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熱海湯けむり
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熱海湯けむりの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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佐伯泰英さんの時代小説をこの2年間、好んで読んでいる。その前は池波正太郎さんの時代小説を好んで読んでいた。 御両所は同じ時代小説でも少し味が違う。うまく表現できないが、この鎌倉河岸捕物控シリーズは江戸後期の庶民生活の感じがよく分かる。読んでいてどんどん引き込まれていく。 | ||||
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面白い。 | ||||
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希望通り。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 | ||||
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佐伯文学は忙しいサラリーマンにとって素晴らしい息抜きです。多少の粗さと文章のまずさはありますが、それでも読み続けます。 | ||||
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この作家の本は、好きというわけではないが、家にあるので、何も読むものがない時読んでみるんだけど、 毎回思うのは、話がくどい。本編というべき捕り物帳とは関係ない世間話や来歴説明が多いということ。 ひょっとして、字数合わせ? この作品では、江戸での若親分たちの物語と、熱海での親分たち温泉旅行組の物語が並行して進行していくんだけど、すごいというかあきれるのが、並行して進める必然性が全くないこと。2つのストーリーを順番に書いてるだけ。その気になれば、中編2作品にしてもいい話なんですね。 この作家はもしかして、あらすじというか、本編をまず書いて、後から神社仏閣や物事の来歴を書き足し、字数を見て、足りない字数を、登場人物同士の無意味な世間話的なもので埋めるという書き方をしてるんじゃないかしら。 江戸の小説、世話物や人情本は、書かれていない行間を読んで、情や粋を感じるのも、楽しみの一つなんだけど、この作家の作品は、どれもくどいくらいに言わずもがなの部分まで書かれているのが特徴。蛇足多し。なので、味わいがないというか、つまらない。 | ||||
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「文庫書きおろし」というスタイルがいけないのかなぁ。 この種の小説って、ふつう、まず雑誌なんかに連載され、次いでハードバックの単行本〜最後に文庫本という順で出版されるものだけど、いきなり文庫本だと、やっぱり、確かな目を持つ読者がついた『オール読物』、『小説新潮』など文芸誌と異なり、口煩くミスを指摘してくれる良質な読者に恵まれないせいか、それとも熱烈な佐伯泰英ファンさえ読んでくれたら結構と思ってんのか、時代考証なんか、調べてみようって気にはならないらしく、相変わらず詰まらない初歩的チョンボを連発している。 むろん時代小説には、野村胡堂師の『銭形平次』シリーズのように、いつまで経っても、ぜんぜん平次親分もお静さんも歳を取らないという、毛ほども時代性に捉われない行き方もある。それはそれで作家の見識だから是とするが、その代わり、「知った」ようなことはいっさい書いてないね。 ところが、こちら『鎌倉河岸捕物控』シリーズ。徳川時代のお江戸について知ったような科白を文中にチョコチョコ差し挟んで来るが、これが、どこで仕込んで来るのか、感心するほどセンスが悪く、ちょいちょい間違っているし、こういうのを編集者もチェックできないようで、まるで作家の先生も執筆姿勢を改めようとせず、近頃のは読んでも疲労を覚えるばかり。 さて、以下、すでに本シリーズ第一作の『橘花の仇』から前作『紫房の十手』まで、すでに筆者がレビューで指摘したチョンボは省くとして、本書中から作家さんのチョンボを幾つか拾って見よう。 第1話. 『「わしら、もう仕舞い駕篭に戻り馬だら、峠から浜まで二里はたっぷりあるら。無体ではねえら。慣れねえ山道で日が暮れると悪さをする野郎もでるら」』と、一行が箱根からの道中、熱海峠で出会った馬子たちが口にしたとあるが、この語尾「…ら」「…ら」って方言のようなの、こちらの先生、どちらの方面から仕入れたのかしら? 筆者は、あの辺の生まれでも地元育ちではないんで、断言はしないが、この「…ら」「…ら」って耳障りな語尾の羅列に、ものすごく違和感を感じる。だいたい甲斐・駿河・伊豆のあのあたりは、「きゃーる(蛙)がなくんで雨ずらよ〜(ちゃっきり節)」の「ずら弁」地域だよねぇ。 この妙ちきりんな「…ら」「…ら」って言葉遣い、かつて一度だって耳にした覚えがなく、まさか、場当たり的な思いつきででっちあげた作家さんの創作? だとしたら、そりゃあ〜ちょっと、あのへん、地元の人たちってのを舐めてんじゃないかい。 