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風の果て
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風の果ての評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.74pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全57件 1~20 1/3ページ
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状態はきれいで、申し分ありません。 | ||||
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東北地方の某藩での策略に満ちた政争にからむ物語、時代は寛政の頃。藩の財政は逼迫し、農民階級はもとより、士族階級の生活も苦しい。多くの武士が内職で食い繋ぐ有様で、藩内の気風は荒れ不測の事態も起こりかねない。苦境を脱しようと藩には以前から荒れ地を開墾して農地にする計画があるのだが失敗続きだった。問題は農地に必要な水をどのようにして引き込むのか、にある。農村担当の役職にある下級武士出身の主人公も打開策はないものかと苦心する。 物語は初老に近い年齢の主人公の動きと、そして昔部屋住みの若侍だった頃や中年の頃のエピソードが交互に描かれる。いくつかの時代を行ったり来たりするので話が分かり難いかと思えばさにあらず、私のような半ボケ老人でもすっきりと読めるのは流石練達の作者の腕だと感心した。 上、下巻全体を読んでの感想としては藤沢の作品としてはなにか薄味だという感じである。話の最後に何かドンデン返しがあるかと思ったがそれはなかった。主人公の成長物語として読むこともできるが。 令和の現在でも世の中あちらこちらから暮らしが大変だ、という声が聞こえる。しかし、この小説に登場する江戸時代の人間に言わせるならば令和の時代は天国みたいだと言うだろう。誰でも医者にかかれるし、飢え死になどは仮にあったとしても例外中の例外だ。当時、上も下も食うや食わずのぎりぎりの生活で中には大名倒産と言ったような話もあったのは何故だろうか。生産に比べて人口が増えすぎたためか、米のみに依存した経済のあり方が無理だったのか。読み終わったところで妙なことを考えている。 | ||||
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. 剣の達人である下級武士の生涯を描く作品であり、青春時代 の淡い恋の回想を絡めてストーリーが展開していく。 恋あり、友情あり、お家騒動あり・・・藤沢作品のエキスを 集約したような見事な名作である。 淡い初恋が縦糸となって描かれていく、正義を貫く一人の武士の 生きざまは、清冽であり、また爽やかな感動を呼び起こす。 ラストの、初恋の人「お福」のと邂逅が、作品全体の終結として 深い余韻を残す作品である。 | ||||
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登場人物がとても多く、江戸時代の名前ですので少し戸惑いましたが、面白かったです。 | ||||
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藤沢周平作品は、華々しく活躍した人物ではなく、ごく普通の人々の日常を、人情豊かに描くイメージがありましたが・・ 意外でした。下級武士から藩の中枢にまで出世を遂げる主人公。しかし、その過程では、様々な葛藤や争いがあり・・ラスト、その心中に去来するものは、決して手放しで喜べる充実感ではない。 これでよかったのか、いや、こうするしかなかった・・ 自分の人生を振り返る時、人は誰しも、楽しかったことや喜びと共に、ある種の苦さを味わうのではないでしょうか。 | ||||
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時代小説は過去の時代を借りて現代の読者に訴える。 私は、作者の士道小説が好きだ。特にユーモアが漂うようになってからのものが。士道小説は最後には刀にかける。そこに話の終着点をみる。いわゆる世話ものはどうにも読む気にならない。それでは世界が広がりにくいが、わたしは気にいったものは繰り返し読む。数年サイクルで読み直すので余り困らない。むしろそのようなものが私にとっての名作となる。 | ||||
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藤沢周平の本は数多く読んだ。「獄医立花登手控え」「三屋清左衛門残日録」「用心棒日月抄」など傑作の数々。本書はやや地味で、ぐっとこなかった。 | ||||
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本棚から抜けていたので、追加しました | ||||
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アマゾン配達員は配達のノウハウ持ってるの?教育受けているの?アマゾンさんはこれでいいの?もう買わない 退会検討中 | ||||
