 でもその後、金座裏っていう十手持ちの跡取に見込まれて、養子に入ってますから、政次には二人のおやじ様がいる、ってことになる
 孫が生まれて、勘次郎は孫に会いたくないはずはないけど、遠慮します。ここらは江戸っ子
 勘次郎のつれあいのいせ、もそうそう金座裏には行けない
 今回は、そこらの親子関係のキビが見どころでした
 そして名人勘次郎が作った、子供向けの真鍮と銀の飾り十手、がいいですね〜
 金流しに銀のなえしに、真鍮と銀の飾り十手
 三本そろって、見事です
 
 最後のニセ小判の顛末は、短いし、サラリと流していて、ほんのおしるし、って感じですが
 その分、前半の政次と勘次郎の親子物語がいい感じなので満足です

、 うぶすな参り 鎌倉河岸捕物控(二十三の巻)
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No.6:
(5pt)

うぶすな参り

飾り十手が増え、これからの展開が楽しみ、3兄弟の行く末、しほの活躍は?
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No.5:
(5pt)

うぶすな参り

佐伯泰英ファンです。毎回楽しみにしております。江戸の人情が直に伝わってくるようです。
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No.4:
(4pt)

問題なし

非常に素早い対応で、発売日の次の日に届いた、ほぼ本屋さんより3-4時間前に手に入れたのかな
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No.3:
(2pt)

多作の罪

多作というより乱作かねぇ。岩ちゃんや濱哲さんによる「粗探し」も指摘通りかもしれんが、何よりも純粋に感激が薄い。毎度新鮮なプロットとストーリーを、というのは酷かもしれんが、評判を落としきらないうちに順番に幕を閉じた方がよさそうに思う。密命シリーズの最後なんか、読んじゃいられなかった。現時点で、それでもマァマァと感じるのは酔いどれ小藤次くらいかな。
 佐伯さんに限らず、時代劇小説の中でコミカルなものには幾つか面白い作はあるが、シリアスなものはつまらなくなってきたように感じる。門田さんなんかどうしようもないと思うし、鈴木英治・上田秀人も一時期ほどではない。長谷川卓の北町奉行捕物控は面白かったなあ。
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No.2:
(1pt)

