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人間の本性を考える
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【この小説が収録されている参考書籍】
人間の本性を考えるの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全8件 1~8 1/1ページ
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人間の行動をすべて動物的な本能の延長で説明しようとするのは過去の遺物的考え。現代思想では人間は本能を失った動物だと見るのがこれ常識。 もっとも基本的本能だと考えられている、類の存続につながるセックスと、個の生存に不可欠な食べることを取ってみよう。 現代ではセックスは全く生殖とは切り離されて考えられ、快楽追求のためだけに追求される傾向にある。そのために先進国では少子化の問題も出ている。 食欲にしても現代人は食べる楽しみが、生きるために食べるということより重要になっている。現代人の病であるメタボや肥満、成人病などをみると、人間は早死にするために食べているとしか考えられない。私たちの周りを見ればこれはどこにでも転がっている事実だ。 これでは類と個の保存のための本能という意味が全くなくなってしまうではないか。 ピンカーは膨大なデータを費やして、結局は何の根拠もないことを証明しようとしている。 彼は「空白の石版」などまともな思想家なら誰も相手にしない単純な経験論的考えを批判することによって自分の正しさを主張しているにすぎない。 | ||||
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ピンカーにはセックスとジェンダーの違いがわからないようである。生物学的性差としてのセックスが主体的性差としてのジェンダーと一致するなら、そもそも性同一性障害や同性愛の問題は出てこないであろう。ピンカーならそれらは脳の病気だと決めつけるであろうが、そのような脳科学的証明は科学的には存在しない(そのような仮説はあるようだが、仮説以上のものではない)。 ピンカーは、男はどうしてレイプするのかなどの問題にも常に生物学的な根拠をみいだそうとするが、全くばかげている。男性にとって性と愛が分離しがちであるので、相手の愛情には関係なくセックスを求めたり、娼婦を性的対象とすることが容易である。ところが多くの女性はセックスという倒錯的行為を愛情というオブラートで包む必要があるのだ(どうして男性は愛と性が分離するのかについてはフロイトを読むこと)。 ピンカーについてはその饒舌なレトリックにごまかされて無批判に受け入れる人が多いようだが、人間的環境とは生物学的環境と全く切り離されているという事実を忘れないでほしい。 | ||||
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他の人のレヴューの評価があまりにも高いので一言。正直、素人には読みこなすのは難しい。認知科学、コンピューター工学、脳科学、遺伝学 進化論、ゲームの理論といった多岐にわたる分野を網羅するため、これらの知識が一定程度ないと読むことはできない。おそらくレヴュー を書いて5星を付けている人は、これらの分野の専門家や研究者であるか、自分がどれだけ知性をもった人間であるのかを誇示したいのか、どちらかだろう。ドォーキンスの『利己的遺伝子』もそうだが、レヴューには「わかりやすく解説」だとか、「中学のとき読んで感動した」とか書いてありながら、どうみても素人が手を出して咀嚼できる類のものではないことが多い。ジョン・ロールズの『正義論』を読んで「高校のとき読んで感動した」なんてレヴューがあったら、憤懣ものだ。どうも自然科学系の書物のレヴューには、こういった知的ディレッタントに耽るものが多すぎる。 たしかに、勉強になる部分も多いし、ピンカー特有の興味深い記述も多いのだが、決して簡単に読める本ではない。残念ながら、訳もこなれているとは思えない。英語ができる人は、むしろピンカーのホームページにいって、彼のエッセーや論文をダウンロードして読んだほうがよい。 | ||||
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2,3ページ読んで翻訳のむごさに嫌気がさしました。 「。 。 。 この問題が組み立てられてから数千年たった21世紀においても、どうでもいい話やありきたりの話にはなっていない」p9 「どうでもいい話やありきたりの話にはなっていない」? ひどい日本語。 こういう訳でもプロとして成立するんでしょうか。 戦前の 岩波文庫の時代から翻訳は全然進歩してないんですね。 英語読める人は原文で読むことをお薦めします。 「難しい」という感想は翻訳のせいもだいぶあると思います | ||||
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やっぱ内容が難しくて三分の一しか読めませんでした。レビューする資格はないかもしれませんが、感想をどうしても残して置きたいと思いました。 「人間の本性」という言葉によって私が連想したのは、もっと純粋で普遍的でアプリオリな契機(例えば、カントのカテゴリーとかあるいは自由とか)でした。でも、どうもピンカーが考えているのは、遺伝的に受け継がれてきた要素であり、したがって個々に相違する要素のようでした。【でもそれって「本性」なの?言葉の意図的な使用法に誤魔化されまい】 「機械の中の幽霊」とか「高貴な野蛮人」といった怪しげは言葉を全面にだすことによって最初からこの内実を廃棄しようとするピンカーの意図はミエミエである。そもそもそれが「公式理論」なんて聞いたこともない。 ロックの白紙説にふれる人は、そこに環境や教育の無限の可能性を見出し、少しづつでも人間はよくなっていくんだという希望を抱く。その本来ある姿をルソーの自然概念が教えてくれたように思える。「森に帰れ」と彼が言ったとは思えない。でも実際はどの程度、環境が人間に影響するのかは知るよしもない(遺伝的素質と同様に)。【自分は変えられるんだ、自分は自由であり責任の名のもとに行為できるんだ。このことが他の自然とは違う尊厳という名のステイタスを自分に与えてくれるんだ、そう私は自分に言い聞かせてきた。そもそも自由は主題化されてくるの?】 ピンカーに問いたいのは、遺伝的本性を強調することによって一体人間にどのような希望がもたらされるかということだ。ただ、もはやこれ以上彼の言葉に耳を貸すことはできない。私はそんなに暇でない。 | ||||
