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引札屋おもん
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引札屋おもんの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全2件 1~2 1/1ページ
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本当に才覚のある引札屋であったならば、 顧客が豊島屋だけだった、とは、なるまい。 どうにも、端々の説得力に欠けるきらいがある。 | ||||
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すっかりハマっちゃったよ、この『鎌倉河岸捕物控』のチョンボ捜し。 さて、今回は江戸時代の旗本、御家人について。 第4話、「二百石以下をお目見以下と称して、おなじ幕臣ながら二百石以上を旗本、それ以下を御家人と区別した」というのは完全に作家先生のミステイク。 旗本、御家人の仕分けは「家格」による。 公方様とお直に対面できる「御目見資格」がある家柄の徳川宗家直参家臣を「旗本」、そうでない直参を「御家人」と呼んだ。町奉行所(正式には「御番所」)の「与力」は二百石取りで一騎、二騎と数える馬乗り身分なのに、「御目見以下」なので「御家人」だし、「勝海舟」の父親さん「勝小吉」は、50俵取り小十人組番士でも「御目見格の家柄」出身なんで「旗本」。あんなガラッパチ親父でも一度くらいは畏まって公方様にお目通りしたことがあるんだね(寄宿していた旗本岡野家の息子が家督を相続したときに、後見として勝小吉は上様のまえに御目見得に出た事実がある)。 お役目に就くと、本俸のほかに「お役料」が加算されたりすることもあるので、俸給の高だけでは旗本と御家人は区別できなかった(参考文献.「家禄実収百俵以下の旗本は、『寛政譜』に三百四十四家もあるのです」小川恭一著『江戸の旗本辞典』)。 ちなみに、知行取りは「石」、蔵米取りは「俵(徳川氏では玄米3斗5升=1俵とした)」、扶持米取りは何両(または現米何石)何人扶持」と俸給を数えた。いちばん下っ端のお侍「若党」は、お手当てが年俸「三両一人扶持(男扶持は1人玄米1日5合で年1石8斗)」だから「三一(サンピン)」というわけ。以下「中間・小者」は侍身分には入らない(江戸時代、1石は約180リットル。1石=10斗=100升=1000合。但し大正時代以後は1石=150kgの重量制)。 第5話、「町奉行と勘定奉行は、旗本高家から選抜され……」ってのは大外れ。 旗本のうち「高家」というのは、『忠臣蔵』の悪役「吉良上野介」のように、室町時代の守護大名や、お公家さんの出から続くような特別な由緒をもつ名家の家柄で、おもに江戸城中の儀典に預かった役職、「表高家」「奥高家」約30家をいう。残念ながら、江戸時代265年を通じて「高家」出身で「町奉行」や「勘定奉行」に就任した人間は1人もいない。 「(江戸)町奉行」は、だいたい「遠国奉行」や「御目付役」の経験者から、勘定奉行は、たいていは「遠国奉行」や「勘定吟味役」などを経験した旗本が選ばれて就任することになっていたもの。 『鎌倉河岸捕物控(7)下駄貫の死』に続く。 | ||||
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