時代小説の粗捜し(23) 時代考証ってのを、あまり粗末にすると

『鎌倉河岸捕物控』シリーズ(22)『よっ、十一代目』から続く、 

  小説とは、要は絵空事の世界なんで、時代考証というのも、時代小説にとっては作品を創作するさいの材料の一つにすぎないといえる。
  だから、書き手の作家さんが創作するストーリーのうえで、ぜひ必要と考えるのなら壊してもらったって一向に構わないと思うんだが、それならそれで、読み手を納得させるような物語の流れなり、もしくは作中で適宜の説明というのがあってしかるべきではないかと思うんだね。
  その点、筆者とて、時代考証絶対視を求める者でないことは、さきにお断りしておくが、しかし、あまりぞんざいに時代考証というものを扱ってくれると、本書のように、まるで理屈に合わないストーリーにしてしまったり、みっともないだけのチョンボを繰り返したり、作家先生ご自身の手でエンターテイメントの魅力をオジャンにするというような痛い目に遭うわけよ。
  さて、本書、『鎌倉河岸捕物控』シリーズ23、『うぶすな参り』のうちより、第5話、『包金さわぎ』
  名人とよばれた金座職人のせがれが、おまえは手癖がよくないと、金座への就職を断られた腹いせに、贋小判を拵えて市中を混乱させようと図るというストーリーだけれど、品川宿で飯盛り女郎あいてに贋小判を遣ったことで面が割れ、捕り方が贋造の作業場へ踏み込んだところ、『(政次若親分)「私がざっと調べただけでおよそ数千両の贋小判を造る材料がございました。なれど、実際に仕上げた贋小判はせいぜい百枚程度……」 』だったという。ところが、その前段では金座支配役・後藤庄三郎が、『実に巧妙な細工でございますが、地金の上にうっすらと金を被せた贋小判の手口……』とも説明しているのね。
  どうにも不可解なのは、この贋金造りの犯行に及んだ男が、どこから贋小判数千両ぶんにも及ぶ材料を手に入れたのか? の点。
  「うっすらと金を被せた」ような代物で、仮に純金分が本物の十分の一くらいにすぎないとしても、「数千両」ぶんの材料もとなると、入手するのに「数百両」にものぼる元手資金が必要だったはず。「プータロー(失業者)」らしきこの男が、どうやって贋小判を造る「金」を手当したのか? そこんところが全然、判らないんだわ。金座職人だった父親が金座からかっぱらって来たものか、それとも犯人がどこかへ盗人に入ったか、さて? と首を捻ってしまう。
  こんな出来損ないの筋書き、舞台を現代に置き換えてみると、簡単に底割れした話と解ることではないのかな。
  まだ、「昭和天皇在位60年記念金貨」の贋物が大量に出回った事件をご記憶の方も少なくないと思う。あれは日本政府・大蔵省のお役人が、約4万円ぶんチョイしか純金を含まない金貨を10万円と額面付けし、国民をスポイルしようと企んだ助平心が引き起こした事件だったが、あの大量の贋造金貨なんか、よほど大きな資金力と組織力を併せもつ犯人でないと、到底、出来るこっちゃない犯行と、誰でも推測するだろう。
  こちらの贋小判造り事件も、単独犯なら、せいぜい「贋小判百枚ぶんの材料」くらいでやめておけばストーリーを破綻させずに済んだのに、南北両町奉行+勘定奉行1人まで現場出動する大事件、そこで金座裏一統が「大手柄」を立てた話に仕立てるため、「数千両の贋小判を造る材料」なんて大げさな数字を持出したんだろう。だが、たかがチンピラ犯人1匹を相手に、この第5話のプロットじゃ、まるで話が宙に飛んで、読まされるほうは、どっと白けることおびただしいわ。ここは何としても、とんでもない巨悪がまだ背後に隠れていたとか何とか、もう一枚、どんでん返しに持って行きたいところだね。 
  でなければ、こちら金座後藤家でなく、銀座の「大黒常是」家のほうで事件を拵えちゃうとか。
  それと、吉原の「おいらん」じゃあるまいに、『品川宿だってぴんきりだろうが。よほどひどい旅籠だ……』の「安女郎」相手に、ぴかぴかの小判で揚代を払う野郎なんか何処にいるかって話。
  お侍でも下っ端の「若党」など、年俸わずか「3両1人扶持(で、サンピンというわけ)」っていう時代に、そんな派手な真似をしたら、目立っちゃって疑いを招くばかり、足が付くのも道理で、この犯人、幾らなんでも、あまりにも間抜けすぎるんではないかねぇ。また、宿場宿場には必ず旅人用に両替屋があり、小判なら、まず両替屋に持込んで、「南鐐2朱銀」や「寛永通宝(銅銭)」などの小銭に替えて支払いに充てるのが普通の流れ。もちろん、両替屋はプロフェッショナルなんで、すぐ贋金なんか見破ると、そういうのが江戸時代ってもんだったのよね。