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下士の家に生まれた部屋住から出世して家老迄に登り詰め、幾つかの政争を経て得たものは大きいが、失ったものも多数。青年期の青く切ない気持ちもいつの間にか老獪さへと変わり人生を過ごした老いも感じる。じぶんの人生と重ね合わせて考えさせられた。 | ||||
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迅速に対応していただき満足しています。 | ||||
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下巻は主人公の出世物語。いくつかの偶然をきっかけとして、主人公は徐々に藩政つまり政治への関わりを深めていくこととなる。つまり異例の出世。そのカギは例の新しい開墾地の開拓だ。江戸から来た測量士の助けにより、開拓は一歩一歩進められていく。そのカギは豪商の金を利用しての開拓だ。今の言葉でいうと民営化というかproject financeだ。 この帰結は、過去の友人である人物との対立を生み出すことになる。この対立は対立する派閥の一掃にまでつながる。これで一応はめでたしめでたしとなるのだが、ここにもう一人の友人から果たし状が送られてくる。つまり本作品の発端に戻るのだ。ここから先を語るとネタバレになるのでこの程度しかかけない。 本書の最後は、主人公の独白で締めくくられる。この独白はどう理解したいいのだろうか。清濁を併せ呑み、たどり着ける場所にたどり着いた。ただどれほど当初の思いが実現できたというのだろうか。政治は可能性の技術といわれるが、可能性の追求の果て(風の果て)に待ち受けていたものは? 読後感としては、地味の一言に尽きる。長編ということもあり、「春秋山伏記」や「義民が駈ける」よりは面白かった。ただ最後まで明らかにされないのは、この果たし状の背景だろうか。どうもこの背景が説得力を持って語られてはいないのだ。またこの果たし状の送り手に関するいくつかの謎もかたられることのないまま終結ということになる。これは本作品の無視できない瑕疵といわざるを得ない。 | ||||
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2冊ほど藤沢周平のいわゆる「鶴岡」もの(正確には春秋山伏記」は鶴岡ものとは言えないかもしれないが)を読んだのだが、どうもあまりしっくりこなかった。藤沢周平といえば、今も読み続けられている有名な作家だ。なぜあまりしっくりこないのか、もしかしたら、選んだ作品がまずかったのかと思い、別な作品を探してみた。 いわゆる「江戸もの」はあまり読まないことにしている。この種の江戸の町を舞台にしたシリーズは、過去の経験から、どの作家の場合も、どれも似たような話が繰り返され、ちょっと経つとその筋も忘れてしまうことが多いのだ。それにもともと江戸という場所にはあまり興味がないのだ。というわけで、探してみたのだが、近くの図書館分室には、限られた作品しかない。そこで選んだのがこの「風の果て」だ。 舞台はというと、明示されず架空の藩が設定されているようだが、ある方のブログによると、これも「海坂藩物語」ではないかとのこと。海坂藩とは、藤沢によって作品の舞台にしばしば与えられた架空の地名。藤沢によってこの藩のモデルについての明言はされていないものの、場所や風景の描写は、庄内藩並びにその城下町鶴岡がモチーフになっていると考えられているらしい。本作品でも、地名や風景の描写が細かくなされているが、私はこの地域は訪れたことはないので、残念ながらなかなかイメージはわかないのだが。 時代は先のブログによると、化政時代(19世紀前半)とのこと。話は、藩の家老に若いころからの知り合いから果たし状が届くところから始まる。果たし状とは穏やかではないが、果たし状の経緯はすぐには明確にされず、時代を遡ることで徐々に明らかにされるような仕掛けになっている。 この時代の地方の藩を扱った作品はどういうわけか、財政が困難に陥ったケースがテーマになるものが多いようだ。この作品もそうだ。コメの収穫に基づく年貢だけでは膨れ上がった藩の財政は成り立たず、実際には経済の実権を握る商人(金貸し)からの借金(大名貸し)で回しているの実情なのだ。つまり金利だけを払うことにより、元本の返済は永遠に繰り延べということなのだろう。その借金も抜本的な対策がなされないため、元本は増え続け、この不健全な財政状況から抜け出すために鍵となるのは、新しい土地の開墾による石高の増加なのだ。本書でもこの開墾とその路線をめぐる藩内部の対立が裏のテーマとなっている。 太平の世が続いたこの化政時代になると、もはや武の象徴としての武士や侍はその存在意義が怪しくなってきており、そこにいろいろな制度や習慣と経済の実態との間の矛盾が明らかになってくる。その中で、いやそのような状況だからこそ、本書の主人公は養子に行くしかない下級の武士から藩の家老にまで成り上がるのだが、その経緯が描かれるのが、この作品の「上巻」だ。一種のbildungsroman(教養小説)といってもいいだろうが、話の中身と時代の拘束はいかにも散文的で地味だ。サラリーマンの会社での出世話ともいっていいだろう。さて下巻ではどう話は展開していくのだろう。 | ||||
