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イエスの生涯
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イエスの生涯の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全89件 61~80 4/5ページ
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神としてのイエスではなく、人間としての苦悩するイエス像から、当時の様子をよりリアルに描き出している。 そして、このイエス像を通して、キリスト教に関する以下の2つの根本的な問いに説得力のある説明を加えている。 1)イエスは、なぜ、十字架にかけられなければならなかったのか。 2)イエスの復活は、何をもたらしたのか。 この説明が、いわゆる歴史的証拠や謎解きによってなされている一般の解説書ではなく、遠藤周作の秀逸の文章により、我々の心に直接訴えかけることによって実現されているところが、本書の最大の価値だと思います。 | ||||
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聖書の英語本はタダで入手できる。みてみたが、とても読めない。文のはじめに数字が書いてあるので、うっとおしい、からだ。大好きな遠藤さんが書いたから言うわけではないが、この本に書いてあることはわかりやすかった。それだけ。内容については宗教的なことだから読者の解釈で違うから書く意味はない。カトリック教徒だった遠藤さんの解釈はこうなのですか、でいいと思う。この本の続編が「キリストの誕生」だ。この2冊を読んだ。面白かったです。 ただ言っておきたい。遠藤さんは11歳で洗礼を受けてから、カソリック教徒であった期間が長い。マルコ、ヨハネ、マタイ、ルカは全部穴の開くほど読んでいる(らしい)。旧約も、ほかのなんとか文も読んでいる。インチキではない。某小説家のように、インドを旅してから、いかにもそれで仏教の本が書けると思って、商売のために、本を売っている人とは違う(らしい)。この2冊の本は50年くらいの思索や悩みの集大成だと感じられました。素直な内容でうれしかった。ところどころ涙がでました。 | ||||
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キリスト教って何だろう?と思い、聖書の途中で早々と挫折した私が最後まで読めた本。 遠藤周作先生のキリスト教を題材にした「死海のほとり」「留学」も読みました。(「沈黙」はまだ) その中でも一番、胸にぐっときた作品。 聖書は全く読んでないんですが、確か奇跡を多く起こしたことを書かれているとか。 この作品は奇跡なんて全く無い。 何もできないナザレのイエスがただよりそってくれている。 周りの人はそんな彼に期待がはずれたとばかりに冷たくあしらいます。 美しさも威厳も奇跡もない普通の人として書かれているけど、胸に熱いものがこみあげました。 遠藤周作という稀代の大作家に作品を書かせたことがイエスの起こした奇跡のように思えてならない作品です。 | ||||
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もし、歴史上の人物に質問することが許されるなら、イエスにぜひ聞きたいことが3つある。私はキリスト教に限らず、どの宗教も信仰していない無神論者であるが、人間イエスが2000年前にどのように考え、どのように行動したのかということに強い興味を抱いているからである。 第1に、不躾ながら、「イエス、あなたは不義の子ですね」と聞きたい。聖書には神の力で処女マリアが身籠もってあなたが生まれたと書かれているが、本当のところはマリアが婚約者のヨセフ以外の男性と交わり、不義の子を宿してしまったのではありませんか。そして、ヨセフはマリアを愛していたので、大変な苦しみを乗り越えてマリアの過ちを許したのではありませんか。 第2の質問は、「あなたが、ユダヤ教の厳格な『怒りの神』に替えて、寛容な『愛の神』を人々に説き続けたのは、不義を犯した妻を許し、不義の子を自分の子として慈しんでくれた養父への思慕の情が大きく影響しているのではありませんか」。こういう思いから、あなたは神を「父」と呼んだのではありませんか。 第3に、「あなたの苦痛に満ちた惨めな十字架上での死は、自ら人々の全ての罪を背負って死んでいくことによって、人々に神の愛を示そうとしたのではありませんか」と質問したい。さらに言えば、あなたは自分の信じる神の愛が人々の心に強烈な衝撃を与えることを狙って、大博打を打ったのではありませんか。