  贋金の遣い方も、もう二捻りぐらいの工夫が必要だな。
  この『鎌倉河岸捕物控』、ひと通りシリーズ1冊目の『橘花の仇』から目を通しているが、こちらの作家先生のおつもりでは、いちおう推理小説の範疇に入れているんではないかと思うの。でも、毎度きわめて事件の仕掛けが安易なうえ、登場する犯人たちが知恵のない奴らだらけ。ぐいぐい読者の気持ちを捕物帖ワールドに引っ張り込む、いかにも「悪党」らしい「敵役の魅力」ってのを、まるで感じさせないキャラクターで歯ごたえのない連中ばかりなんだよね。
  第2話、『女こましの源次郎』
  事件の筋書きは簡単。
  で、時代考証のうえで問題になるのは、掘割にうつ伏せに沈んでいたという17歳の大店のお嬢さんの遺体を、「検視」に付すところ。
  『石町の時鐘が五つの刻限を告げて響いてきた』のちとあり、およそ午後8時以降の時刻となろう。お嬢さんの遺体を掘割から引き上げて自身番に運び込み、捜査の見込みを立てるため、政次が遺体を検める場面で、『提灯の灯りが照らしだす、ふっくらした腹部や色が少し変わった乳首が、「おぼこ娘」のそれでないように思えた。「ああ、間違いねえ。おけい(お嬢さんの名前)には男がいた」と宗五郎も……』と、そのあと、寺坂同心が北町奉行所お出入りの検視医横峰蘭慶さんを、『晩酌しているところから呼び出し』検視をしてもらったところ、『腹の大きさ具合からいって四月目かな。娘は親に知られたくないと必死で……』って仰るんだわ。
  でも、ちょっと待ってよ。まだ17歳の娘さんだよ。妊娠4ヶ月?
  こんな夜中に、自身番の行灯や提灯の照明くらいで、そんなことまで、ほんとうに解ったの? って疑問を持つのは筆者1人ではないだろう。
  行灯や提灯の明かりって、夜間でも電気の光が煌々と溢れる現代の感覚では中々ピンと来ないが、おっそろしく闇いもの。
  じつは、この江戸時代でも、すでに検視用マニュアル本というのが存在した。このマニュアル、隅々まで些細な見落としをも避けるため、遺体の検視は、必ず真っ昼間の時刻を選び、可能なかぎり直射日光の下で行なうようにと指示している。江戸時代ってのも、こういうところは、案外、確っかりしていたらしいのね。
  ほとんど手探り状態なはずの自身番の灯火で、17歳の娘の「色が少し変わった乳首」なんての、政次若親分、そんなところまで好く見分けが付いたねと皮肉の一つも口にしたくなる。そのくせ、『襲われたとき、歯を噛みしめたらしく唇がわずかに切れて、血が滲んでいた』なんて平へっちゃらで書き散らす。うつ伏せに水の中に沈んでいた遺体でっせ。とうに滲んでいた唇の血なんか洗い流されているんじゃないかねぇ。そのあと今度は、お嬢さんの遺体を実家に送り届ける段になるが、『先に知らせに走ったので、ちょうど大戸が開けられたところだった。政次は線香の匂いが店の奥から流れてくるのを感じながら……』なんぞと、とぼけたことを書く。遺体が帰っても来ないうちから線香なんか立てるもんじゃないって常識くらい持合わせてないの? と尋ねたくなる。
  ディテールの描写が粗雑なうえ、非常識な話でも、やたら矛盾した話でも、なんのその、ズンズンてのが、この『鎌倉河岸捕物控』シリーズの実に愉快なところ。
  でも、こんなの、お目の高い現代もの推理小説ファンの皆さんにつかまったら、たちまち、こてんぱんに叩かれるだろうなあ。これじゃあ、現代ものを書いたけど、「売れなかった」っての、なるほど好く解る。
  時代考証なんて、そうそう関心のある読者は多くないからねえ。現代推理小説では通用しないレベルでも、時代もの捕物帖にしちゃうと、こんなんでも読者が見過ごしてくれちゃうってわけなんだ。
  第4話、『包丁正宗』
  御小姓組番頭5千石、松平美作守忠篤さまというお旗本の危難を、例によって金座裏ご一統がスマートにお救い申上げたってのが粗筋。
  で、そのお旗本の殿様が、柳営の御用部屋へ出頭した下城の途中、ふいに思い立って金座裏一同に礼を言うつもりで立ち寄ったところ、たまたま金座裏では、『(宗五郎)「本日の集いはうちの孫のうぶすな参りの祝いでございましてね、座はこの界隈の方と嫁の縁戚の……」…(中略)…(松平美作守)「なに、金座裏の宴に予を招いてくれるのか」…(中略)……松平忠篤と井戸用人が宴の席に加わると、一段と賑やかになった』っていうお話なのね。
  でもねぇ〜え、5千石のご大身が公方様の御城に登城した帰りなら、御供って皆さんが大勢さん付添っているはずなんじゃないかい。
