■スポンサードリンク
人間の本性を考える人間の本性を考える人間の本性を考える人間の本性を考える人間の本性を考える人間の本性を考える人間の本性を考える人間の本性を考える人間の本性を考える
人間の本性を考える
人間の本性を考える
人間の本性を考える
人間の本性を考える
人間の本性を考える
人間の本性を考える
人間の本性を考える
人間の本性を考える
人間の本性を考える
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
人間の本性を考えるの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全29件 21~29 2/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
下巻では、政治、暴力、性、育児、芸術という、最も議論を呼びやすいテーマについて、 人間の本性との関係を述べています。 個人的には、上、中巻と比べても、最も面白く読めました。 中でも、育児において親が子供の人格に与える影響の話が非常に興味深かったです。 必要以上にべったりだったり、無関心だったり、親子の関係は難しいものですが、 親ができること、できないことについての理解が深まり、私が抱いていた 親子観が根底から変わりました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
心理言語学者のスティーブン・ピンカーといえば、「言語生得説」の主張を論争的かつユーモラスな文体で軽快につづった、『言語を生みだす本能』がNHKブックスから出版されていて有名だ。 人間が「文法」の規則をあやつる能力をいかにして獲得するのかについて、「後天的」に獲得する──つまり赤ちゃんが、たとえば両親の会話を聞いているうちに帰納的に規則を発見する──と考える立場と、「先天的」にその能力を持っている──つまり遺伝子によって規定される脳の構造のなかに、すでに文法の基本原理は組み込まれている──と考える立場がある。 後者は、言語学界の革命児ノーム・チョムスキーが創始した「生成文法理論」が採っている言語研究のアプローチで、ピンカーの研究も基本的には同じ流れに属している──「進化論」の扱い等をめぐってチョムスキーと鋭く対立してもいるようだが──。 ちなみに、『言語を生み出す本能』もこの『人間の本性を考える』もともに、アメリカではベストセラー入りしている。 さて、本書『人間の本性を考える』のテーマは、言語にかぎらず、人間の性格や能力がいかに広範囲にわたって遺伝的に、つまり先天的に決定されているかである。要するに本書におけるピンカーの戦いの舞台は、「『心』をつくるのは生まれか? 育ちか?」の論争だ。もちろんピンカー自身は、少なくとも論争上は、「生まれ」の重要性を強調する立場にいると言っていい。 この上巻では、「生まれか? 育ちか?」論争の科学的な内容にも触れられているが、より強い力点が置かれているのは、その論争がしばしば「政治的」な動機によって、非科学的で不公正なものへと歪められてきたという事実の指摘である。 人間の性格は、「遺伝(生まれ)」と「環境(育ち)」の両者の相互作用によって形作られる。常識的にはそう考えるべきであり、ピンカー自身もそう主張する。したがって論点は、「生まれ」と「育ち」の双方がどの程度の割合で作用してくるのか、またどのような作用の仕方をするのか、に絞られてくるはずだ。 ところがアメリカの知識界では、「平等主義」的なイデオロギーが幅を利かせているせいで、この常識的見解が否定され続けてきたのである。「生まれながらの不平等」を認めたくないわけだ。 「遺伝」によって決まる人間の性質を、ピンカーは「人間本性」と呼ぶ。そして「人間本性」の存在を認めない立場の代表例が、「ブランク・スレート(空白の石版)」仮説、つまり人間の心はがんらい「空白」で、生まれた時点では個体間に何の差異もないという考え方である。(そのほか、「人間本性」を否定する立場には、「高貴な野蛮人」、「機械の中の幽霊」といったバリエーションがあるらしい。) 遺伝子の研究や、認知科学、脳神経科学の発達によって、人間の心が「ブランク・スレート」の状態で生まれてくるのではないということは、すでに当たり前の認識となってきた。何らかのかたちで「人間本性」が存在することは認めざるを得ないのだ。 しかしながらアメリカでは、つい最近まで、科学者が「人間本性」の存在を少しでも認める主張をすると、たとえば「人種差別主義者」といったレッテルを貼られて、社会的に断罪されるという事態が頻発していたのである。 ピンカーは膨大な量の文献を引用して、「人間本性」説を攻撃する「ブランク・スレート」論者たちが、いかにアンフェアなやり方で、心ある科学者たちに不当な攻撃を仕掛けてきたかを明らかにしている。 