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小説十八史略



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小説十八史略の評価: 4.45/5点 レビュー 85件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.45pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全73件 21~40 2/4ページ
No.53:
(5pt)

歴史の流れを大づかみに理解するのにお勧め

第2巻の中心は、漢楚の争いです。後半は前漢初期の呂一族の専横から武帝の即位、匈奴との戦争が始まったあたりまで描かれています。
歴史書ではないので、読んでもテストの点が取れるか怪しいです。しかし、中国史の流れを小説として読ませてくれるので、王朝の移り変わりに代表される時代の変化を理解する助けになると思います。
また、適度に人物やエピソードを端折ってくれているので、特定の人物に関心がある人は当たり外れがあるかもしれませんが、読んで理解できる(流れを追える)程度に情報が整理されている点も、読者の助けになっていると思います。
このシリーズを入り口に、より専門的な書籍に進んでも良いと思います。
小説十八史略(二) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(二) (講談社文庫)より
406185089X
No.52:
(5pt)

中国史の入り口にお勧め

三皇五帝の時代から、秦の始皇帝による中国統一までの歴史を小説のフォーマットで描いています。
このため、いささか脚色らしき場面もありますが、物語らしい面白さを高めて、リーダビリティを上げるという点では、これで良いと思います。
厳密に歴史を勉強する、という意味では本書は不適切かもしれませんが、一般の読書人が中国史の概要をつかむためには、本書のような作品も必要だと思います。
なお本書の後半では、中国の戦国時代が取り上げられますが、始皇帝に関するエピソードに多くの紙面が割かれています。このため、ほかの有名キャラクター?は比較的あっさりとした取り上げられ方になっています。(例えば、楽毅や白起は出てこなかったように思います。)
特定の歴史上の人物やエピソードに関心のある方は、お気を付けください。
小説十八史略(一) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(一) (講談社文庫)より
4061850776
No.51:
(5pt)

小説でわかりやすく

中国の歴史がよくわかります。受験生にもおすすめ。なぜ秦が滅びたか、なぜ漢が上手くいってまた滅んだかなど当時の歴史的背景がよく書かれています。
小説十八史略(二) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(二) (講談社文庫)より
406185089X
No.50:
(5pt)

6巻愛読書で何回も読み返しています。

「小説」と銘打ってることから分かるが、他の史書や筆者の創作を交えた小説なんだけど、東アジア通史の参考になるし楽しく読める。秦の始皇帝、項羽と劉邦や三国志で中国史に興味が出た人にお勧め。惜しいのは元以降の読みやすい通史がないこと。それ故、明や清のことをあまり知らないことかな。通史の上手い筆者という意味で「インド三国志」もお勧め。
小説十八史略(一) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(一) (講談社文庫)より
4061850776
No.49:
(5pt)

とても面白い!

古代中国史以降の流れを感じながら読めました。春秋戦国や三国志などの関連でこれまで断片的に把握していた内容がすべてつながって、大いに納得しながら楽しめました。文体や言葉もとても読みやすい内容。
小説十八史略(四) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(四) (講談社文庫)より
406185125X
No.48:
(5pt)

やはりバイブル

小説史記と同じく、中学生の頃にはまって一気読みした思い出の本。
今でも本棚に大事にとってあります。
後でちゃんと史記、十八史略を読み直しましたが、これがあったからこそ非常に面白く読めたのだと思います。
小説十八史略(一) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(一) (講談社文庫)より
4061850776
No.47:
(5pt)

一気に読ませるおもしろさです

血みどろ残虐且つ、とてつもないスケールの中国史である本書は一気に読ませるおもしろさで、最早中毒症状です 著者の文体は簡潔、 ダイナミックで
長大・複雑な歴史書を、苦もなく理解させてくれます これは中国史の苦手な私でも、存分に楽しませてくれました 未だ読んでいない方には是非お薦めの1冊
です
小説十八史略(二) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(二) (講談社文庫)より
406185089X
No.46:
(5pt)

大人にも子供にも

中国史絶好の入門書です!
学生でも大人でも楽しめます!
そして、中国史が好きになる。
わたしの中国史への入り口でした。
小説十八史略(一) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(一) (講談社文庫)より
4061850776
No.45:
(5pt)

武則天のテレビに夢中

BSで放送されている「武則天」にはまってます。このあたりの中国史を知らないと、テレビだけでは理解出来ない部分が多々ありますので、
これを読んで詳しくなりたいと思って購入しました。
小説ですので、史実と異なる部分が多々あるかと思われますが、大まかな流れと人名とが理解出来て良かったです。
蛇足ながら、かの俳優さんの名前にもある「桃李」の意味も知ることが出来、勉強になりました。
小説十八史略(五) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(五) (講談社文庫)より
4061851500
No.44:
(5pt)