第2話、『脅しをかけようとしてしくじった武家らの後を追って、水道橋際の屋敷の裏口に姿を消したところまで見届けた。その屋敷がだれの屋敷か掴もうとしたが、なにしろ深夜の武家地だ。通りかかる人もいなかった。そこで…(中略)…人が往来をはじめた刻限、道具箱を肩にかついだ職人にその屋敷を尋ねると、……』 でもねぇ、亮吉さんさぁ、「寒さに震えて一夜を過ごした」のには同情するけれど、「武家地」なら「辻番所(=交番の元祖。町人地は「自身番屋」)」ってものがあるでしょうに、なぜ、気付かなかったのかしら? 『江戸切絵図』を確かめると、水道橋の近所には、橋番所をはじめ、いくつも「辻番」の所在がしるしてあるね。 江戸ご府内に900箇所あまりもあったという「辻番所」には、不寝番で番太が駐在して、深夜でも灯を点していたから、すぐ、それと判ったはず。どうして辻番を訪ねようとしなかったの? いくらなんでも、ちょいと間抜けすぎたねえ。反省しなくっちゃ、亮吉さん。 第3話、『「(宗五郎親分)ほう、おれの名を承知かね」』 この鎌倉河岸シリーズ中で、初めて親分が自分を指して「おれ」と言ったよ。 これまでずっと「わし」「わっし」だったんで、宗五郎親分って、てっきり関西出身者だと思ってたが、この場面では江戸っ子らしい「おれ」を使ったね。でも、この場面1回きり。あとはまた「わっし」に戻っちゃう。何なのコレ。 第4話、『「わっしは越前掘日比谷町の大工銀五郎にございますよ。この半年余り、豆州熱海にさるお武家様の別邸を建てるんで行っておりましてね、最前、江戸に戻ってきた……」』って、あんまり「大工銀五郎」さんにひどい馬鹿を言わせないでよね。 こちらの作家先生、ほんとうに武家社会の約束事や法制度に弱いんだねえ。 お武家様というのは、建前だけでも常在戦場なんで、「いざ鎌倉」ってときのために、旅行・外泊いっさい禁止のご身分だったのよ。 だから、お大名・お旗本・御家人などの徳川家直臣が、参勤交代や幕府の役務、個人目的を問わず旅に出るときは一々ご公儀の許可を得て指図を受けたもの。陪臣なら仕える主人のお許しが要った。遊郭の「吉原」も、主持ちのお侍は真っ昼間に行って夜は大門が閉まる前に必ず自宅に帰ったもので、泊りで行ったのは百姓・町人なんかだけ。 そんな窮屈な生活を強いられていたお武家様が、多少のめこぼしはあったにせよ、急いでも片道2泊3日は掛かりそうな「豆州熱海」に「別邸を建てる」って、そんなの、ご公儀が認めるわけがないのよね。 大名、旗本は江戸に上、中、下などのお屋敷を持ったが、これは幕府が下げ渡した屋敷地(土地のみ。家屋は自前で建てるもの)だし、なかには、幕府の許可を得て百姓地を買上げた「抱え屋敷」ってのもあったけれど、そもそもが、自領地でない他人様の支配地に、お武家が「別邸を建てる」って出来るこっちゃないのよね。何故っていえば、町奉行所のお役人が手出しできないのを見て解るとおり、武家屋敷ってのは、別邸だって何だって、それ自体が一つの「お城」、「陣屋」、「領土」ってものなんで、直属のご主君を除き、だれの容喙も寄せ付けない、いまの外国公館のような特権=治外法権(家支配権の絶対性)を持つものだったから。 こちらの先生みずから、本書に「熱海」は「伊豆代官所(正しくは韮山代官所=江川太郎左衛門家の世襲)の支配地」だって書いているじゃないの。 支配違いの土地にお武家が別邸を建てるって、そりゃあ敵地に「出城」を築くのも同然の行為で、いきなり斬った張ったの戦になっちゃうよ。 拵えるにしても、こんな突拍子もない出鱈目、好くまぁ拵えたもんだね。ご立派 ! お江戸の近郊、「根岸の里」か「向島」あたりにでも、「ご大身のお旗本が下屋敷を建てる」ことにするとか、「熱海」でないとストリーの繋がりに困るんなら、熱海の「伊豆山権現に庫裏を建てに行った」とでもしておけば、みっともない無知を曝け出さずに済んだのに、と思うな。 第5話、『「親分、名主の樽屋の家の前でばったりと……」』は、筆がすべったんでしょうな。 「樽屋」は「喜多村、奈良屋」と並ぶ「町年寄」だね。 江戸の民政を預かる町役人のトップが「町年寄3家」。いわば「世襲の区長(南北町奉行所と同じように3家の月番制になっていた)さん」というところかな。 そのもとに文豪「夏目漱石」さんのご実家のような「町名主」が約250家。さしづめ「町内会長さん」だろうか。 それから土地・家屋を所有する「町人」の「五人組」。 ここまでが町人身分。 これら地主・家持の代理人で貸地・貸家を管理して住人から賃料を取立てるのが役目の「大家」さんは、「準町人」ってところ。 長屋の住人、八っつぁん、熊さんたちは、土地家屋などの沽券地(不動産)を持たないため、地主・家主の家の寄人(よりゅうど)という立場。だから、長屋の八五郎が、お町の役人から呼出しを受けたりすると、必ず後見として係りの「名主・五人組(または代理人の大家)同道」で足を運ぶ決まりになっていた。江戸時代は土地を媒介とする封建制社会なんで、士農工商といっても、不動産を持たない借家・長屋の住民は、いわゆる意味での「町人」身分のうちにさえ数えてもらえなかった。 だから、「大家といえば親も同然」といって、末端の町役人にすぎない「大家」さんが偉そうに威張っていたってわけね。 『鎌倉河岸捕物控』(19)『針いっぽん』に続く。 | ||||
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