陪審法廷
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アメリカで日本人が起こした殺人事件裁判を題材にした作品。 結果ら言えば殺人を犯した15歳の少年でも、第一級殺人で無期懲役、第二級殺人でも最低25年の刑期に処せられ服役後に自立の道をほぼ絶たれてしまう刑期を少年に課すことが出来るのか。 日本の裁判制度と米国の陪審員制度を比較しながらその制度の矛盾点を突き殺人被告人を無罪にした画期的な裁判を垣間見た。 こうしてみると日米双方どちらの制度が良いというものではないことがよく理解できる。 一般文学通算2415作品目の感想。2020/07/13 20:30 | ||||
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良い作品だと思います。 陪審員制裁判について、非常に考えさせられる作品でした。 (私自身の無知にも起因するのですが…) 舞台はアメリカ、中学卒業を間近に控えた少年と少女、及び、 陪審員として選ばれた1人の女性、この3任を軸に物語が進みます。 少女の未来を守るために、少年が短絡的に殺人を犯してしまいます。 被告である少年、少年がかばった少女の純粋な心の葛藤に加え、 陪審員として選ばれた一般市民の思考や心情が描かれています。 起きた事実のみに基づきドライに白黒つけるか、 少年の未来を慮り判断するか、その狭間で葛藤します。 自分が少年の立場だったら? 少女の立場だったらどうする? 陪審員として選ばれたらどう考える? それぞれの立場で考えさせられました。 また、楡さんらしく、銃に関連した描写もリアリティを以って 表現されています。(初期の作品ほど、えぐい表現はありません) 楡さんて銃が大好きなんですかね。 久々に、導入部分からクライマックス、最後の締めまで 自然につながる作品でした。ほど良い余韻が残る読後感です。 | ||||
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駄作。 この著者は幅広いジャンルで著書があるが、 レベルが低い作品が多い。 中でもこの作品は 一番つまらない。 アメリカのディベートのクラス以下。 初期の頃がピークだっかか? | ||||
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著書の内容や法廷サスペンスとしての評価については他の方のレビューがあるのでそちらには触れず、敢えて別の視点から評価してみたい。 私がこの著書に抱く詰めの甘さ(?)は、「陪審制度とは何のためにあるのか?」という問に対する答えである。ストーリーに登場するユキエが言うように、それは法という無機質なシステムに人間の「心情」を反映するための制度である・・・と、著者はおそらく考えているのであろう。それを陪審制度の中に読み込もうという視点は、一つの正解ではある。が、はっきり言って短絡的過ぎる。 アメリカにおいて、陪審制度が導入された最大の理由は、合衆国市民に根付く「権力への懐疑」である。アメリカはその建国当初から「権力」、特に「国家権力」に対する不信感を持つ。これは、君主制をとろうが民主制を取ろうが権力をもった人間はいつか腐敗するという経験則に基づいている。 そして本書で登場する法廷や裁判官・・・すなわち「裁判所」も、「国家権力の一翼」を担っているのである。ゆえに、陪審制度を用いて合衆国市民は「裁判所」による法の恣意的な解釈や法の濫用という「権力の暴走」を防止しようとしたのである。これは、アメリカ連邦最高裁の判例で実際に述べられていることでもある。そして陪審制度が生み出されたイギリスでもこれは同様である。 本書ではこうした陪審制度の歴史的背景がすっぽり抜け落ちているように見受けられる。実はこの点は、日本に陪審制度が合うかどうかの重要論点の一つでもあり、ここが抜け落ちているのはなんとも痛い。 勿論、著者の答えも間違いなのではない。例えばダニエル・H・フットは、著作の中で法適用の判断基準に社会的感覚(市民の一般常識)を反映させる役割があると述べている。この点、主人公の行為が「正当防衛」にあたるかもしれないというくだりは、興味深い。だが、主人公に対する「同情」を反映するかどうかは、また別の問題である。 法は、「ルール」として機能しなければならない。ルールがその背景にある目的に合わせて作られる事は確かだが、一度ルールとして制定された以上、その背景にある目的をみてルールの適用・不適用を決めてはならない。それでは、ルールを執行する側の個人的な思想・感情等によって運用される事になり、ルールは極めて不安定になり流動化する。つまりルールとして機能を失うのである。 ケースバイケースというと社会においては何かと好意的に受け取られるが、こと法の世界においてそれは最終手段なのである。何と言っても法は、人を拘束することができる「権力行使」の最も顕著な姿だからである。これが不安定に運用される事ほど、怖い事は無い。 本書のストーリーに戻ってみよう。 殺人罪の目的を「正常な判断が出来る人が、罪なき人を殺す行為は市民にとって有害であるから罰しなければならない」と仮定すると、その目的に照らすと主人公の行為は「殺人罪」に当たらないのではないか?そうした結論が、おそらく陪審員たちの主人公やパメラに対する「同情」から湧き上がっているのである。それを法解釈に吹き込むとしたら、それはまさしく法の流動化である。 勿論、法は万能ではなく、時に本書のような「不都合な結果」を生み出す。だがそれは陪審員の不安定な「心情」ではなく、ルールの変更で対処すべき事柄である。つまりユキエが常々感じている「アメリカでは有罪と無罪の差がありすぎる」という点にこそ真の問題点があるのである。その点だけを取れば、実のところ日本特有の「灰色」はアメリカよりもより細かくルールを設定していると見ることもでき、悪いとばかりもいえない。 本書の背景には、そうした法=ルールとは何か?という根源的な問題が潜んでいるように思う。 当然のことながら、著者は本書の結論が必ずしも正しいとは思っていないであろうし、私の視点も必ず正しいわけではない。この「法」が抱える永遠の問題を取り上げた著者には敬服する。おそらく、この本を手に取った人々の殆どが「法」そして「裁判」とは何か?を考える良いきっかけになったのではないだろうか。その点を加味して、評価は☆3としました。 | ||||
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この本は 楡 周平(にれ しゅうへい)さんによって書かれた本です。単行本は2007年3月に出版されていますが、文庫本としては2009年3月に出版されています。 日本では陪審員制度が2009年5月21日に施行されましたので、出版のタイミングとしては良かったのではないかと思います。この本の内容はアメリカではいかにも起こりそうな事件を題材に展開していきます。 気持ちを寄せる少女の養父は彼女を長期間レイプし続けます。それを知った日本人少年は殺人を計画し、実行します。少年の薬物利用による計画的な殺人が有罪になるか、無罪になるか。 時間の経過とともに各々の陪審員の気持ちが揺れ動きます。 同時に読んでいる私の気持ちも見事に陪審員の一人として参加させられていたことに後で気付くことになります。 最終的な司法の判断が正解かどうか、それはわかりません。敢えて言うならば、正解はないのではないかと思います。特にこれからの日本の裁判制度に一石を投じたのではないかと思います。 興味のある方は是非ご一読ください。 すっと読めてしまう一冊です。 | ||||
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