異色の人・趙匡胤

安史の乱は鎮定され、唐王朝は一時的に中興。安史の乱で力を借りたウィグルが突然滅亡し、強敵の吐蕃にも内紛が発生。唐にとっては僥倖だが、それゆえに政治が再び弛緩してしまったともいわれる。
 節度使は徴税権があるが任期は短い。ゆえに苛酷に徴税する。節度使のポストは人気があるので宦官への賄賂が横行する。賄賂のために高利貸しから金を借りる。だから、節度使になると苛酷に徴税せざるを得ない。兵士の給料や食費をごまかすようになると兵に不満がたまり、反乱が起こり、追放される節度使も出てくる。
 王仙芝や黄巣らが乱を起こす。王仙芝の最期は不明。黄巣が造反の主流となる。黄巣の配下にいる朱温(後の朱全忠)は、いずれ唐が切り崩しのために自分に声をかけてくるだろうから、そのとき唐に下り、唐の内部勢力となり、やがてそれに取って代わるというプランを持っている。
 黄巣の軍は唐に駆逐されそうになったが、唐内部も一枚岩ではなく、黄巣は盛り返し、洛陽を落とす。
 長安は広いが守りにくく、洛陽は狭いが守りやすい。前漢や唐などスケールの大きな王朝は長安を都としている。
 黄巣は長安も落とし、新王朝・斉を創始する。唐の皇帝は四川に逃亡。あちこちの節度使は自立の動きを見せる。唐は、背に腹は代えられず突厥の李克用に援助を求め、更に、李克用を抑えるために朱温を誘い出す。力がないので謀略に頼る。狙い通り、黄巣は討たれ、唐は長安帰還を果たす。
 とはいえ、唐は地方政権に転落している。黄巣の乱を平定する上で李克用は最大の功労者だが、李の勢力を牽制するために朱温には全忠の名を与えてバランスをとる。あちこちに地方政権が成立し、唐は足利将軍のような状態になっている。唐の昭宗は部下に殺され、禅譲形式で朱全忠の梁王朝(後梁)が成立し、唐は滅亡。
 後梁も地方政権にすぎない。朱全忠は、廃嫡しようとした息子に逆に殺される。後梁も短命王朝。後周は天下統一の意気盛んだったが英主・柴栄が北伐の半ばで急死し、兵士たちはすぐれた軍人である趙匡胤に期待を寄せる。趙匡胤は推されるかたちで宋王朝を創始する。
 趙匡胤は、後周の柴氏を子々孫々面倒をみること、士大夫を言論を理由として殺してはならないこと、という秘密の遺訓(石刻遺訓)を残す。石刻遺訓は皇帝しか見ることができない家訓だが、言論によって殺されないという安心感は言論戦を活発にし、社会進歩にも大きく貢献した。
 趙匡胤は50歳で死去し、弟の趙匡義が第2代皇帝となる。趙匡胤の死は謎。
 趙匡胤は節度使を名誉職化する。節度使を頻繁に転勤させ、軍事と行政を切り離して行政官を中央から派遣する。また、租税役人(転運使)を派遣し、節度使の権限を削る。
 科挙は隋から始まったが、隋と唐のころはまだ門閥を重く見た。しかし、宋は進士至上主義。武が薄められ、文の時代になった。
 唐は華やかだったがそれはあくまで貴族社会のこと。宋になると豊かさが下の方にも広がる。中国で庶民文化が育ったのは宋になってから。講談、芝居、諸芸の寄席が生まれる。宋は経済大国であり、だからこそ歳幣(遼などに平和代金を払うこと)が可能だった。
 宋は公務員福祉が手厚く、財政負担が大きい。増税するので自作農は小作農に転落する。王安石の改革が行われる。王安石の新法の主眼は、健全な農民層を厚くすることにある。最大の柱は青苗法であり、国家が農民に低利融資することで農民の資金枯渇を抑制する。農民に高利貸しをしている地主や豪族は青苗法に反対。王安石は一度失脚し、再び呼び戻されたが愛息の死などもあり、モチベーションダウンして辞任。新法派の政治は党派性が強くなり頓挫する。
 遼(契丹族)に虐待されていた女真族は徐々に団結し始める。宋はここに着目し、女真族を援助。女真族からは英雄・完顔阿骨打が現れ、宋・金(女真)の同盟が成立する。ただ、このころは宋で反乱が頻発している。水滸伝はこのころの地方の反乱をもとにした物語。
 やがて宋と金は決裂し、金は宋を攻める。国都・開封は金軍に囲まれる。宋の欽宗は金に連れ去られ、実質的に宋滅亡。金は遼も倒して大帝国を作ったものの女真族は人口が少ないので中原の直接統治は不可能。金は宋の元・高官である張邦昌を王にして、傀儡王朝・楚を作る。