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又左衛門だったり隼太だったり、今と若き日をうまく書き分けています。 今の又左衛門の年齢は、私より少し若いくらいかと思います。 おもしろく読めています。 最近の時代作家さんの作品ももちろん読みますが、藤沢作品に触れると ストーリーだけではなく日本語の美しさを嬉しく感じます。 | ||||
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名著 | ||||
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主人公は、とある藩の下級武家の次男。 文であれ、武であれ、才を認められて新たに家を興すか、 何ぞの家に婿入りするか、 自立への道は、この二つにひとつ。さもないと一生「厄介叔父」として、兄に養われる日陰の身、となる。 本作(上巻)では、主人公を含む下級武家の次男以下「部屋住み」四人の、「学問や武芸に精出」す青春期から自立への道程が描かれる。各自様々に思いを抱いて進むも、その各々の思いを超えて、人生はやがて定まって行く。そうした各々の道程と「果て」としての現在が、行きつ戻りつしながら、著者の綿密な筆致と優れた描写で、時に伸びやかに、時に緊迫感を帯びて、綴られる。ある者は、婿入りした妻女の「男女のかかわり合い」を発端に男を殺めた果てに身を滅ぼし、ある者は、普請組禄高二十石に婿入りし「性根を据」えて地道に妻子との暮らしを成し、ある者は、件の男を殺めた友への「討手」や要人の「護衛」に任じられて鬱屈を溜め込んで行く。対し主人公は、壮大な荒れ地開拓を夢見、やがて機縁を得て農政家に婿入りして家業を継ぎ、もう一人の「同じ時期に片貝道場に入門した仲間」である上級武家の嫡男の藩政奪取に与して藩中枢食い込みの足掛かりを築いて行く。 上巻はここまでとなるが、表題にいう「風」とは、思いを超えて各々の人生を定め行く、運をも含む眼には見えない、抗えない力ともいうべきか。著者の数奇な人生から導かれた、苦さを秘める複雑な思いが、沁み沁みと伝わって来る。 | ||||
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本作(上・下巻)は、著者の代表作である「蝉しぐれ」と「三屋清左衛門残日録」の先駆をなすもので、この二作の筋立てが混在している。一つには下級武家次男以下「部屋住み」の青春から自立への物語であり、二つには藩政中枢を巡る権力闘争の物語であり、三つには藩政首席を占めたが故の悲喜の物語である。そこに一人の上級武家嫡男も加わるが、云わば物語に拡がりを持たせるための役回りと解してよかろう。 下級武家の次男である主人公は、この三つの全てに関わる。青春時は文武両道に励み、壮大な荒れ地開拓を夢見、やがて機縁を得て農政家に婿入りして家業を継ぎ、荒れ地開拓を成功させて藩政中枢に食い込み、上級武家嫡男との政争に打ち勝って藩政首席に昇る。嘗ての仲間は、人生を歩むに連れ、道を異にしたり、交差させたりする。交差は件の藩政を巡る争いや、意地を掛けた果し合いである。主人公は、その何れにも勝ちはするが、抱くのは悦びだけではない。苦みもある。 こうして身分制の家を単位とする制約された時代の、下級武家「部屋住み」の人生を切り拓く姿を通して、生きることの意義を、読み手に問い掛ける。時代小説の持つ時空を超えた魅力であり、藤沢文学の一際の冴えでもある。現役であった30年程前に初めて手にし、今回で7回目となる。無論その時々で味わいに変化は生じるものの、都度に鮮度は改まり、感慨は新たになる。大切な導きの本となっている。 | ||||
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長い間かかって、少しずつ読みました。この作者の小説はそれができます。以前、テレビドラマで見ましたが、もうひとつわからなかった部分がくっきりとし、小説でしか味わえないものがありました。 | ||||
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この本は、藤沢小説には珍しく時間倒置が多用されています。ただ、どこの時代かが分かるように名前の呼び名が変わります。さらには、長編だからですから当然ですが、多彩な人物が登場します。一気に気合を入れて読まないと「筋みち」が分からなくなります。 実は、本を読む前にテレビドラマで観ました。最初のころ適当に観てたら分からなくなってしまいました。幸いにも録画してましたから冒頭から見直しました。ドラマは配役が若い頃と熟年時を別の俳優さんになります。ドラマ内の名前も変わります。ドラマの3話目を観終わったところで本を読んでみたくなりました。 上巻を読み終えました。これから下巻です。楽しみ〜です。いざ! | ||||
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上巻の読後、一挙に下巻を読み終えました。下巻は回想にも多くの頁が割かれてますが、いつもの藤沢さんペースで混乱することはありませんでした。また、終身雇用であることの方が当たり前に感じられる世代(私ら)には、時代小説ではなく、バブル期前後の企業を扱った現代小説にも通ずる人間の性がえがかれてるように感じました。 上下通しで一気に読んで下さい。 | ||||
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