あなたの賭が見事に成功したことは、その後のキリスト教の隆盛が証明しているが、あなたの思想とは全く異なる宗教に変質してしまったのではありませんか。 『イエスの生涯』(遠藤周作著、新潮文庫)には、史的イエスの姿を必死に追い求めた著者の思いが込められている。「疲れ果てくぼんだ眼。そのくぼんだ眼に哀しげな光がさす。・・・何もできなかった人。この世では無力だった人。・・・彼はただ他の人間たちが苦しんでいる時、それを決して見棄てなかっただけだ。女たちが泣いている時、そのそばにいた。老人が孤独の時、彼の傍にじっと腰かけていた。奇跡など行わなかったが、奇跡よりもっと深い愛がそのくぼんだ眼に溢れていた」。この本で、瞳の中に哀しみの色を浮かべている一人の青年大工に出会うとき、癒されるのは私だけではないだろう。 『キリストの誕生』(遠藤周作著、新潮文庫)は『イエスの生涯』の続編ともいうべき作品で、イエスの逮捕とともに彼を見捨てて逃亡した弟子たちが、イエスの死後、イエスを忘れるどころか、彼を神の子キリストとして信仰するに至る過程が描かれている。 | ||||
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福音書を読んだだけでは何となくつかみ切れないイエス像ですが、遠藤周作の描くイエスは、まるでその息づかいまで聞こえてくるようです。イエスが好きな人は、もっとイエスが好きになる。そうでない人は・・?そうでない人でも、きっとイエスが好きになること、間違いなしです。ヨハネ8.57「あなた(=イエス)はまだ五十歳にならぬのに・・」というたった一言から(当時イエスは三十歳くらい)、実際の年齢よりは老けて見えたであろう、ナザレ時代のイエスの労苦に思いをはせる遠藤は、さすがです。 | ||||
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著者は作家ならではの視点で聖書の行間を読み、 我々日本人には分かりにくいキリスト教の真理を 人間に普遍的な観点から非常に分かりやすく解き明かしています。 キリスト教根本主義者(ファンダメンタリスト)には、 看過できない記述が多く批判的コメントもあるようですが、 宗教音痴といわれる日本人にとって、 教養書として広く読まれるべき良書であり、 非キリスト教者が教養として聖書を読む前に 本書と キリストの誕生 (新潮文庫) を読んでおくとよいのではないかと思いました。 | ||||
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イエスの生涯については聖書はもちろん、さまざまな書物がありますが、著者がまとめた1つのイエス像を知ることができると思います。 | ||||
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『沈黙』、本書と読んでみて、遠藤周作には、キリストをただ崇拝するのみの信者、 キリストの奇跡を強調する聖職者への批判を感じる。 そして、イエスの真実を知り、真の素晴らしさを分かってもらいたいと考えているようだ。 そのため、自分のような、信者ではないが神というものを何となく信じている者でも、 イエスを客観的、本質を見ようとするスタンスに共感を覚える。 もっと、遠藤作品を読みたくなった。 | ||||
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「彼の容貌を私たちは見たこともない。彼の声を私たちは聞いたこともない。 今から語るイエスはどんな顔をされていたのかも私たちは知らぬ。」 これが本作の冒頭の二行です。ペルソナに関する議論をまったく知らなくても、この事実の記述はきわめて明瞭な表現でしょう。以上で紹介を終わります。 | ||||
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愛の本当の意味を考えさせてくれるとてもよい本です。私はキリスト教徒ではなく聖書も読んだことがない者ですがとても興味深く面白くかつ考えさせられ人生観とくに神に対する人生観がとても変わりました。キリスト教の誕生も読もうと思っています。弟子たちに何が起こったのかとても知りたい! | ||||