 欽宗の弟である高宗は、南宋を創始。楚の傀儡皇帝・張邦昌は 高宗のもとに参じて従う。
 金が南宋を攻めるためには苦手な水戦をしなければならない。南宋もしぶとい。金帝国を保つには江南の富が必要。金は、宋への忠誠を表明して金の怒りを買っていた秦檜を南宋に送り込む。秦檜は、北は金・南は宋とし、物産豊かな南宋が歳幣を金に送ることでバランスを保つ案を持つ。これは金としても都合がいい政策。
 秦檜が脱走したことにして、金は秦檜を南宋朝廷に送り込む。家族を北に連行されている高宗は、秦檜の融和論に傾き、秦檜を重用する。一方、岳飛の力戦により南宋の中原回復も夢ではない時期もあったが、このときに岳飛は呼び戻され、罪を着せられる。陳舜臣さんは、秦檜はやはり問題の人物である、と考えている。
 秦檜の基本方針は、北は北、南は南。岳飛は南下する金軍を各地で撃破する。岳飛(南宋)が勝つことは講和条件を有利にするので歓迎すべきだが、国力を比較すると金の方が上なので、あまり攻め込みすぎて金を怒らせるのはまずい。秦檜は、勅命を乞い、岳飛を撤退させる。岳飛は憤慨する。
 金にとって、拉致した欽宗は切り札。欽宗が戻ってくると高宗は僭称者になりかねない。正直、高宗は欽宗だけには帰ってきて欲しくない。金としても正統性に疑義のある南宋の方が相手にしやすい。
 秦檜も悩むが、決断し、岳飛は罪を着せられて処刑される。こうして南宋は金と屈辱的ながらも和議を結ぶ。
 金はモンゴルのタタル族を武力制圧。ボルジギン族の首長はタタル族と金のために殺される。ボルジギン族の首長となったエスゲイ・バアトルが略奪した女の子が後のチンギスハン。
 タタルはやがて金に叛く。金は周辺部族を誘ってタタルを討伐しようとする。このとき、タタルに恨みをもつチンギスハンは誘いに乗り、タタルを破る。タタル族は中央文明に接してたくさんの財貨を有していたため、これによりチンギスハンも中原の文明を知る。
 モンゴルは南宋を誘って金を挟み撃ちにしようとする。南宋は宿敵・金を倒すチャンスなのでこの誘いに乗る。金は滅亡。南宋はモンゴルを野蛮人と見下す。モンゴルは自分たちの占領地にまで南宋が北進したことに激怒。モンゴルと南宋の同盟はあっさりと壊れる。
 まったく漢化してはならない、しかし、漢地を統治する以上は漢の気風になじんでその一部を取り入れるべきである、というのがフビライの基本方針。
 この時代に朱子学が成立する。北宋以来の宋学の伝統は、やがて朱子学として朱熹により完成される。朱子学は王道を尊び、覇道を賤しむ。戦争に強いか弱いかは問題ではなく、王道を実行しているか、国家に道義があるかが何よりも重要、というのが朱子学の考え方。
 遊牧で国を建てることはできるが、それで国を維持することはできない、とフビライは考える。大国家となると南方からの食料補給がなければ生存できない。フビライは、易経から国号を「元」と定める。元のあとの明、清もそれにならった。元も明も清も地名ではない。
 チンギスハンのころ、高麗はモンゴルに撃破され、王室は江華島に移る。モンゴルは水戦が苦手。そこでモンゴルは高麗を蹂躙する。亡命政府は動揺する。高麗はモンゴルに屈服。フビライの優先課題は南宋屈服であり、それゆえに高麗を懐柔する。さらに日本を味方に引き入れようとし、その流れで元寇となる。台風で遠征失敗しているが、たいした台風ではない。突貫工事で船を作った高麗の手抜き工事が原因。
 南宋は最期の海戦に敗れ、幼帝は臣下に背負われて入水。南宋は滅亡する。
 ・・・
 元の時代、史記など十八の正史があり、それをベースに略記が書かれた。略記が書かれたのは、中国の歴史を誰でも読めるようにして、民族の自尊心を失わせないようにするためだった。こうした背景で十八史略が執筆される。独創性よりも啓蒙に重点が置かれた書物であり、日本では江戸時代から学生の必読書とされた。
 などなど。
小説十八史略(六) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(六) (講談社文庫)より
4061851748
No.43:
(4pt)

