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カノン



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【この小説が収録されている参考書籍】
カノン

カノンの評価: 4.65/5点 レビュー 17件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.65pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全17件 1~17 1/1ページ
No.17:
(5pt)

終章から読み始め正解

当初、脳の移植という小説の世界に入りづらくて、せめて終章だけでもと読みはじめ、最終的に全章を読んでしまいました。日常と異なる世界の物語を読むには、そんな読み方もあるのかと改めて知った次第です。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.16:
(5pt)

脳の自己と身体の自己

脳の自己と身体の自己の物語、
時間の物語、
そして、親子の物語として紡がれて、終る。

歌音の夫・拓郎の女性関係はなかったという体で書かれているが、もしその要素が入っていたらどうなっていただろうかと考えてしまう。あえて外したのだと思うが、拓郎の健気な描写は不憫に思える。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.15:
(5pt)

アイデンティティクライシス

近未来の話、海馬移植手術を巡るアイデンティティの物語。または、心とは何かを探る物語。海馬には記憶が保管されているという。その海馬の移殖により、新たな脳と肉体との折り合いをつけていく話だが、まずは、新しい海馬という記憶に脳と肉体がこれまでの習慣を主張して干渉するという。その後、新しい海馬と肉体が融和し更に新たな人格を形成するか、海馬と肉体が反発しあって破滅に向かうかということである。
58歳の広告業界の副部長、寒河江は末期がんで余命幾ばくもない。そして、ファッション界の雑誌編集者で小さな男の子を育てているカノンは海馬の委縮によって死期が迫る状況であり、正常な判断ができるうちに小さな子供のために海馬の移殖を望んだ。この二人が海馬を交換し、人生を交換することになる。
58歳の初老の男性が、小さな子供の母親になっていく格闘は見ていて辛い。リハビリと称して、女性言葉やしぐさ、メイクまで習得することになる。そして、紆余曲折があり、とうとう58歳の寒河江は、死んでいく自分の肉体とカノンの海馬に禁じられた面会をして、過去と別れを告げた。そして、新たな自分を肯定し、誇り高く「私はカノン」と高らかに叫ぶ。
寒河江・カノンは女性として夫との肉体関係は拒絶するが、子どもの母親役は必死で取り組む。それは、寒河江にとって役割をこなすことが身についていたためではないか。そして、役割をこなすことが心の不均衡を癒す効果があることを知っていたためではないか。それでも、何度も「だめだ」と思い、自殺を考えたが、子どものために死にゆく寒河江の体に入ったカノンの海馬のことを思うと死ねなかった。
この海馬移殖コーディネーターの黒沢が最後に、彼がこの移植の一例目であり夥しいリストカットの痕を見せた場面は、最後の「私はカノン!」というカノンの生命の叫びと共に深く印象に残った。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.14:
(3pt)

海馬を取り換えて別人になるということにピンとこなかったです。

外岡秀俊の北帰行がとてもよかったので、カノンを購入しました。海馬を取り換えるという設定にのることができず、最後まで違和感を持ち続けてしまいました。58歳の男性が30代の母親になるという設定はジェンダーの観点からも興味深いものかもしれないのですが、他の人格として生きるということがどうしても納得できなかったので、この評価にしました。文章は素晴らしかったです。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.13:
(5pt)

『何を以て自分とするか』について考えさせられた一作

私は今まで色んな男女入れ替わりモノを読んできましたが、一般文芸の作品においてこの作品ほど「自分とは何か」について突き詰めて考え出せられた一作はないと思います。
作品の主軸は脳移植モノをテーマとしたホームドラマなのですが突き詰めれば「何を以て『自分』とするか」という哲学的テーマが随所に散りばめられているように感じました。そこは作者の中原先生の手腕というべきところでしょうか。