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聖書絶対主義ではない人や「奇跡など有ったの?」 本当のイエスはどんな人?と思って居られる方には 好適なテキストだと思います。 遠藤周作氏は注意深く新訳の虚飾を廃し 現実のイエスに肉薄してあります。 十分に納得がいく物で基礎的な概念として本書に勝る物はないと思います。 実は新約聖書は異本が沢山あってある程度キリスト教団が完成したときに 取捨選択した物で有ったと記憶しています。 続編の「キリストの誕生 」と合わせて1冊と思っています。 こちらの方がはるかに面白いです。 新約の行間まで読み解いて原始キリスト教団の歴史と葛藤を記述してあります。 それでも最後には大いなる謎を残して書き終えてあります。 キリスト教関係書籍の名著であると思います。 | ||||
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まさに大御所の先生が、緻密に、信徒としてイエスの生涯を追っています。義の教師としてイエスが純粋に、御教えによって伝説の人となったという趣旨だと思います。信徒は、この話をさして警戒する必要はないと考えます。信仰の根幹は固まっているでしょうから。しかし、この手のクリスチャニティーをヒューマニティーで押しつぶしたような話に共感してキリスト教をわかったつもりになる人々は、「日本人イエスの不思議な冒険」を楽しんでいるに過ぎないことを一方で自覚しておくといいでしょう。絶対的真理を母体とした多くの宗教=一神教が偏狭であり、危険だという先入観は、草の根レベルで他国との交流を阻害するでしょうから。 | ||||
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私は、まず、「死海のほとり」を読みました。 そのあとがきにおいて、「死海のほとり」は「イエスの生涯」とは 対を成す本であるとの記述がありましたので、読んでみました。 「死海のほとり」は、イエスの時代と現代が交互につづられる物語形式で、 そして、この「イエスの生涯」は遠藤周作氏の考察で、氏のイエス考について述べられていきます。 「死海のほとり」は物語形式であり、とても読みやすく、感情移入できたという点で、 氏の考える「愛の人・イエス」の像がスッと入ってきました。 それと比べると、「イエスの生涯」は論文形式であり、 自分で解釈・理解していく過程が必要ですので、率直にいえば難しく感じました。 氏の言うところの「表裏をなす」というこの2つの小説は、相互に理解を助けるものであり、 さらに言えば、「死海のほとり」のベースとなる、氏がなぜそのように考えるに至ったかというのを 「イエスの生涯」で理解することができるというのが正しいと思います。 ということですので、こちらを読んで感銘を受けられた方は、 是非、「死海のほとり」についても、お読みになってみるとよいのではないでしょうか。 | ||||
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この内容だから、読めた記憶はありますよ。 たぶん、彼がキッカケで戻ったよーな。。。 | ||||
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非常に好きな本です。イエスを神の子としてとらえるというよりも、どこまでも偉大な人間として追究し、解釈しています。 おそらく、反対に神の子としてのイエスを信じている人からは、この書は蛇蝎のごとく嫌われるのではないかと思います。現に、そういう方もいるようですから。 人それぞれのイエス像があってもいいと私は思います。そう思う私にとっては、遠藤周作の見るイエス像はとても興味深い。師とは何か、弟子が目覚めるきっかけは何か、そういう視点で見るのも面白いのではないかと思います。お薦めの一冊です。 | ||||
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遠藤さんは、お父様、彼らをお許しください、彼らは自分たちが何をしたか、わかってはいないのです、というイエスの言葉を、お父様、彼らをお許しください、彼らは愛し方を知らなかったのです、と解しておられた。 そもそも、愛、とは何なのでしょうか。目には見えないもの、実際には役に立たないもの、そう遠藤さんは言っておられたような心持がするのだが。 障害を抱えている私にとって、出来ることなら、この障害から逃れたい、「普通」になりたい、という思いがあることは否定できない。しかし、もし、本当にイエスのような奇跡を行う方が、目の前に現れ、自分の障害を取り除いて下さったら、私は本当に幸せになれるだろうか? 生れ落ちてからこの方、自分はずっと、障害を背負ってきたのに、それを、「暴力的」、と言ってもいいほどに取り除いてしまったら、「なんだ、僕をバカにしているのか! 苦しんだ僕の二十何年は、いったい、なんだったのか、僕の時間を返せ!」と、かえって憤慨してしまうかもしれない。それよりも、遠藤さんのおっしゃるとおり、僕の苦しみを一緒に苦しんでくれるイエスのほうが、よほど愛にあふれている。自分の幸福など、目もくれず、苦しむ人と一緒に苦しんでくれる、イエス。「無力」であることによって、無限の愛を示すイエスの姿は、なんともありがたく、また、美しく、僕の目に映った。 | ||||