皇帝になりたいのは至高を感じたいから?

李淵の次男・李世民は、父に決起を促す。女好きの李淵は、だまされて天子の女を抱いてしまい、死刑になるくらいならと決起せざるを得なくなる。李淵は、一か八かで突厥を引き入れて長安を攻撃し、最終的には無血入城する。李淵は煬帝の孫を皇帝につける。
 南にいた煬帝は、北を取り返す気力もない。煬帝は、父・文帝が病床にあるとき父の愛人に手を出そうとして、文帝の怒りを買ったことがある。文帝は煬帝の兄を再度後継者にしようとしたが、逆に、煬帝は父を縊り殺したとも毒殺したともいわれる。その煬帝も宇文化及のクーデターにより殺される。
 煬帝が死ぬと、李淵が即位し、唐王朝が創始される。ただし、このときはまだ、宇文化及も皇帝を称するなど、全国政権ではない。
 李淵の長男(皇太子)と三男は唐王朝成立に大功のある李世民を排除しようとするが、逆に、李世民は兄を殺し、弟も斃す。あまり覇気もない李淵は退位し、李世民即位(太宗)。
 太宗は玄奘(三蔵法師)の行動力と学識を気に入り、還俗して自分の家臣になるよう要請するが、玄奘はこれを断っている。
 太宗の皇太子と弟にはいさかいが発生し、太宗は二人に皇位を譲らず、別の息子・李治を選ぶ(高宗)。李治は優柔不断だが太平の時代にはよい、という判断。李治は父の後宮にいる4歳年上の美少女・武照に恋心を抱いている。
 高宗は側室を愛し、嫉妬した皇后は、復讐のために尼僧になっていた武照を高宗の後宮に送り込む。これが後の則天皇后で、高宗は武照に夢中になる。武照は次第に皇帝を操る。高宗擁立を画策した長孫無忌は、高宗(李治)なら操りやすいとして太宗に高宗を推薦したのだが、高宗が武照に操られることまでは読めなかった。
 百済はかつては唐に忠誠を誓っていたが、それは北の高句麗を抑えるためでもある。その後、百済は、新羅圧迫を国家目標としたため、高句麗との関係を改善する。そうなると唐との関係も熱心でなくなる。そのあいだに新羅は唐に激しくロビイング活動。新羅は金春秋自ら日本にも渡って日本とも親善を図ろうとしている。ついに、唐(則天武后)は、百済遠征を決意。新羅も唐一辺倒に決める。百済は内部分裂を起こした挙句、国都陥落。しかし、鬼室福信らの残党が活動する。
 日本は百済救援を決定。日本船は数は多かったが小型船が多く、唐は火矢で日本船を焼く戦法により、日本は大敗する(白村江の戦い)。これにより百済は滅亡し、高句麗は孤立し、やがて唐に併呑される。
 高宗のころ、皇帝、皇后という名称は廃され、天皇、天后とよばれるようになる。武則天は名称にこだわる癖がある。名称を変えることで、古い体制を揺さぶろうとする。
 高宗の子・中宗の妻が専横しそうになると、武則天は中宗を廃する。弟の李旦が即位。武則天が実権を握っていた50年間は1度も農民暴動が記録されていない。上層では恐怖政策による弾圧があったが、一般の民衆は平穏に暮らせたらしい。武則天は、仏典を改ざんするなどして世論を作り、人民の請願に応えるという形で自ら帝位につく。自ら聖神皇帝と称し、周王朝を創始。武則天は弥勒菩薩の生まれ変わりとされたため、周王朝は仏教的。
 武則天の晩年に、武則天が愛した張兄弟はクーデターで殺され、病気の武則天は位を皇太子(元・中宗)に譲る。こうしてあっさりと唐王朝復活。一度は廃された中宗復権。
 中宗の皇后は第二の武則天になろうとして、娘といっしょに中宗を毒殺する。これに危機感を抱いた一族の李隆基(後の玄宗)はクーデターを起こし、やがて自ら即位する。
 安禄山は、イラン系であり、6種の言語を操る国際人だったといわれる。安禄山はまず語学によって認められる。肥満体の安禄山は、保身のため意識してピエロを演じる。
 唐の朝廷の拝賀式のとき、日本の大伴古麻呂は日本の席次が新羅の下ということに納得がいかないと恫喝。唐にとって新羅は同盟国で、日本はかつての敵だが、日本にしてみれば日本に朝貢している新羅が上の席次なのは納得いかない。結局、唐は新羅を説得し、日本の席次が上になった。大伴古麻呂は、激情の人で、鑑真をひそかに自分たちの帰国船に乗せている。
 楊貴妃の一族である楊国忠は、安禄山を警戒するが、玄宗は取り合わない。楊国忠は、地方にいる安禄山が兵権を握ることの危険性を考え、安禄山謀反のうわさを流す。危機回避に神経を使っていた安禄山もこのままでは危ないと考え、ついに蜂起。安禄山の息子はこのとき長安で斬られる。
 諸悪の根源・楊国忠はそのうち自然発生的な軍乱によってあっさりと殺されてしまう。
 玄宗は楊国忠の誅殺を追認するが、兵士たちは納得しない。玄宗の腹心・高力士(宦官)は、楊貴妃に死を賜るしかないと説得。楊貴妃の死により兵士はようやく納得する。
 大燕帝国皇帝を称した安禄山は部下に殺され、唐はウィグル兵を引き込んで反撃。しかし、戦後処理がまずく、一度は帰順した史思明が反乱を起こす。史思明もまた六種の言語を操る国際人であったが、最後は部下に殺される。
小説十八史略(五) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(五) (講談社文庫)より
4061851500
No.42:
(5pt)