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第10章のみのレビューである(そこしか今のところ読んでない) 人間の行為への遺伝子の影響を強調するとどうしても気になるのが自由意志と責任の問題である。遺伝子が人間の行為を100%決定するとしたら(ピンカーはそう考えてはいないが)もはや犯罪行為に対して「報復」という意味の刑罰を下すことはできないはずだ。彼に責任はない。90%ならどうだ、50%ならどうだ。ついついこういった問いが沸きあがってくる。挙句の果て「一体責任とはなんだろうか」という根本的問いにまでいきついてしまう。第10章「もしすべてがあらかじめ決定されているのならば・・・」はこういう問いに答えようとしている。 話のオチは、責任を課するというのは、犯罪者の行為に対する「報復」ではなく、再犯ないし他の人の犯罪の「抑止」だということである。「責任は、どんな抽象的な価値を備えているかは別として、すぐれて実際的な機能をもっている。有害な行動を防止するという機能である」87頁。 本人に自由意志があったかどうか(機械の中に幽霊があるかいなか)はどうでもいい問題のようである。刑罰は本人の行為に対するバツを目的とするのではなく、二度と同じことを繰り返さないよう抑止のために行われるのである(死刑に意義があるとしたら、他者の犯罪抑止という意味しかもちえないことになる)。「公的な処罰を受ける可能性があるということに反応できる、機能する脳システム」93頁を欠いている場合を除いて免責は許されない。 ヒューム、カント、サルトルも同じように考えたとピンカーは解釈している。すなわち「自由に選択されたものとみなされるべきである」86頁と考えていたということである。それって本当? | ||||
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現在、人間科学は机上の理論ではなく、フィールドワーク化の傾向にあり、 実証的な実験データや研究データ、もちろん臨床データの上に成り立ってきています。 なので、最近の人間科学の本を読むと、たいてい、臨床データと統計分析が書かれているわけです。 で、この本を読むと、最近の本なのに、臨床データが全然ない事に気付く訳です。 「第二次世界大戦時にユダヤ人を迫害したのは間違いだった」とか、 「19世紀の学者が白人が優れているのは遺伝子のせいと考えていたのは間違いであった」とか、歴史をえんえんと書いてます。 民族による差が減ってきているのは歴史的事実ですが、 だからといって、この歴史的事実が、そのまま個人の遺伝と能力が無関係な証明にはならない気がします。 つまり、著者は、簡単言うと、このように主張している訳です。 「人種差別はよくないですよね? あの圧倒的な強さだったアングロサクソンも時代ともに普通の人に変わりました。 ユダヤ人を差別するのも良くないですよね?ホロコーストを思い出してください。(著者はユダヤ人) 人種による違いは時代が経つにつれ失われ、ほとんど差がなくなりつつあります。 努力や教育で多くの障害は乗り越えられるますし、今後もそうすべきです」 と。 他の諸問題に対しても、同様な哲学的アプローチで、答えを求めています。 ま、主張するのは自由なんですけど、 科学的で、客観的な見方が欠けているように感じました。 彼の意見を延々と読んで、「じゃあ、実際に調べてみれば?」と思いました。 哲学的に答えをだそうとしていますが・・・申し訳ないですが、はっきり言って、時間の無駄です。 そんな時間があれば、実際に調査して統計取ってみれば、あっという間に結果が出ます。 現在の生物学では、臨床で実地に調べる研究が重視されています。 実際に調べてみて、人種によって差が出る分野はちゃんと「差が出る」と公表します。 公表することで、その原因をみんなで研究します。 研究の結果、それがいいことなら、公表して、 皆がそれを取り入れるというのが、当然の流れです。 民族によって国によって、問題に対するアプローチや考え方が異なるのは当然なのだから、結果も違って当然です。 結果が良い国や民族から、他が学べばいいだけです。 ただ、「人種で違いが出るのがおかしい」の一言で済む話題を延々と、 このような難しい単語をふりかざして「空白の石板か否か」などを哲学的に論じることは 既にもう、時代に即してないように思いました。 というより、著者が生きた50年前と違い、 生物学はすっかり科学になってしまっているため、 生物学へのアプローチとして哲学はそもそも間違っていると思いました。 いまなら、誰かが「人種で違いが出るのがおかしい」といえば、 世界中の学者が、「OK。君の意見が正しいかどうか、実地で調べてね」というと思います。 「空白の石板かどうか」なんて言い出した日には、全員がぽかんとして、 「ええと。ご意見ありがとう。で。君の意見が正しいのかを証明するデータを提出していただけるかな?」 ・・・・と言われてしまうでしょう。 つまり、この本は「科学的ではなくて、リアルな世界で役に立つ議論をしていない」 ・・・点に問題があると思いました。 (他の感想を読んでピンとこなかったので、これは自分が書かねばいかんと思って書きました。 また、この本は、哲学的な語句を使って論じており、非常に読みにくいと思いました。 この難解さがいろいろな感想がでる原因ではないかと思います。) | ||||
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ヒトは生まれながらにナニかをもっている,という生得論者の著者が,反生得論者に反論する形で,認知科学での生得論を,領域横断的に広く説明したもの。 などという単純化矮小化が,挙句,誤解と反感とを産み,実の無い論争を引き起こす。 そこに見事に引きずり込まれたピンカー。 結果,これほどの才能がComputational Neuro Scienceの最前線から取り残され,前時代的に物語る認知科学をいつまでも主張せねばならなくなっている。 人間の本性とは,無益な争いに疲れることなのか,悲しい気持ちで読了する一冊だった。 | ||||
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