  現に、「乗り物」で来たってから、当然ながら四枚肩の御駕籠、陸尺が4人で担ぐアレでお越し。ほかに草履取1人、鑓持1人、はさみ箱持2人ほか警護の供侍や若党やら十数人ってところかな、〆て20人ほどのお行列を組んでいらっしゃっておいでなんではないかと思うんだけど、座敷に上げたのはお殿様とご用人と2人きり? 御供の皆さん方は路上に放ったらかしかね。
  でも、こういうの、せめて御供の皆さん方を、ごく近くなんでしょ、酒房「豊島屋」へでもご案内するくらいの気配りは見せて欲しかったよな。
  これって、安手の時代劇映画やテレビの見すぎと違う? 
  あっちは、ちょい役のエキストラでも、狩り出すと制作費が掛かるんで、なるべく、そういうのは省きたいというの、解ってあげるけど、小説に書いたって余分な費用が掛かるわけでなし。ここいらなんかも、気遣いすべきところ、粗忽に見落としてしまったってことの一つだね。
  なお、こちらのお殿様がお使いの一人称、「予」というのは、書物や手紙で使う文語。日常会話では使わないよ。
  大名や大身旗本クラスのお殿様でも会話の一人称は一般のお侍と共通で、目上や同輩に対しては、「拙者」「それがし」と言い、目下の者に向かっては、「身共」「我ら」など一人称複数形を使ったもの。これも安手な映画やテレビを見すぎた口だろうね。
  それから、ご身分のある方々は、行くなら行くで、若党の1人くらい、かならず先様にメッセンジャーボーイを走らせたもの。
  ここ、旗本家用人という井戸さんを、いささかボンクラに描きすぎたよ。
  急に思い立ったにしても、相手の迷惑考えずってのは、決して高いご身分の方々の立ち居振舞いじゃないからね。ご大身の行列が、こんな友だちん家へガキが遊びに行くみたいに押掛けるのって、こちら作家先生のお里が知れちゃうだけだよと、ご忠告申し上げたくなる。
  で、翌日になると、『台所では通いの女衆が来る前におみつとしほが昨日の内に洗ってあった膳や器を柔らかい布で空拭きして、蔵の中に仕舞いこむ作業を始めた。「お義母さん、昼前には大横丁の百川を訪ねて、昨日の支払いをしてきませんと……」 』だってさ。 
  この「百川」っての、「超」はつかないそうだが、2人連れであがると、「金1分」は取る一流料理茶屋という設定。
  きのうの「うぶすな参り」の宴席に料理の仕出しを頼んだってんだが、このへんの描写、こちらの作家先生の生活水準がかいま見えちゃって微笑えましく、思わず苦笑を誘われたね。
  このくらいハイクラスの料亭ともなると、いまどきのデリバリーショップじゃあるまいし、仕出しといってもペーパークラフトの折箱に料理を詰めて届けて来たのを、届け先のお宅で有り合わせの容器へ盛付けするってようなかたちを取るんではなく、板前さん自身が仕出し先まで、下拵えを済ませた食材はもちろん、什器備品いっさい箸にいたるまで見習いの若い衆にでも担がせて足を運び、お客様宅の厨房を借りて料理するってスタイルになるもんなのよ。
  こちら「百川」が、『板前を二人ほど派遣して、汁椀など金座裏で仕上げて供してくれた』っての、まさかここは、おみつさんが料金を値切り倒したせいで、汁ものを温めるだけって手抜きをされたと言いたくて書いたわけなんじゃないんでしょ。
  もちろん、宴席に提供したお膳や食器は、あとで引取りに来るし、支払いのほうだって、あらかじめ何時何日と約束して掛取りに来るのが、ちょっとした料理屋や仕出屋では通例の仕来り。そういうのが30〜40年くらい前でも当りまえの景色だった。
  近頃では、注文の出前を届けに来たとき、引換えに代金を支払うのが普通になっているが、それでも、近所の蕎麦屋に出前を頼んだって、あとで丼や皿は回収に来るじゃないか。
  いまでも高級ホテルの一流レストランなんかに出張料理(ただし、受けるところに限ってだが)を頼むと、ナイフ・フォークまで什器いっさい取り揃えてコックさんが注文先のお宅まで出張って来て、厨房を借りて調理し盛付けして出すね。
  要は、どこの家庭でも台所がダイニング・キッチンスタイルになってしまう前の、ちょいと気の利いたお屋敷の文化や暮らし向きなんか、わずか一昔前のことでも好くご存じないと。こちら作家先生ご自身のいまの生活レベルで、江戸時代のご大家の暮らしぶりを推量って、時代錯誤なお話を書いちゃったと、そういうことなんだろうな。『三代将軍家光様以来お目見えの古町町人』の格式を持ち、『座敷の三つの建具を取り払い、大きな広間にすると玄関座敷は、三十畳敷の大広間に早変わり……』とかいう、いかにも世襲で十代続いた金座裏一家の豪勢な「お・も・て・な・し」というのを、おおいに張ったりを利かせて演出したつもりが、却って作家先生の想像力が、まだ小市民の域に留まっているのを曝け出しちゃったって次第だね。