偉大さと愚かさ

赤壁の戦いのとき、抗戦派は魯粛と周瑜。魯粛は劉備と結んで戦うつもりだったが、周瑜は単独で戦うつもり。周瑜は劉備を信用していない。曹操軍は疫病に悩まされる。呉は持久戦はしたくない。持久戦になると数で押し切られる。曹操は長期戦の構えをするが、本心では長期戦をしたくない。疫病がはやっているので本当はさっさとけりをつけたいのだが、それだからこそ、長期的な陣立てをして味方の弱点を隠す。呉も焦る。そんなとき黄蓋が投降を申し出る。この申し出に曹操が引っかかったのは短期決戦のきっかけをつかもうと曹操も焦っていたからではないか。
 曹操は赤壁で敗れ、三国鼎立となる。
 曹操は魏王となる。漢では、皇帝に近い皇族しか王にはなれない。皇族でもなく劉姓ですらない曹操が王となることは異例中の異例。
 関羽は目上の人や同僚に対して傲慢だが、部下には優しい。張飛は上の者には腰が低いが、部下には厳しい。
 曹操の死後、曹丕が継ぎ、続いて曹叡(明帝)が継ぐ。明帝は優秀。孔明が北伐軍を起こしたとき、明帝は自ら戦場に行こうとしたが、側近の諫言で思いとどまる。しかし、天子が親征を言いだしたことは将兵を発憤させた。劉禅は親征など口にもしない。
 諸葛亮孔明の出師の表は、公表奏上文だが、これは劉禅に対する手厳しい諫言でもある。みんなが皇帝に尽くすのは、父・劉備の恩に報いようとするからであって、劉禅のためではないのだから思い違いをしないように、という意味が込められている。
 明帝のころ、遼東で独立勢力を保っていた公孫淵は、呉と結ぶことを考えるが魏に悟られることを恐れて頓挫。怒った孫権は謀略を仕掛け、魏は公孫淵を疑う。公孫淵征伐の司令官に司馬仲達が選ばれる。司馬仲達は、倭に対し、呉と結ばぬよう、遼東に兵を送らぬように下工作してから出陣。公孫淵は誅殺される。卑弥呼の使者が洛陽に向かったのはこのころ。
 司馬仲達と孫権は立て続けに死ぬ。このころ、儒教に代わって仏教が隆盛する。儒教権威低下の反動でもある。仏教は老荘思想を思い出させる。老荘思想が発掘される。一方、儒教のモラルにしたがっていても仕方がない。礼教無視の考え方が士大夫の間に広まる。これは政治的紛争に巻き込まれて命を失わないための逃避法でもあった。
 孫権は、7歳の孫亮を皇太子に指名したため、呉は混乱。孫亮は15歳のときに実権を握る皇族を排除しようとして、かえって皇帝の座から引きずり下ろされる。最終的には孫権の次男(一時、皇太子だったこともある)の子である孫皓が皇帝となったが、粗暴。晋への投降者が続出し、呉は晋に併呑される。
 晋の司馬政権は、早くも皇后に乗っ取られそうになる。恵帝の皇后は、子が出来ず、自分の養子を皇帝にしようとする。これは皇族の反発を招き陰謀は成らなかったが八王の乱で混乱は続く。南匈奴の劉淵は晋を見限って独立し、国号を「漢」とする(後に「趙」に改称)。匈奴の一派を率いる石勒なども劉淵のもとに参集し、劉淵の勢力は拡大。あとを劉聡、更に、劉淵の甥である劉曜が継ぐ。
 劉聡は、晋の懐帝を殺す。懐帝が殺されると、司馬一族の生き残りが元帝となり南京で亡命政権を打ち立てる(東晋の成立)。東晋はひ弱だが、劉曜の下にいた石勒が独立するなど北方もゴタゴタ。やがて、劉曜はアル中となり、石勒の趙(後趙)に劉曜の趙(前趙)は滅ぼされる。
 石勒は奴隷出身の傑物だったが、石勒の死後、後趙も長続きせず。
 後趙のもとにいたチベット族の首長が長安で自立(前秦)。前秦の符堅は北方をほぼ統一。符堅は、天下統一して万民をやすめる、という理想をもっていたらしい。領土的野心よりは理想主義の方が強い。しかし、前秦は東晋に大敗し、力を失う。
 東晋では、孝武帝が夫婦のゴタゴタで蒲団蒸しにされて死んでしまう。次が精神薄弱児の安帝で、倭王讃が東晋に使者を送ったのは安帝のころ。東晋の劉裕は安帝を殺し、東晋滅亡。宋王朝(劉宋)が成立する。劉宋王朝は暴君が続き、あっさりとクーデターで滅びる(斉王朝)。
 北方辺境で鮮卑族の拓跋珪(道武帝)が力を伸ばし、北魏成立。北魏は大勢力に成長する。拓跋珪は、母の妹を見初めるが、母は「美しすぎることがよくない」と諭す。鮮卑族のモラルでは、叔母と甥の不倫関係はそれほど問題視されない。
 拓跋珪はやがて不老不死の薬と称する寒食散の副作用なのか徐々に精神に異常をきたし、息子に殺されてしまう。しかし、この息子は人望がなく、もう一人の息子である明元帝に征伐される。
 明元帝のあとの太武帝は道教マニアで、仏教は大弾圧される。ところが太子は仏教信者。
 南では斉が滅び、梁成立。この時代の貴族は堕落しており、男でも白粉を塗り、おそろしいものを見たときには失神するのが貴族の証明と考えられるくらい。
 北魏は、高歓と宇文泰という二人の実力者により、東魏と西魏に分裂。宇文泰の西魏は梁の皇帝を殺し、傀儡政権を打ち立てる(後梁)。禅譲により西魏は終焉し、宇文氏の北周成立。北周は中国北部を統一。あと一歩だったが、短命皇帝が続き、外祖父一族の楊堅(文帝)が禅譲により隋を立てる。
 文帝は倹約家で、贅沢な長男を廃し、楊広を皇太子にする。これが煬帝だが、実は、煬帝も浪費家。うまく猫をかぶっていた。煬帝は、即位すると南北を結ぶ大運河の建設にとりかかる。南の豊かな物産を北へ運ぶため。文帝は、内戦終了後に人心を得るためには外征して大量の捕虜を獲得し、功労者に与えようと考えて高句麗に遠征するが補給に失敗して大敗したことがある。煬帝は補給のために大運河が必要と判断している。しかし、煬帝も高句麗遠征に成果を上げられない。
小説十八史略(四) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(四) (講談社文庫)より
406185125X
No.41:
(4pt)

