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太平天国



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太平天国の評価: 4.48/5点 レビュー 23件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.48pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(2pt)

「いまの中国にも残る"太平天国"という未解決問題」という記事について

菊池教授のプレジデントの記事を読ませていただいた。「死者2000万人超は人類史上最大」だったかどうかは論ずる気はないが(過去未来にこれを越える人類史上の出来事がなかったのか&実際にそれだけの死者が出ていたのか等)このような社会的辺境に置かれた者たちが行う急進革命が「抑圧された民の異議申し立ては、しばしば自分たちがかかえた苦難の大きさゆえにエスノセントリズム(自民族中心主義)に陥り、他者の苦悩に対する理解を欠いてしまうからである。」「中国だけではない。ヨーロッパとの出会いをきっかけに始まったアジア近代の歴史は、しばしばその内部に復古主義的な傾向をもち、列強の植民地化が深まるほど抵抗は激しく非妥協的なものとなった。」という論理がが成り立つのかどうかに疑問がある。前者の論理、辺境のモノの革命が非寛容でエスノセントリズムであることが成立するかどうかについてではない、それがアジア近代の歴史の特徴であるかどうかについてだ。

いうまでもなく復古主義なのは近代革命の本家となった欧米でも同様だ。ハンナアレントも指摘するようにフランス革命だろうがアメリカ独立宣言だろうが何もないところから理念だけを頼りに社会を一から構成したのではなくある意味でのルネッサンスだった。彼らの革命はギリシャローマの原民主主義を参考にしそれを拡大解釈することで成立した。筆者菊池英明氏も認めるように太平天国の乱が参考にしたキリスト教文明も排他的であり、異教徒や異宗教徒への弾圧が伴った。Mフーコーが言ってるように近代の理性支配とそれ以前の魔女狩りは論理や手法が入れ替わっただけで排他性において共通しているだろう。皮肉なことにこの頃のアフターポスコロの議論の中で他社に対する寛容と多文化主義を謳うポスコロにおいても形を変えた不寛容さを持っていたことは暴露された。

以上の指摘は何を意味するのか。およそ近代を形作ったあらゆす理念、思想闘争、革命で不寛容でないものはないということだ。勿論、話を人類一般に広げれば生産的な話ができると言いたいのではない。確かに話をより地域時間限定にし、中国の場合、日本の場合、東南アジアの場合など、それに現代の中華人民共和国の場合、21世紀の日本の場合など括弧付けで議論した方が(中範囲理論かした方が)生産的な意見は言えるだろう。だが問題領域が人類全体という下地があることを忘れるべきでない。
太平天国にみる異文化受容 (世界史リブレット)Amazon書評・レビュー:太平天国にみる異文化受容 (世界史リブレット)より
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