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ジーザスの舞台を見る前の参考にと、読みました。 久しぶりに読み応えのあるものを読んだ気がしました。 舞台終了後、再読。神の子イエスというだけでなく、 人間イエスとしての苦悩が伝わってきました。 また、聖書を読んだことはあったのですが、よく理解できず、文字だけを 追っているような感じだったのが、なんとなくですが、理解できる?読み方 がわかる?というか身近なものになってきた気がしました。 曽野さん、三浦さんなど他の作家の方のイエスに関する本も 読んでみたくなりました。イエスの乾きとは・・・ | ||||
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信念のために頑張る男が死を選ぶことにより信念を成就させる話です。 イエスを中心に当時のユダヤ人の生活状況や時代背景、ローマ帝国、ユダヤ衆議会の策略が絡みあい背景も非常におもしろいです。 またユダとイエスの関係が裏切り者と裏切られた者でなく、作者独自の解釈で書かれておりいい意味で衝撃的で心震えました。 弱い人間である弟子達がイエスの死により変わっていく様も感銘をうけます。 誤解され傷つきながらも自らの信念を貫くために歩むイエスの苛烈な生き様をぜひ読んでほしいです。 小説はとっつきにくいという方にはダイジェスト版『遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子』(新潮社)がオススメです。カラー写真も豊富で読みやすいです。(私もこれを読んで小説を手にとりました。) 以上キリスト教云々でなく小説のおもしろさで語らせてもらいました。 | ||||
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遠藤周作が、日本人の小説家としての観点からイエスの生涯を綴った本。しかしそこから導きだされるイエス像は決して偏狭なものではなく、国家を超えた普遍的なものを持って我々に迫ってくる。最終的に現れてくるイエスは非常に単純明快な意味での『愛の伝道者』なのだ。 これだけを書くとありふれた事しかこの小説には書かれていないと思えるが、そこに至るまでの話の運び方が秀逸である。様々な紆余曲折、イエスの孤独な悩みの描写を経たのちに辿り着くこの結論は、ただ結論だけを述べられるよりも遥かに分かりやすさと深みを持って理解される。 著者は聖書で語られているイエスの奇跡描写の言及を極力排し、あくまで一人の人間を見る目でイエスを見つめる。そこには奇跡を行うことで、苦しんでいる者を具体的な苦しみから直接救うイエスは描かれていない。 苦しんでいる者は、病気などの具体的な苦しみよりも、むしろ誰からも愛されないという苦しみが根本にあると言う事をイエスは熟知していた。そして深く同情し、自らが彼とともに苦しむ事によって彼の根本の苦しみから解放しようと言うのがイエスの愛だ。奇跡的な側面を描かない事で、このような『愛』の構造がより深く理解できる。そしてこのように描写されたイエスは、いっそう人間的な魅力を持つ人物として我々の目に映る。 この他にも、このような考え方のイエスがなぜ当時の人々に全く理解されなかったか、ユダはどんな感情の変遷を経た後にイエスを裏切ったのか、などの興味深い事柄が、遠藤周作の独自の、しかし非常に真実味を帯びた語調で語られる。 とかく奇跡を崇拝する宗教だと誤解されがちなキリスト教だが、この作品ではキリストが崇拝される理由を、極めて人間的な部分においている。ゆえに宗教は信じないと力んでいる日本人にも違和感なく受けいられる。キリスト教をただ崇拝するだけでなく客観的に見る事が可能な日本の小説家だからこそできた事だろう。 | ||||
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「奇跡の物語」ではなく「慰めの物語」を…。裏切り者のユダに、事なかれ主義のカヤパ、弱虫の弟子たち。われわれの身近にいるような、おもわず親近感をもってしまうような人たちばかり出てきます。読む側の人生の季節によって、共感する人物がかわるであろう、それゆえいつまでも手元に置いておきたくなる本です。 | ||||
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