腐った時代に「世評」で権力を握った王莽

武帝は始皇帝以来の封禅の儀式を行う。天命を受けたことを天に告げる儀式。太史令(記録保管職)の司馬談(司馬遷の父)は、この儀式の人事リストにリストアップされなかったことに憤激し、それがもとで憤死したという。
 武帝の後継者である戻太子が反乱で死ぬと、残りの皇子にはロクなのがいない。一人、期待できる末っ子がいるが、武帝63歳のときの子なのでどんな人物になるかわからない。武帝はこの末っ子・弗に期待をかける。弗の母親・拳婦人はやがて些細な罪で武帝に処刑される。幼帝が即位すれば母が実権を握ることは目に見えているため、武帝は将来のために拳婦人を処分する。霍去病の異母弟・霍光が弗の後見人となる。武帝は70歳で崩御。弗は8歳で即位し、昭帝となる。
 昭帝は賢明だったが、子どもを残すことなく若死する。霍光は、武帝の孫の劉賀をいったんは擁立するが、劉賀は色情狂でこれもイマイチ。庶民として生きていた戻太子の孫を探し出し、劉賀を追い払う。この孫が宣帝として即位。
 宣帝は、庶民育ちのせいでしっかりしており、宣帝時代は、地味ながら漢代ではもっとも安定した時代となる。
 実務的な宣帝は儒者嫌いだが、宣帝の息子(後の元帝)は情緒的すぎて儒者に傾倒する。次が成帝で、成帝の母の一族に王莽が連なる。とはいえ、王莽もすぐに出世したわけではない。そもそも王莽は王一族との血縁が薄い。王莽は自らの評判を高めるため勤倹に徹する。
 王莽は奴隷を殺したからという理由で次男を自殺させている。この差別意識撲滅を感じさせる行動力により下層からの期待が王莽に集まる。王莽は地位が上がってくると、儒教に力を入れ、歴史を掘り起こしては功臣の子孫をさかんに叙勲する。こうして、王莽は上層階級の支持も取り付ける。
 長期間にわたる世評工作で、王莽は「聖人」と認められる。平帝を14歳で毒殺し、赤ん坊の劉嬰を選ぶ。でも、赤ん坊だからという理由で即位させない。王莽は、天の威命によりやむを得ず、という形をとり王朝簒奪。国号を「新」とする。これは王莽が最初に新都侯に封じられたから。ちなみに、劉邦は項羽に漢中を与えられて漢王となったから漢を国号とした。地方領主時代の領国の名を全国政権の名にするというパターンはその後も踏襲される。
 各地で反乱が起こるころ、70歳近い王莽の生活は乱れ、頭がおかしくなっていた。王莽は、更始帝(漢の皇族)の緑林軍に殺される。
 更始帝にしたがった劉秀は、赤眉軍と戦わされるのを避けるために自立。王莽に反対してあちこちで蜂起した反乱軍は、漢の皇族をめいめい擁する。劉姓でない者まで勝手に即位を自称する始末で皇帝だらけ。そんな中、劉秀は即位する(光武帝)。
 赤眉軍は更始帝を降したが、赤眉軍もバラバラ。光武帝は洛陽を落とし、統制を失った赤眉軍も破る。緑林軍も赤眉軍も指導者に人を得ず、農民政権を打ち立てることはできず、結局、光武帝という豪族に利用され、政権を奪取されてしまう。
 光武帝、明帝、章帝、和帝と続くが、和帝から後漢滅亡までの9人の皇帝はすべて未成年で即位している。幼帝が立つと外戚が強くなる。霊帝は、官職を売って蓄財する。曹操の父、曹嵩は、国防省の地位を金で買っている。
 名誉が欲しい者は朝廷の官職を買い、金儲けしたい者は地方の官職を買う。地方で苛酷に徴税する。金で買った官の任期は短いので税金の取り立ては非常に厳しい。
 肉体的に劣等感をもっている宦官は宗教に走りやすい。宦官は張角の太平道のお得意だった。張角は宦官の一部を手なずけ、挙兵のときには内応させるつもりだった。しかし、朝廷に計画が漏れ、前倒し決起。前漢末の反乱では緑林軍も赤眉軍も皇族を推戴した。緑林系は更始帝をかつぎだしたし、赤眉系はくじびきで皇族の中から劉盆子を皇帝にした。各地の長官や有力者を味方につけて勢力拡大を図る。一方、後漢末の太平道は漢王朝滅亡を宣言している、つまり、皇族をかつぐ気なんかない。地方長官も殺し、「新しい政権」を志向する。
 その他・・・ 
 孔子は宦官に偏見をもっていた。衛の霊公が宦官と同じ車に乗車しているのを見た孔子は、それが理由で衛を去る。
 宣帝のころは、人口も増えて、一字の名では同姓同名が増えてきたためか、二字名が増えてくる。しかし、漢末に王莽が「二名の禁」を唱えたため、また一字名ばかりになった。
 など。
小説十八史略(三) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(三) (講談社文庫)より
4061851071
No.40:
(4pt)