  それと、いつもながら、金座裏ご一統さんって、ほんとうにお江戸の地理に暗いねえ。
  こちらの作家先生だって、大学時代は東京暮らしだったはずなのに、お江戸って土地に、感心するほど土地勘ってのがないね。
  『彦四郎を猪牙舟に待たせて二人は、愛宕下通りを南に向かった。この界隈は大名家の上屋敷が門を連ね、さらに下ると愛宕権現の石段前に出た……』と。でも、この「下る」っての、読みは「さがる」でなく、「くだる」だよね。だとすると、「下る」「上る」が逆さまだ。いまどきの鉄道と違い、江戸時代は、千代田のお城を背にして、東海道や中仙道を、帝(みかど)のおわします京都に向かうほうが「上る」だったのよね。「お江戸日本橋七つ立ち、初上り……」でしょ。東京日本橋を基点に「下る」「上る」と言うようになったのは、むろんのこと東京が日本の首府になった明治以降。
  『蛍狩りどころじゃねえ、龍閑川で土左衛門を見付けたのか……』って、この掘割、「龍閑川」という名称は江戸時代からの名称ではないよ。『江戸名所図会』には「神田掘」と、「十返舎一九」作、『東海道中膝栗毛』では「神田八丁堀」という名称で出て来る。「龍閑橋」のほうは、すでに江戸時代から「りゅうかんばし」と呼ばれていたが、この掘割が「龍閑川」と命名されたのは、なんと「関東大震災後」だって。こちらの作家先生が小説の下敷きに使っているとおぼしき、『復元・江戸情報地図』にも、「りゅうかんがわ」って河川名は載ってないでしょ。そのうち、「東京」ってのも出して来るんじゃないかハラハラドキドキ。
  『駒込追分は中山道と日光街道の分かれ道の……』ってのは間違い。「日光街道」は浅草橋御門を出て御米蔵や浅草寺の脇をすり抜け、新鳥越橋で山谷堀を渡って千住から草加、越谷、粕壁、杉戸へと行くほうの道。お江戸から宇都宮まで、「日光街道」と「奥州街道」は重複していて、宇都宮で奥州街道と日光への道筋が枝分かれするかたちになっていたのね。本郷のこの追分で左右に分かれ左折する道筋は、「中山道」で正しいが、まっすぐ行くほうは「岩槻街道」で、またの名を「日光御成街道」と言った。徳川将軍家が日光東照宮を参詣するとき、「日光街道(奥州街道)」の行程には旅の初日に公方様がお泊りになるのにふさわしい適当な「お城」ってのがなく、それで1日目は、こちら「岩槻街道」を「御成り」になって、「岩槻城」で宿泊するのが恒例となっていたのね。それで、「御成」が付くのと、付かないのと、江戸から日光へ行く道筋が2つ通りあって、こんな厄っこしい話になるってわけ。
  政次若親分が、本郷台御弓丁通りに面する旗本屋敷を訪ねると、『敷地も六千坪と広いもので、庭には玉川上水の分流が引き込まれて、回遊式の庭園が広がっていた』だって。でもさ、この玉川上水って、あの多摩川の羽村堰から引いて来ている玉川上水なんでしょ。自然流下式の玉川上水の流れを、どうやって江戸城外濠の神田川を渡して、本郷の高台まで引き込んだんだろうかね。こちらの作家先生、ちょいちょい無意味な蛇足を書き込んで、ご自分からつまずくのがお得意。
  『亮吉は、金座の後藤庄三郎が乗った乗り物を追って、麻布本村町四之橋から新堀川左岸沿いに上流へと土手道を上がっていった。乗り物は尾行者を警戒する気配は全くない。陸尺はひたすら東海道を急いでいた……』と。しかし、この道順だと、現在は白金の「北里大学」のあるあたりを歩んでいることになるが、でも、この「東海道」って、どちらの東海道? まさか、『東海道四谷怪談』みたいに架空の東海道じゃないんでしょ。江戸時代の東海道って、ずーうっと海岸沿いのほうを通っていたよ。三田の「慶応大学」のところ、あそこを右に折れるほうの国道1号線ではなく、真っ直ぐ行く、現在は、おおむね「第一京浜国道(国道15号線)」沿いの道筋だったのよ。
  あーあ、くたびれた。まだまだ書こうと思えば幾らでも書くことはあるんだけれど、キリがないんで、今回ぶんは、この辺でご勘弁いただくわ。
  期待してまっせ、こちらの作家先生、次回作もチョンボだらけ。
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No.1:
(2pt)