作品内で主人公の歌音(北斗)は『氷坂歌音』として生きるため担当医の主導の元『リハビリ』という体で、彼女の性格、仕草、口調から何から何までをトレースして本人になろうとします。すべては残された息子の達也に母親という存在を残すためです。
リハビリを終え、退院をした頃には歌音(北斗)は口調や言動、仕草まですっかり以前の歌音と瓜二つになっていました。ここで『リハビリ』という単語が用いられるのが上手いなあと思いました。歌音の肉体にとって、北斗の意識や人格は歌音の肉体にとって『異物』なんです。そのために歌音(北斗)は、歌音であろうとするために自身のアイデンティティを歌音に寄せていきます。
物語が後半になる頃には身も心も歌音に染まりきり、「北斗」の面影はほとんどなくなってしまいます。そこにいるのはもう末期がんに冒された58歳の男性ではなく32歳の子持ちの女性となった歌音の姿。
では何を以て、「彼女は『北斗』だった」と言えるのか。
歌音になる際に、北斗は以前の自分の家族、妻の佐和子や娘のカオルと会うことを法律で禁止されています。生前の社会的地位や財産、家族などを全部手放して「歌音」に生まれ変わったのです。そしていま歌音(北斗)は北斗としての人格を捨て完全に歌音として振る舞っています。移植した海馬の脳細胞も、もう完全に歌音の脳細胞に置き換わっていることでしょう。
つまり今の歌音には「自身が寒河江北斗であった」と証明する証拠がないのです。もうほとんど歌音として生きているので、事情を知らない外部の人間からしてみると、今の彼女はどこからどう見ても歌音にしか見えません。
そんな今の彼女は本当に「寒河江北斗」だと言えるのでしょうか。末期癌に冒され本来の歌音の海馬が移植された北斗の肉体はじきに死ぬと思われます。そして当の北斗本人は今はもう完全に歌音として生きている。これはある意味「寒河江北斗という人間はもう死んでしまった」と言えるのではないでしょうか。
本人の意識からすれば生きているつもりでも、家族の佐和子やカオルからしてみれば「北斗」という人間はもう死んでいる。たとえどこかで別人の体で生きていると分かっていても、客観的な目線で見ればそれは「北斗という人間は死んでいる」と言えるのではないでしょうか。
あくまでこれは私個人の意見なので、実際にこの作品を読んだ方は違う印象を歌音(北斗)に持たれるかもしれません。これが読書の醍醐味ですよね。「読む人によって人物の印象は変わる」。読書会などでこの本を読む機会があればぜひこの作品の登場人物の印象を互いに交換してみるのはどうでしょうか。なにか新しい発見が見つけられるかもしれません。
あとこれは私がこの本を読み始めて1年後ぐらいに気付いたことなのですが、歌音(北斗)の一人称が「私」から「わたし」に変わるシーンが存在します。極めて自然に変化しているのでなかなか気づけないかもしれません。この作品、実は一人称に一定の法則が存在します。私はこのシーンを歌音(北斗)の意識が「歌音のフリをする北斗」から「歌音」に変わったシーンであると解釈していますが皆さんはどうでしょうか。

この作品、ぜひ学校図書などに薦めて読んでいただきたいです。
この作品以降、息子の達也くんや氷坂家がどのように成長していくかも気になってしまいます。ひいては続編、またはドラマ化などに期待したいですね。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.12:
(4pt)

人間が一体「誰にどうやって記憶されたいのか」を考えた

58歳の末期がん患者と記憶を失っていく32歳の女性の体と心が入れ替わるという設定。「心とは何か」がテーマなのだろうが私には同年齢の58歳の気持ちがよくわかる。亡くなるまで意識がのこり家族とコミュニケーションができる死に際がいいのか、苦しみも悲しみも全て忘却していくような痴呆がいいのか。人生は「死に向けて進む時計の針」だという主人公の言葉が真実を言い当てる。主人公カノンの母との再会では「誰にどうやって記憶されたいか」というドラッカーの言葉を思い出した。久しぶりに読んだ小説は深く静かな感動を残してくれた。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.11:
(5pt)

いい小説に出会えて良かった。

TS物作品をいろいろ読む過程でこの作品に出会いました。終始中身が58歳の還暦間近の男性と考えると微妙に思う所も有りますが、いろいろな壁にぶつかって悩み葛藤し成長していく主人公の姿を丁寧に描いているので、そんな事は関係なく、一気に読むことが出来ました。新たな体で女性として母親として頑張っていくその先の主人公も読んでみたいと思いました。最後は本当に感涙ものです。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.10:
(4pt)

ますますの発展を

銀杏並樹文学賞の『白い蝙蝠は飛ぶ』(菅走太郎名)も是非出版してください。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.9:
(5pt)

脳移植

若年性アルツハイマーの患者(内臓は元気だけど脳が死にゆく)と末期癌の患者(脳は元気だけど内臓が死にゆく)がお互いの海馬を取り替える、すなわち「脳移植」をするというストーリーです。しかも、この2人の患者の年齢、性別、家族構成が異なるので(4歳の男の子の母である32歳女性と30歳の娘がいる58歳男性)、治療後に次から次へ様々な困難が生じます。読者に休む間を与えないスリリングな内容で、困難に立ち向かう主人公の姿には感動を覚えます。

脳と心、脳と性、母と子、など医学、倫理学上の大切な問題について改めて考える機会になりました。多くの方に読んでいただきたい作品です。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.8:
(5pt)