揺るぎないものを、人びとに与えた者こそ、天下を経略しうる人である

始皇帝が急死すると、宦官の趙高は長子・扶蘇に自殺を促す偽手紙を送る。扶蘇を預けられていた辺境の将軍・蒙恬は三十万の軍をもつ。反乱もできる。逆にいえばそれだけ始皇帝に信頼されていた。それゆえに蒙恬は偽手紙ではないかと疑うが、扶蘇はあっさりと自殺してしまい、蒙恬は投獄される。
 趙高は法律を厳しく改正するが、李斯はこれに反対しない。始皇帝を失った直後は秩序維持のために法律の力を借りるのが最善と考えられたため。この厳格な法律の適用により、二世皇帝を除いて始皇帝の20数人の子は男女ともすべて殺された。恨みを恐れ、その家族・家臣も連坐の法によりすべて殺される。
 趙高は、二世皇帝に李斯が陳勝たちと通じているのではないかと吹き込む。このため、李斯は投獄され、拷問される。最後は、五刑(鼻、耳、舌、足を斬り、鞭打って腰斬)に処せられる。李斯は、趙高を甘く見ていた。
 項羽の純血の軍隊は敵を赦さないという評判ゆえに投降兵を加えることはできない。減ることはあっても増えることは難しい。劉邦は投降を歓迎するので兵が増える。
 秦を倒したあとの天下の経綸について、項羽は、いにしえにかえす、以外の抱負を持っていない。復古に魅力はない。それでは諸将の心を惹くことはできないので、国を増やす。自分だけ抜群に強い覇王であればいい。論功行賞もずさん。弱小王を大量製造しても、不満がたまる。
 劉邦は項羽に追われたとき、馬車を軽くするために子どもを捨てる。それを夏侯嬰が次々と拾う。これは劉邦は家族よりも家臣を大切にする、というパフォーマンス。子どもを落としても、夏侯嬰がちゃんと拾い上げることを知っていた(なるほど)。
 劉邦は犠牲者の家族を厚く遇する。だから、自分の身を捧げようとする者が現れる。項羽は自信過剰ですべて自分の功績と考えるため、他者の犠牲に感謝しない。これが楚・漢の争いの重要ポイントとなった。
 漢王朝創始後、韓信は、王から侯に格下げになった挙句、謀反する。しかし、もはや王ではないので大軍を動かせる立場ではない。家来に密告され、蕭何にだまされて参内したところを斬られる。彭越も殺される。ゲイ布は造反して劉邦と対決するが敗北し、妻の兄を頼ったところで殺される。ゲイ布はかつて項羽が秦兵20万人を穴埋めにしたときの執行者であり、楚の義帝を殺したのもゲイ布。
 張良は、劉邦が天下をとったあとは引退。仙人になろうとする。仙人は、仙薬を飲む必要があり、その前には腸を清める必要がある。そのためには穀類を食べるのをやめて気を呑んで生きる。つまり、カスミを食べて生きる。
 劉邦のあと、呂皇后の一人息子・恵帝が二世皇帝となる。呂皇后は、あやうく皇位を横取りしそうだった恵帝の異母弟・如意とその母が憎い。恵帝はやさしいので如意をかばったが、如意は毒殺されてしまう。如意の母も惨殺される。呂后は、孫娘を恵帝の嫁にするが子どもが生まれない。呂氏ゆかりの女性が妊娠すると、その子を皇后のご出産とし、秘密を守るために実母も殺す。こうして、恵帝の子とされた王子は5人いるが、いずれも実子ではない。
 恵帝は病死する。次の幼帝が呂皇后に実母を殺されたことを知ると、呂皇后はこの幼帝も殺す。結局、呂皇后が死ぬと、呂一族は皆殺しとなる。呂一族の禍もあり、外戚の影が薄いという理由で劉邦の息子・文帝が即位。文帝は質素。
 文帝のあとの景帝は、もっともすぐれた子を皇太子、もっともすぐれた女を皇后に、と考える。景帝は、栄を皇太子にするが母はいまいち。文帝も景帝も栄も地味。景帝の姉の強い推薦もあり、王夫人の生んだ徹が皇太子となる。これが武帝。
 その他・・・ 
 揺るぎないものを、人びとに与えた者こそ、天下を経略しうる人である(太公望)。
 今は、元号は日本にしかない。そもそも元号は、文帝から始まる。ただし、当時は簡単なもので、元号らしい元号は武帝のときから。 など。
小説十八史略(二) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(二) (講談社文庫)より
406185089X
No.39:
(4pt)

与えることは取ることであり、それを知ることが政治の秘訣である(管仲)