駄作の王者?

もう、ね。血湧き肉躍る時代活劇なんてモノをこの作家さんに望むのは無理のようだ。
 この前刊行の吉原裏同心も今回も、なんだかなぁの内容に加え、包丁正宗の話なんぞちょっと読んだだけで先が見えてひねりも何も利いていない。
 毎度のことながら、時代考証の粗探しは濱哲さんにお任せ。
 こっちは文章の送りがなとか使い方とか、栗本薫のグインシリーズにもけっこういちゃもんつけてたんだが、本書でも読んでて「これ校正の段階で何とか出来ただろう」てな角川春樹事務所の担当者とかその他出版に携わってる人間がなんでこんなポカをやるかね?と首を傾げたくなる箇所がちらほら。こういうのって、読んでるうちにモヤモヤしてくるんだよね。
 たとえば、72ページ15行目から73ページ2行目までの政次の科白。「(前略)おけいの背丈は下駄をはいて五尺一寸五分ていどでしょう。(中略)下手人は五尺八寸から六尺を超えた程度の背の高い人間です」おいおい、同じ文章の中で同意語をひらがなと漢字を同居させるなって。その後の文章は「程度」で表してるのにここだけなんで?編集者さん。
 77ページ15行目、「横峰は親父のあとを継いで、医師になったばかりだが……」の下り。同心の寺坂毅一郎が金座裏で喋っているならこれでもよかろうが、普通人物説明に表すなら「横峰は父親のあとを継いで」だろうが。
 121ページ8行目、「柳橋の船宿の娘御でしたね……」→「船宿のお嬢さんでしたね」じゃないのか?
 読めば読むほどこういう珍妙な表現に出くわして苦笑しかない昨今の佐伯作品でした。
 ☆2つで十分でしょう。
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