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怒りのアフガン: ランボー3



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【この小説が収録されている参考書籍】
ランボー3―怒りのアフガン (ハヤカワ文庫NV)

怒りのアフガン: ランボー3の評価: 4.00/10点 レビュー 1件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.00pt

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No.1:
(4pt)

映画はやはり別物か

本書もまた映画化され有名になった『ランボー3/怒りのアフガン』の原作本である。当時この映画でアフガニスタンのことをアフガンと呼ぶということを初めて知ったなぁ。
作者マレルによるランボーシリーズは本書までで2008年の映画『ランボー/最後の戦場』は関与していない。

2作目の『~怒りの脱出』同様、ランボーは孤独な戦いをするわけではなく、今回も仲間と共に戦う。前作ではコーという現地CIAの女性連絡員がパートナーとなり、2人での戦いだったが、本作ではアフガン・ゲリラがランボーに協力することになり、チームとして戦うことになる。
1作目はランボー対警察と題名通り「一人だけの軍隊」だったが2作、3作と回を重ねるにつれ、ランボーの協力者の人数が増えているところが新味だろう。

前2作までに共通するのはランボーが拷問されるということ。
1作目は理不尽とも思える警察の取り調べでヴェトナム捕虜時代の悪夢が甦り、それが事件の契機となった。
2作目ではかつて捕虜となったヴェトナムで再び捕えられ、ヴェトナム軍とソヴィエト軍(この頃はまだソ連だった)両方の拷問を受けるランボーだったが、本書ではなんと彼の師であるトラウトマン大佐が捕えられ、ソ連軍から過酷な拷問を受ける。この拷問が半端なく、肉体的だけでなく精神的にも過酷な仕打ちが事細かに書かれており、老齢のイメージがあったトラウトマンは果たして大丈夫なのだろうかといらぬ心配をしてしまった。文庫カバーの袖につけられた映画のシーンのスナップショットで見られるトラウトマンは本書で描かれているほど手酷い傷を負っているようには見えないので、映画ではソフトに抑えられたようだが。

そして本書では宗教観が色濃く出ている。物語の冒頭ではランボーはタイのバンコックで前回の任務で喪ったコーに対する罪悪感に苛まれ、人生は苦悩の連続だという仏陀の教えに浸かって日々を贖罪の行為として生きている。この苦痛の果てに訪れる平穏を求め、ランボーは鍛冶場で働き、己の肉体を痛めつけるが如く、金属を打ち続ける。
そんなところに現れたのが彼の師トラウトマン。しかしもう自分が戦場に赴くことで関わる人が死ぬことを恐れるランボーはトラウトマンの要請を断る。

任務を断ったことで逆に師であるトラウトマンが捕虜となり、手酷い拷問を受ける羽目になり、さらにはその救出作戦にアフガン・ゲリラたちの助けを借りることでソ連軍の報復の的になったことをランボーを悔やむ。それは自分が運命に逆らったからだとランボーは自分を責める。

仏陀の教えにある人生は苦悩に満ちているという思想のために自分を責めるランボーに、今回彼に協力するアフガンたちのイスラム教の思想、全てはアラーの神の思し召しなのだという、運命論に次第にランボーは傾いていく様が語られる。
彼が任務を拒んだことでトラウトマンが捕虜となり、彼が師を救出するためにアフガニスタンの地を踏み、ソ連軍と戦うこと、それら全てが定められたことだというアフガンたちの言葉でランボーは物語の最後に自分の人生の意味を悟る。人生は確かに苦悩に満ちているがそれこそ神が自身に与えた宿命、神は自分に戦士になり、人々の苦悩を引き受けることを課した、と。

1作目では他者の介入を拒み、自分のテリトリーを守るがために戦いを起こさざるを得なかったランボー。2作目ではヴェトナム戦争での捕虜時代の悪夢ゆえに人との接し方が解らなかったランボーが彼の地で得た協力者に初めて自分の師以外に心を許すが、その協力者を失い、さらには味方にも見放されたことで無力感に襲われるランボー。
彼の人生に対する諦観が本書でようやく結論が出される。前2作の結末はいずれも喪失感で終わったが、本書でようやく彼は悟りを開いたのだ。

しかし前作でも触れたが、改めて戦争は狂気の温床だと感じられる。アフガニスタンという不慣れな土地でゲリラの殲滅を命じられたソ連軍のザイサン大佐とその部下たちも自分たちの戦争ではないと一刻も早く任務が終わることを望む。
そんな過酷な環境は彼らに虐げられているという被害妄想を生み、やがて仲間や上司の失敗や醜態を期待するような屈折した精神状態を生み出す。軍律という厳しい戒律の中で上司命令が絶対的な状況の中では、その実こんなおぞましい感情が渦巻いている。

上にも書いたように本書でマレルの手によるランボー作品は終わりだろう。しかし映画は確かに観たが1作目、2作目に比べてイメージの想起がなく、こんな話だったかなぁと首を傾げることが多かった。アクションもあるが、宗教観を絡めたランボーの内面を語ることにウェイトが置かれていたのも映画との結びつかなかった原因の一つかもしれない。
映画を既に観ていたことが今回は逆に仇になったようだ。やはり映画は映画、小説は小説と全く別物として捉えて読まなければならないのだが、いやはや難しいものだ。

Tetchy
WHOKS60S

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