1977年初出の本。殷の紂王からいろいろなエピソードがつらなっていく小説。
 殷の紂王は、暴君であっても暗君ではない。天性の雄弁家で、行動は敏捷、理解力するどく、才能は並外れていたと「史記」はいう。殷は神権政治であり、殷王はファラオのイメージに近いともいわれる。有力諸侯の周公は、美女の娘・妲己(だっき)を紂王好みに徹底的に仕込む。狙い通り、紂王は妲己に溺れる。紂王は妲己のいいなりになるが、本人はそう思っていない。他人に命令されたことのない紂王は、次第に、妲己の言ったことを自分の命令だと思い込むまでに妲己と一体化していく。妲己にマインド・コントロールされ、殷王室の権威はどんどん落ちていく。
 周は挙兵。殷は大敗し、紂王は自決。周公は、妲己がいっそ自殺していてくれればと思うが、引っ張り出された妲己は立派に任務を遂行したのだから、と助命を嘆願する。殷を滅ぼすための武器である妲己が、自分の任務をわきまえていたことを知った周公は愕然とし、妲己を殺害する。
 周王室もやがて衰えるが、名目だけは存在するので、諸侯は「公」を名乗る。
 晋の分裂期が春秋と戦国の境とされる。大国・晋は、3国に分裂し、周王室からこれら三国はやがて諸侯と認定される。春秋と戦国といった分け方よりも、奴隷制社会か封建制社会かといった時代区分の方が重要ともいわれる。晋が分裂し、下克上の世の中になった。三国(三家老)が強くなり、晋の王室は衰え、晋公が三家老を挨拶回りする状態になり、やがて晋は三家老に滅ぼされる。彼らは諸侯と認定されていたので、対等の諸侯として晋を滅ぼしたことになる。形骸が捨てられ、内容が重んじられる実力本位の時代になった。
 はじめ商鞅がつくった法律は誰も守らなかった。商鞅は法律違反のかどで太子の側近(公族)を鼻切りの刑に処する。これで法律が守られるようになった。商鞅はひそかにこの鼻を切られた側近に贈与していたが、支援主が商鞅だとわかるとこの側近はかえって激怒する。この恨みが原因で保護者の孝公が死ぬと商鞅は殺される。
 謀略の師・鬼谷先生は、高弟の蘇秦と張儀それぞれに合従(六国連合)と連衡(個別和親)の策をすすめて競わせる。いったん合従は成るのだが、張儀はこれを掘り崩していく。楚の国の屈原も斉との友好をすすめる。蘇秦と利害は一致するが蘇秦と屈原は合わなかったらしい。張儀は斉の大臣たちを焚きつけ、蘇秦を暗殺してしまう。楚は孤立し、抗戦主義者の屈原を追放。屈原も自殺する。楚は秦に媚びを呈する屈辱外交を続けた挙句、秦に滅ぼされる。
 秦王政(後の始皇帝)の母は、呂不偉の元・愛妾であり、政の実父は呂不偉。母は淫蕩で、夫が死に、政が王になると、呂不偉とよりを戻す。父不在で淫蕩な母を見て育った政はやがて出生の秘密を知る。呂は身の危険を感じ、太后との愛人関係を解消しようとして、男をあてがったりするのだが、結局は政に攻められ自決する。
 秦王は、実力者の割拠が動乱の原因であると考え、王の存在を許さない。しかし、秦王も「王」である。丞相の李斯らは協議し、「泰皇」の称号を考え、秦王はこれを気に入らず、五帝の帝の字と組み合わせ「皇帝」を名乗る。ただし、始皇帝は専制独裁一辺倒ではなく、いつも群臣の意見を聞いている。戦争もほとんど将軍に任せており、親征していない。始皇帝が天下を平定できたのはこのあたりにも理由があるのかもしれない、と著者はいう。秦は封建制をやめ、天下三十六郡に中央から長官を派遣する郡県制を採用する。中国では部分的に封建制が復活したこともあったが大名のような大領主が全国に分立することはなかった。三国時代や南北朝時代は例外的。
 始皇帝は統一マニアであり、文字を統一し、車輪サイズを統一する。斬新で独創性のあるものを好み、前例を好まない。朕という言葉はそれまで一般の人も普通に使っていたが以後は一般使用禁止。始皇帝が出現しなければ、中国はヨーロッパのように数カ国に分かれていたかもしれない。
 その他・・・
 与えることは取ることであり、それを知ることが政治の秘訣である(管仲)。
 孔子が夢見たのは、奴隷制はなやかなりし殷周時代。身分の違いを強調するのはそれが奴隷社会を成立させる基本条件だから。
 など。
小説十八史略(一) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(一) (講談社文庫)より
4061850776
No.38:
(5pt)

小説十八史略について

思ったより大変きれいな本で満足しています。こんなにきれいになるのかなと思いました。
小説十八史略(二) (講談社文庫)Amazon書評・レビュー:小説十八史略(二) (講談社文庫)より
406185089X
No.37:
(5pt)

小説十八史略について

傷みやすれがなく大変きれいな状態で届いたので、満足ています。
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4061851071
No.36:
(5pt)

これは読み始めると

こういう形で十八史略を読み進めるとは思いませんでしたが、いいです。
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4061851748
No.35:
(5pt)

面白い!

「小説」と謳ってる様に、登場人物の会話や描写が生き生きしてて、まるでドラマや映画を観てる感じで楽しく読めます。さながら、中国版大河ドラマを連続して観てる感じ。
それにしても、まだ3巻までしか読んでませんが、中国の歴史のなんと血なまぐさい事!その分、ドラマティックとも言えるのですが・・・。
駆け足で歴史をなぞっていきますが、登場人物も濃い人ばっかりだし展開はドラマティックだし、中国の歴史にそんな興味ない私でも楽しく読めます。
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4061850776
No.34:
(5pt)

だいちゃん

受領いたしました。迅速にご対応いただきましてありがとうございました。また何か良いお品がございましたら参加させていただきます。
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4061851500

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