本書(上巻)から我々が学ぶべきなのは、アメリカのアカデミズムやジャーナリズムが、少なくとも特定の分野では、「自由」でも「公正」でもないのだという事実であろう。アカデミックな実証研究が社会的・政治的なイデオロギーによって歪曲されるという事態は、「自由の国」アメリカにおいてすら日常茶飯事なのである。 もちろん「自由」であればいいというわけではないし、科学哲学者のT.クーンが「パラダイム」という言葉で説明したように、自然科学の研究とて、その基本的な前提や枠組みは、ある種の「社会心理」によって規定されているのが普通ではある。 しかし本書のなかでピンカーが告発しているのは、そんな生易しい社会心理の支配などではなく、ほとんど暴力的というべき卑劣な研究妨害活動だ。 興味がある人は、この上巻の6・7章を読んでみるといい。 さて、中・下巻も買わなきゃ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私も上中下巻を個別にレビューします。 まず上巻は「人間の本性論争史」といったところ。 タビュラ・ラサ説の論理的誤り、社会生物学論争の問題点などは分かりやすく説明されている。 が、なぜタビュラ・ラサ説が誤っており「生まれは育ちを通して説」が正しいと言えるのか、その根拠をもっと詳細に提示した方が説得力がでるのではないか。 リドレーの『やわらかな遺伝子』より読みやすさでは上だがパンチ力は足りないと感じた。 中巻以降どう展開して行くのか気になる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「人間がどうなるのは生れ落ちた環境とその後の教育しだい」という考え方(「空白の石版」の教義)は人間のパーソナリティについての世間のスタンダードのようです。 ちょっと注意すればこの手の考えはいたるところに散見することができます。 「親の愛情を知らずにそだった子供は自分自身の子供にも愛情を注げない」、「虐待された子供は自分のこどもをも虐待する」などといった暴力・虐待の連鎖の考えはその典型でしょう。はたまた未来の博士や芸術家を夢見て物心つかないうちからわが子を熱心に「教育」する親たち。滑稽に映ります。 無論、人間性には経験的な要因が大きくすることは確かですが、先天的な資質の占める部分も非常に多いということも揺るがしがたい事実です。二人の姪の性格の違いを見るにつけつくづくそう思います。 重要なことは事実から目を背けることではなく、事実を把握した上でそれをどう活かすかということでしょう。「教育」「しつけ」の重要性はその先に見えてくるはずです。 人間性を生物学的、とくに進化論の観点から説明することにはかなり拒絶反応を感じてしまう方も、なるべく公平な視点から(といってもピンカーの筆致はかなり挑発的なのでなかなか難しいかもしれませんが)本書を読んでみてください。生物学は人間の根を照射し得るということが理解されると思います。 面白い本です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「ブランクスレート」「高貴な野蛮人」「機械のなかの幽霊」という 育ち論者、環境論者、行動主義者らの社会科学系からでてきた人についての 妄想を木端微塵にしてくれています。 しかし、これほどの科学者が、上記の妄想を論破するために本書を書くという 労力をかけなければならない状況とは一体なんなんだろうか。 昨日の新聞でも、「インテリジェント・デザイン」という、 人は何らかの知的な存在によって作られたという説を 学校の教科書に載せる・載せないで議論しているようです。 どんな宗教を信じる・信じないは個人の自由ですが、 それを科学の世界に持ってくる事の危険性を感じます。 宗教は偉大な文化だと思いますが、 科学はそれからは完全に守られた状況で事実を解明することに集中すべきだと思います。 当然、科学の力を利用する際には、善悪を含めて様々な観点から慎重を期すべきですが、 それは科学が新たな領域を見つけたあとに行うべきでしょう。 上中下3巻セットあわせて必読書です。 なお、進化理論について興味を持たれた方には以下の書籍がお薦めです。 リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」「延長された表現型」「盲目の時計職人」 マット・リドレー「やわらかな遺伝子」「ゲノムが語る23の物語」「徳の起源」「赤の女王」 ニコラス・ハンフリー「獲得と喪失」 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「言語を生み出す本能」でたちまち注目を浴びたスティーブンピンカーの新刊。 翻訳も読みやすいので、たちまち本書の魅力に飲み込まれるだろうと思う。 上巻は、「空白の石版」派との論争を振り返りながら、その欺瞞とトリックを解き明かしていく。 中巻下巻と徐々に本質を付いて行くが、やはりまずは上巻からはいるべきであろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