人間の心のありかたを問う小説

タイトルの「カノン」には2つの意味が込められている。主人公である氷坂歌音(カノン)の名前と音楽様式のカノン(複数の声部が同じ旋律を演奏する様式)である。ある人物の肉体に別の人物の意識が埋め込まれた時に人はどう変わっていくのか。二人で一つの旋律を演奏できるのだろうか。まさに「カノン」が問われていくのである。

近未来の東京では、脳の記憶をつかさどる海馬の部分を2人の人間の間で交換する「脳間移植」の技術が実用化している。がんで余命わずかと宣告された58歳の男性、北斗は、この手術によって32歳の女性、歌音(カノン)との間で海馬を交換した。歌音はどんどん記憶が失われていく病に侵されていた。歌音は、このままでは母親の役割が果たせないと考えて手術を決意したのだった。海馬の移植後に北斗は歌音に生まれ変って、5歳児の母親として、電子書籍の編集者として振る舞うことを要求される。母と子のトラブル、妻と夫の乖離、職場での陰湿な企て、さまざまな問題が押し寄せてきて、当事者たちは苦悩する。その苦悩を乗り越えて主人公は「わたしは、カノン。氷坂カノンよ」と叫ぶのである。その声は私の耳にも届いたように感じられた。

海馬移植という先端医療技術に読者は衝撃を受けるだろうが、作者のねらいはもっと深いところにあって、この設定は主題を効果的に浮き上がらせるため装置に過ぎない。作者はインタビューに答えて、以前はがん患者や性同一障害者に対して「自分に偏見があったと強く感じた。異質な人間を理解することについて考えさせられ、男性が女性になり、子育てする設定を考えた」と語っている。作者は、この作品において、与えられた制約の中で、他人を理解し、他人を受け入れて、他人に同化する姿を描くことで、人間の心とは何か、私が私であるとは何かを問いかけている。SF仕立てのストーリーを通して人間存在の意味を問う主題は、ダニエル・キースの「アルジャーノンに花束を」,カズオ・イシグロの「私を離さないで」とも通底している。

この作品は、深いテーマを扱いながら、起伏に富む展開と巧みな人物造形により感動的な物語に仕上がっている。作者「中原清一郎」は、私が長年にわたって注目してきた元朝日新聞記者外岡秀俊氏の筆名である。外岡氏の再出発を大きな期待とともに祝福したい。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.7:
(5pt)

のめりこみました

最初、おじさんがお母さんということになじめず、理解できませんでいたが、だんだんとのめりこみました。さいごは、泣けます。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.6:
(4pt)

深く考えさせられたのも事実・・・

先進医療の進化は他人の体に移ることで天命を操作することが可能になるのか、それが人の幸せにつながるのだろうか・・
登場人物のこころの葛藤、乗り越えていく力強さ、家族の絆・・何度も物語に引き込まれながら、設定の斬新さに、どこか
立ち止まってしまうのも隠せなかった。

カズオ・イシグロの「私を離さないで」を思い出した。クローン人間の運命を描いた物語。先進医療が原点になっている
点では同じ類の感もあるが、私は心が強くない(?)のか、ストーリーの流れとしてはこちらの方に寄り添える気がする。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.5:
(5pt)

カノンの生き方

男性女性共に生きることへの執念と強さに打たれ、一気に読みました。
カノンの子供への母としての思いに打たれました。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.4:
(4pt)

カノンの心の不思議

海馬の移植手術という未知の世界で、記憶と心の葛藤と、心の動きがテンポよく展開されて興味を引いた。
人の心は弱いが、記憶=経験の積み重ねが心を悟りの域に高めると思う。この作品を読んで、生きること、心、記憶、人の満足の意味を考えさせられた。最後に男性に移植されたカノンの海馬から「ありがとう」の言葉には感動した。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.3:
(5pt)

自分とは何かを問い続ける物語

こういうありえない設定に興味ひかれ、読んでみました。近未来のSF小説のつもりで。

 でも、そんなきっかけを忘れ去ってくれるほどの感動ストーリーでした。何に感動するのかというと、自分らしさとは何か?を問い続け、その答えにたどり着く登場人物の努力と葛藤の姿に。

 最近ではダイバシティの取り組みが企業では注目され、男女の違いとか、国籍の違いとか、年齢の違いを受け入れていこうという姿勢が求められています。

 私達は多くの人にとって、生まれながらにして男女の区別、年齢の区別を与えられて育ってきました。それぞれの特徴や違いを理解できずに、衝突が生じることが多々あります。それはお互いが理解できないから。

 この脳間海馬移植という強制的な環境を与えられた登場人物とその周りの家族との関わりあいを通じて、もう一度、ダイバシティとは何かを考えさせられました。

 人の意識とはどこにあるのだろうか?

