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ボズのスケッチ
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ボズのスケッチの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.80pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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大枚8千円をはたいてこの本を買ったのは、「翻訳者の良心」を確かめたかったからである。 岩波文庫版『ボズのスケッチ 短編小説篇』は、誤訳、迷訳、はては自分勝手な創作訳(英語が読めない受験生の苦し紛れの英文和訳によくある類)の「宝庫」として大いに評判になった。「大いに」といっても、いかに文豪の手になるものとはいえ、こんなマイナーな作品を読む人はごく少数だっただろうから、これは誇張した表現だ。しかし、ディケンズあるいは英語の専門家からは手厳しく指弾されたことは事実である。何しろ、「第1話の誤訳を指摘するだけでも優に1冊の本が書けそう」(金山亮太氏評)というほどなのだ。 だが、このような翻訳が世に出てしまった責任は翻訳者本人にはない。なんといっても岩波文庫だ。れっきとした編集者がいたはずである。その編集者が自分で原文と対照してみていたら、あるいは専門家に少しでも助言を求めていたら、とんでもない翻訳であることはすぐに分かったはずなのに。 世の悪評がその編集者にも届いたのだろう。訳者の藤岡啓介氏自身が翻訳関係のサイトのコラムにずいぶん前(2006年頃)に書いていたところによると「[『ボズのスケッチ』には「短編小説篇」の]他に三部「我らが教区」「情景篇」「人物篇」がありますが、これらもすべて訳了。続編として出版される予定です」となっていたが、さすがに岩波からは「完訳版」は出なかったのである。 ところが、藤岡氏はこの訳書によほどの執念があったとみえる。今回の「待望の完訳版」の出版(自費だろうから、相当高額の出版費用を負担したはずだ)に踏み切ったのだ。 これほどの執念は、徹底的な改稿によって名誉を挽回しようという動機から発しているに違いない。せめて初歩的な誤訳だけでもできるだけ直そう、それが良心的な翻訳者というもの……。 などとは藤岡氏がつゆほども考えなかったこと、何の反省もしていないことは本書を開いてみてすぐに明らかになった。金山氏の詳細な書評で指摘されていた誤訳はそのままで全く修正されていない。さらに、新たに訳出された「我らが教区篇」「情景篇」「人物篇」にも新たな誤訳、自分勝手な創作訳(超訳?)があるわ、あるわ……。 今回の「完訳版」には編集者がいた形跡はない。ということは、この翻訳を出版した責任は藤岡氏一人にある。「翻訳者の良心」を確認したかったのだが、それはものの見事に裏切られた。 このような厚顔無恥の背景には、「英語屋さん」という人種の存在がある。英語の翻訳で飯を食う連中である。というと、翻訳者と重なりそうだが、ちょっと違う。翻訳も少しはするが、それよりも翻訳者を志す若い人たちに翻訳の手ほどきをする本を出したり、教室を開いたりして、かなりの利益を得ているのが「英語屋さん」たちなのだ。アマゾンで「英語翻訳」とか「翻訳家」をキーワードにして検索すると、「英語屋さん」たちの本がぞろぞろ出てくるが、藤岡氏も『英語翻訳練習帳』、『英文を読み解き訳す―出版翻訳デビューの手ほどき』などを出版している。氏も「英語屋さん」の一人なのだ。(ちなみに、このレビューのタイトルの「傲慢訳・怠慢訳・横着訳」は『英語翻訳練習帳』の中で藤岡氏が糾弾している悪しき翻訳に対する呼称を拝借せていただいたもの。) 藤岡氏とそのお仲間の「英語屋さん」たちには次のような共通の特徴がある。 (1) 自分の英語翻訳能力について絶対的な自信がある (2) 自己評価がきわめて高く自己宣伝に熱心である (3) 日本語が達者なように見える (4) 肝心の英語読解能力はかなりあやしい 藤岡氏が、anything butという基本的な熟語の誤訳すら放置していながら、恥の上塗りとも思わないらしいのがなぜかは、氏が「英語屋さん」であることを知ると納得できる。 翻訳者をめざす若い人たちは、この自信過剰と一見達者な日本語にゆめゆめ惑わされないようにしていただきたい。「英語屋さん」たちの翻訳の実力は本書が証明している通りだ。そもそも翻訳で飯を食うというのは至難の業で、たいていはできない。「英語屋さん」たちにお金をつぎ込むだけ無駄である。 | ||||
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