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流星たちの宴



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【この小説が収録されている参考書籍】
流星たちの宴
流星たちの宴 (新潮文庫)

流星たちの宴の評価: 4.00/10点 レビュー 1件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.00pt

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No.1:
(4pt)

自分の世界に酔っているだけ

非常に独特のリリシズムを持った作家だ。己の美意識に従ったその作風は胡散臭さと紙一重のバランスで、ぎりぎり読むに値する、そんな危うさを感じた。自作の歌詞まで載せているくらいだから、気障と云ってもいいだろう。
そしてこれは自身が相場の世界で大被害を被った経験を活かした作品であり、主人公梨田は作者自身が十二分に投影された姿であろう。そう、この作品は作者の過去との訣別のために書かれた、そう断言しても間違いではない。

本作の舞台となる相場師の世界。ありもしない資金を投じて、株価吊り上げを行う様は、某IT企業の若い社長が世間に株価暴落ショックをもたらした例の事件を思わせる。そしてこれはその事件が起こる10年も前、平成6年に書かれた物。更に作中の時代は遡り、バブルの時代の物語である。ここにこんな教訓がきちんと書いてあるのに、同じ事が繰り返される。人間は愚かというか、金の魔力ゆえというか。
そしてこれらの世界はやはり作者がその世界に身を投じているからこそ書ける物で、かなり独特の雰囲気に満ちている。単なる堅気では書けない人を見る目、世界を見る目で以って書かれた世界だ。作者自身が作中で主人公が独白する“向こう側の世界”に身を置いた、もしくは知る者であることを示唆している。

こういうリリシズムに満ちた作品はチャンドラーを初め、国内作家の志水辰夫氏、大沢在昌氏、原尞氏など、私はかなり好きなのだが、この作品に関しては読中、なんとも云えないもやもやとした感じが拭えなかった。これは何だろうとずっと考えていたが、ようやく解った。

まずこの作者の文体についてだ。
美しい文体というのはどこか作者の自己陶酔と紙一重のところがある。自己陶酔で書かれた文章というのは、夜に書かれたラヴレターのような文章だ。つまり一夜明けて読むとその時の熱意が白々しく思える、陳腐な文章だ。
で、この作家の文章はというと、美文と自己陶酔の境目を右往左往している、そんな印象を受けた。時に読者を酔わせもするが、白々しくも感じさせたりもする。自らの人生経験で培った美意識を、出来うる限り詰め込んでいるのが、文面からひしひしと伝わってはくる。
これが合うか否かで読者の印象はガラリと変わる。私にはどうも読みにくいように感じた。

そしてこの主人公梨田、この男の造形である。相場の世界で他人の金で一儲けする裏家業に身を浸す男である梨田は真に卑しき街を歩く者なのだが、終始どうにも共感できない人物像だった。
矜持を持ち、こだわりを捨てずにかつての恩人の弔いのために、再び相場の世界に身を投じる。かつて行けなかった犯罪に手を染める向こう側に行く事を覚悟し、自分の信じる道を突き進む。
しかし、作者が意図して創作した上記のような設定は認めつつも、どうしても何かが違うように感じてならなかった。そしてそれはこの男はただ人から見られる外見を気にしているに過ぎないことに気付いた。
かっこ悪いところを見せない男であり、しかもそれは読者の前でもまたそうなのだ。卑しき街を行く男どもの話を読むのは私は大変好きである。彼らには自分にはない矜持とか守るべき何かがある。しかし私が彼らを好きなのはそれだけではなく、彼らが一様に弱さを秘めており、また人前で無様な姿を見せたりするからこそ共感できるキャラクターになっているのだ。減らず口を叩いたり、度胸がいい割には腕っぷしが強くなかったり、もしくは非常にだらしない男である、生活欠陥者とでもいうべき人間だったり、女の前では弱かったり、そういう完璧さを覆す欠点が読者にとってそのキャラクターに親近感を抱かせるのだ。
しかし本作の主人公梨田という男にはそれが一切ない。腕っぷしは立たないかもしれないが、やられる前、いや傷つく前に友人のヤクザに助けられるし、一文無しになったゼロからのスタートだといっても口八丁手八丁で金のないところを周りに悟らせない。また金が無くなっても身に着けている物は高級ブランド品ばかり、車はポンコツ車などには乗らない。つまりなんとも嫌味な男なのだ。
これは作者自身が相場の世界という情報や風評を重視し、他人への信頼を何よりも気にする世界に身を浸からせた男だからこそ外見を気にするのだろうが、なんとも気障ったらしいな、と鼻につく感じが最後まで取れなかった。

そして唐突に迎える物語の終焉。冒頭のエピソードで語られる梨田が服役3年に処されるまでの話が語られるかと思ったら、そうではなく、自分が囲った女の手記で物語は閉じられ、繋がりが放置されたままで投げ出される。
つまり作者は結末は既に書いてると云っているのだろうが、これがなんとも呆気に取られる閉じられ方なのだ。つまりミステリとして読んだ時に、一番要となる“どうしてそうなったのか?”という核心の部分をすっぽかしたままなのだ(ちなみに本作品、’95年版『このミス』第9位である)。結局、読者はこの作者の自慢話を、作者の美学を延々と聞かされただけなのか。読後の今、そんな風にしか思えない。
作中、一人の女性が主人公に対して云う台詞がある。貴方は自分の世界に酔っているだけだと。正にそんな作品だ。残念ながら私はその領域まで酔えなかった。

Tetchy
WHOKS60S

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