介護退職
- 介護 (20)
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冒頭の銘句が本作のテーマを語っている。いわく「大学で東京に出るのは自然なことだった。そのまま職を東京で求めることもまた、自然なことだった。田舎に両親を残すことなど、気にも留めなかった。父母がやがて老いる時のことなど考えもしなかった。だけど今にして思う。親子の絆が断ち切れぬものである以上、その時のことに備えておくべきだったと――」。 たしかに主人公は今や役員の地位をうかがうほどの大企業のエリートで、都内に3LDKのマンションを持ち、子供はエリート中学に合格する秀才でしかも素直な少年。5千万円もの大金を抱えていながら不安で仕方がない、などという描写には鼻白む向きも多いだろう。また介護といえば当然のごとく女の仕事で、結局は弟の妻の厄介になる(それも金銭づくで)というのも顰蹙を買うことだろう。俗物といえば鼻もちならない俗物である。 しかしこういうタイプの、ある時代においてはごく普通のメンタリティをもつ男たちは、成功した者も挫折した者もみなデラシネなのである。本書において親の介護という深刻な状況がわれわれに突きつけるのは、その事態をどう切り抜けるのかということよりも(そういうテーマならいくらでも本が出ている)、自分たちが必死に働いているうちにいつの間にか根無し草になってしまったという虚無感ではないだろうか。ひたすら上を目指して人生という荒海に翻弄されてきて、もう少しでゴールというときにふりかえってみると後ろには茫漠たる暗がりがあるのみ。 毎晩電話だけはするが忙しさを理由に老母が独り暮らしをする田舎には滅多に帰省もしない。就職して多少は地位もできたのに親にはろくに仕送りもしていない。自分の仕事が大事、自分の将来が大事、自分の家庭が大事であるのは当然だとしても、そのためになにを忘れてしまったのか、なにを置き捨ててしまったのかを考えさせる佳作だと思う。 プロットがお気楽すぎる、登場人物たちが類型的にすぎるというのはその通りだと思う。しかし作者の意図はもっと別のところにあったのではないかというのがわたしの読後感である。中高年の男性におすすめしたい。 | ||||
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大手電機メーカの部長職にある唐木栄太郎の母が郷里秋田で雪掻き中に転倒骨折。 一人暮らしの母親を東京に引き取るが認知症を患い唐木の職場にも影響が出る。 担当プロジェクトを外され閑職に左遷。 やむなく退職の選択をする羽目に。 その後の苦悩が続くと思いきや弟の嫁を母の介護に充て自分は新たな職を見つけ海外赴任の職に就くハッピーエンド。 出来過ぎ感がありちょっと残念。 一般文学通算2140作品目の感想。2018/10/08 16:40 | ||||
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非現実的なハッピーエンド。 作者は介護や認知症の地獄のような実状を知らず、表面だけの脳天気な描写に終始。 おそらくパロディなのでしょう。 素晴らしい作品です。 | ||||
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タイトルどおり、優秀なビジネスマンが親の介護のために会社を退職するという話です。退職に至るまでの経緯はありがちなパターンですが,その分リアルな感じでした。 現在はまだまだ元気な団塊の世代に介護が必要となったとき,ちょうど僕たちは50代ぐらいで,まさにこの主人公と同じような年齢にあります。 20年後も現在と同じように,親の介護のために会社を辞めたり,仕事が変わざるを得ない状況が続いているのでしょうか。 僕らは,今後,社会福祉関連の金銭的な負担がどんどん増え,税金も上がっていく世の中の流れにただ漫然と流されていくしかないのか不安にさせられました。 | ||||
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本書はフィクションの小説である。しかし、自分、隣近所、今日明日にでも起こる様な、大変リアリティに富んだ内容であり、読む事によって決して他人事にするのでは無く、我が事として関心を持ち、危機意識を持って準備・備えを考えられるものと思われる。 以下概要 或る大手電機メーカーの国際事業本部・部長である50歳の男性の主人公は、・・・(中略)・・・47歳の妻と、・・・(中略)・・・12歳の長男の3人で、東京都内の3LDKのマンションに・・・(中略)・・・実家で一人暮らしをしている76歳の母親・・・(中略)・・・ ・・・・・・そして・・・(中略)・・・妻が・・・・・・(後略) 元部長の男性は、今回の一連の不遇・困難な経験から、・・・(中略)・・・ではないかと悟る。 以上概要 私と明らかに違うのは、まず、世間一般と比較してでもあるが、地位が高く肩書きを持ち、年収も高額で、預金も多い。そしてその男性にとってストレスに感じる事、ノルマの無い事や、管理されず自由である事、時間の融通が効く事、周囲に干渉されずに済む事は、私にとってはストレスにはならず、虚しさも感じないどころか有難く感じるぐらいである。私は孤独であっても平気である。また私は職場も転々として来たし、職種も多少変更した経験を持っている為に、見栄や体裁は全く気にならず、開き直っている為に、精神的にも融通が効く様になっている。故に、少しクビになったからと言って、それで動揺等はしない。基本的に「成るように成る」と、いつも思っている。 ただ結婚もせず孤独であるのは健康で順調な時は良いが、自分自身もいつ何時どうなるか、先の事は解らない。また、この小説の様に、身内がどうなるかも解らない。いずれにもリスクは存在する。 私は今から14年前(2003年)に怪我をした経験を持っている。その当時は一人暮らしをしていたが、入院時とその後の実家での自宅療養において、同じ県内に住む両親の世話となった。また5年前(2012年)には、自分自身のエンディングノートを書いた。 万一、怪我や病気、死亡等で自分で行う事が出来なくなってしまったり、意思の疎通が出来なくなってしまった時の為にエンディングノートを書くのだが、自分のプロフィールや過去の経歴、連絡先、各種手続き要領、webサイトのアカウント、パソコンの内容、遺品整理における写真やデータ等の取り扱い、所有する財産、健康管理、介護について、手術の承諾について、尊厳死・安楽死についての考え、延命治療の要不要、葬儀の仕方等を、洗いざらい書き出しておく。 現在の私は、孤独に、自立して、出来るだけ頼らずに生きる事を良しとしているが、同時にリスクも併せて考えている。生涯独身を掲げる私自身に関しては、成年後見制度や生前契約が頼りとなる可能性が高い。社会システムの発達により、その辺りは安心に繋がる。 人がこの世で生きていく上で、責任、義務、役割が重要となる。両親の介護は子の務めであり、責任であり、義務であり、役割でもある。但し、全部を放棄してしまうのでは無く、仕事や家事等の他の用事とのバランスを取る為に、その割合を減らして介護サービスに頼る事となる。また、夫が外へ出て仕事をし、妻が主婦として家事と子供の養育をして家庭を守るという事は、それぞれの役割である。それらの役割は比較するものでは無く、区別に相当するものである。主婦の役割も仕事である。仕事・務めに報酬の有無は関係ない。報酬が値打ちを表すものでは無い。フェミニズム等の平等論は論外・ナンセンスである。役割と平等は無関係である。役割分担をして、そのそれぞれに値打ちが有るのである。役割それぞれに尊卑貴賤は無い。 人それぞれに運命がある。それは創造主である神の定めである。運命は、人自身の希望通りにはなっていない。神の定めである運命は、神による各個人への命令である。この命令は絶対命令である為に、避ける事は出来ない。その事を人が悟った時、神に委ねて開き直り、「成るように成る」と気持ちも楽になる。人それぞれが置かれた状況の下で、それに応じた役割を行い、そのそれぞれの役割の上で、義の務め、責任を果たすのである。 (頑狷曲捻者TNの日々雑記、沈思黙考) | ||||
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