・人間に生まれつき能力の差はない ・男女に性差は無い このような言説を信じる人がいるだろうか? いるのである、アカデミズムの狭い世界では。彼らは、大方マルクス主義あるいはポストモダニストで、自分のイデオロギーとかみ合わないものを「無い」と言ってきた。 そのため、混乱した言説は、無意味に難解になり時に意味不明になり、変なレトリックで頑張って否定せざるをえなかった。ソーカルの「知の欺瞞」でその駄目駄目さを指摘され、さらに追いうちをかけるのが本書だと言える。 行動生物学、遺伝学、脳科学、社会生物学を駆使し、社会のあらゆる事柄に言及する。ピンカーのリズムのよい、時の饒舌な文章に多くの読者が惹かれるだろう。ナチズムとマルキシズム。この両極端のイデオロギーがなぜ同じように全体主義になり、大多数の(一億人!)虐殺を行なったのか。レイプはなぜおこり、またどうすればそれを減少させることができるのか。他にも性差、子育てと、ピンカーのフィールドは幅広い。 誤解して欲しくないのは、進化心理学は決して「全ては遺伝だ」とも言わないし、また「レイプは生得的な欲望だから仕方ない」と主張などもしない。その点、勘違いはしないで、読むべきだろう(普通に読めば勘違いなんかしないけど)。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
各巻、1冊ずつレビューしてきましたが、ようやく最終巻。 この下巻では、生得的なさまざまな人間本性が存在するという立場から、政治・暴力・ジェンダー・子育て・芸術の5分野について論じます。ここでも議論は論争的で、つねにタブラ・ラサ説の主張を視野に置きつつ、主に進化心理学の立場からそれに反論し、時に嘲笑を投げかけながら自説を展開していきます。最後の第Ⅵ部は、5つの文学作品からの引用に絡めて人間本性の諸様相を語ることで締めくくられます。 私としては、やはり子育てについて論じた章がもっとも刺激的でした。進化心理学的な統計の意味合いをどう受け取るかで、かなり微妙な面もあるようですが、要するに親はどうあがいても子供のパーソナリティーに影響を与えることはできない! という話です。まあ、よく考えれば、操作できるほうが怖いんですけどね。 しかし私としては、やはり著者の主張を丸呑みはできないな、という感想を持ちました。タブラ・ラサ説の誤りはそのとおりだろうけど、ピンカーの議論もかなり大風呂敷のように思います。ここではそれを検討できませんが、とにかく上巻の分子レベルの話から下巻の心理学的レベルまで、広範囲の議論がめくるめくような華麗さで展開される中、タブラ・ラサ説攻撃が執拗なのに比して、自説のポジティヴな展開はかなり冒険的ではないかという印象です。 ただし、タブラ・ラサ説の粉砕というだけでも、この本の意義は大きいと思います。まともに受け止めれば、深刻な問題が山ほど発生するはずですが、さて、私たちはこれをエンタテインメント的に消費する以上のところに踏み込めるのかどうか・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
上中下3巻本なので、読み進めるのと同時進行で、1冊ずつレビューしていきます。 上巻では脳科学・心理学・言語学など、最先端の諸科学の成果をマシンガンのように浴びせかけて、タブラ・ラサ論を完膚なきまでに叩きのめします。個人的に特に興味深かったのは、脳の可塑性を示す諸結果が脳の遺伝的構成の主張を覆すものではないことを示す議論でした。腑に落ちました。 さらに第Ⅱ部では、生得性を視野に入れて人間を論じた人々がいかに不当な批判を浴びたか、タブラ・ラサ説に固執する知識人たちがどのような欺瞞に陥ったかが論じられます。 ここまでの議論は、ジェットコースターに乗っているような息もつかせぬ展開。圧倒的にオモシローイ。実は深夜に上巻を読み終えたとき手元に中巻がなく、それでもすぐ続きが気になって書庫に積ん読してあった原書を引っ張り出して読み始めたくらいです。 ただし、「タブラ・ラサ論は誤り」、「遺伝的に規定される人間本性がある」という主張には深く納得したのですが、ではその本性の具体的な内容、生得性の程度がいかほどかについては、試論的な水準に留まっていると思います。続きをちょっと覗いた限りでは、議論はそちらではなく、生得性を肯定することの社会的意味を検討する方向に向かう様子。 最後にもう一言。このような内容の本がかつてのような社会的憤激を浴びず、むしろ多くの人の関心を惹き、ベストセラーになり、肯定的な評価を受ける状況と、冷戦終結・ソヴィエト崩壊という時代状況との関連性は、あると思います。そして中下巻の議論には、冷戦終結後の世界の思想的混迷を打破できるかどうかが賭けられているはずです。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!