 それは脳に宿るのか、身体に宿るのか?

 そしてその関係が崩れたときに、自分とは何なのか?

 手術後の意識と身体のズレに苦しむ姿と、そこから本当の自分にたどりつくまでの本人と周りの家族の成長は涙を誘います。

 結局その答えにひとりでたどり着くことはできない。それは他人から教わるものなのかなと感じました。

 社会生活において、人間関係のひずみは避けられません。でもこの登場人物ほどに大きなひずみを経験することはないんじゃないでしょうか。

 そのひずみを少しずつ解いていく姿を自分に重ねてみると、日常生活が少し楽になるような気がしました。

 ぜひ映画化して欲しい作品です。

 「アルジャーノンに花束を」が好きなひとには、ぜひ読んで欲しいです。読んだひとにはこの感覚はわかってもらえるでしょう。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.2:
(5pt)

「北帰行」から三十七年経て発表した作品、年輪を経て成熟した作品となっている。

「北帰行」に続いてこの本を読んだ。というよりも、この本を読むために「北帰行」を再読したのだが、僭越ながら、「北帰行」を書いてから三十七年を経た人生経験の深さを感じさせるような佳い作品となっている。

 話は近未来の先端医療技術がもたらす、記憶障害のある脳と正常な脳との交換の話から始まる。文中では、これを「脳間海馬移植」と説明していた。

 脳は健全だが末期がんのために死にいく男性の海馬を、身体は健全だが記憶が失われていく女性の身体に移植し、一方で女性の海馬を余命わずかな男の身体に移植する、という設定で話は進む。いかに記憶が日々薄れていくとはいえ、女性の脳が末期がんの男の身体に移植され、逃れようの無い密室空間に捕われてしまうような状態になることを想像すると、読んでいて息苦しい思いに駆られるのだが、女性がその選択をしたのは、夫と一人息子のためであった。

 一方、自分の脳を女性の身体に移植した男は、ぎくしゃくした子育て、夫との付き合い、復帰した職場での違和感などに悩むが、身体のどこかに残る女性の意識が、窮地に陥った男を救い、その体験が次第に男であったときの自我を包み込んで新たな意識となり、息子や夫と調和していくのだった。この辺りの記述は読みごたえもあり、異常な設定ではあったが登場人物達の思いや会話に違和感を感じること無く、むしろ彼等の体験や考えに感じ入りながら読んだ。作者の作家としての力量によるものだと思う。

 作者は、性同一性障害者や、末期がんに対面した人の気持ちをどれだけ自分が偏見なく描くことが出来るか、をつきつめてみたかった、と対談の席で述べている。一方で私は、人に対する思いやり、生きることへのひたむきさ、それぞれの人の異なった生き方や考え方について、同じ視点に立って見ることが必要なときがある、というようなことを感じたものだった。その意味では作者の意図を汲み取ることが出来たものと自負している。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669
No.1:
(5pt)

生きるとは何かを教えられました。

末期がんに侵され,余命一年の58歳の男性,寒河江北斗。彼には献身的に介護する妻と30歳になる娘がいます。

ジンガメル症候群という治療法が無く,徐々にすべての記憶が失われていく難病に侵された32歳の美しい女性編集者,氷坂歌音(カノン)。彼女には夫と4歳になる男の子がいます。
彼女には,いずれ愛する夫と息子の記憶も失われ,最後にはただの抜け殻となる運命が待っています。

この二人が脳間海馬移植という方法で,それぞれの記憶を司る海馬を交換し,北斗の海馬は若い歌音の身体に,歌音の海馬は命が尽きようとする北斗の身体に移植されます。

歌音は,母親を亡くしてしまう息子の悲しみを思うあまり,58歳の男性である北斗に自らの身体を託し,母親として生きてもらうことを望みました。
歌音自身は,病に侵された北斗の肉体とともに死ぬという過酷な運命を受け入れながら。

女性として,また働く母親として生きることになった北斗の苦悩。歌音の子供を愛するあふれる想いが,交互に旋律となって繰り広げられます。
それは,生きる一瞬一瞬が,苦悩に満ちながら,かけがいの無い輝きに包まれたものでした。

終章を読みながら,思わず涙があふれました。
これほど素晴らしい作品を世に送り出してくれた作者に感謝します。

この作者の1986年に福武書店から出版され,現在は絶版となっている「未だ王化に染(したが)はず」も,ぜひ 読んで見たいです。
カノンAmazon書評・レビュー:カノンより
4309022669

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