藪の中
- 信頼できない語り手 (10)
※タグの編集はログイン後行えます
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt | ||||||||
藪の中の総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| コンパクトで馴染みの作品を網羅。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| タイトル名の作品の音読をきっかけに購読しました。既に古典的名作として高い評価を受けている作品ばかりが収録されており、楽しめました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| たまたま市内の朗読グループが録音したCDをいただき「藪の中」の色々な言葉が「漢字」として浮かんでこなかったので購入することにしました。 服装や色、時間の伝え方に納得しながらも結局、犯人については藪の中という終わり方に謎解きをしたくなる表題でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 昔購入したけど所在不明にて、再購入しました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 神は藪の中殺人事件を使って捨て子を救った。 この本に収録されているのは、映画『羅生門』の脚本だ。執筆したのは黒澤明監督。芥川龍之介の『藪の中』と『羅生門』が原作だ。 脚本と原作の違いは、『藪の中』にはない4つ目の証言と捨て子のエピソード。この加筆によって、映画『羅生門』は世界最高の名画と成った。 第1の証言は藪の中姦淫殺人事件の重要参考人多襄丸の偽証。 第2の証言は殺された武士の妻の偽証。 第3の証言は死んだ武士の霊の偽証。 第4の証言が、全てを目撃した樵の語った真実だ。 黒澤明は芥川龍之介の小説『藪の中』の謎を解いていたのだ! 殺人事件の容疑者3人は全員自分が犯人だと証言する。しかし殺害したのは第1の容疑者多襄丸だった。では何故第2第3の容疑者は嘘をついたのか? 妻は夫を殺したと証言し自殺未遂まで図っていた。武士は自害だと証言した。3人には自分が殺人の罪を認めてでも隠したい重罪があった。 多襄丸は、自分も武士も女を奪い合って勇ましく戦ったと言いたかったのであり、武士は多襄丸の殺人罪を庇って、妻の姦淫罪を許せないと訴えた。妻は、自分は姦淫を悔いたが夫の許しが出なかった為殺したと訴えた。 姦淫は殺人より罪が重い、というクリスチャンたる芥川の訴えを黒澤は『藪の中』から読み取っていた。 脚本版『藪の中』の狙いの一つは姦淫重罪説を日本人に説く事だった。 第4の証言は、藪の中姦淫事件のお粗末な展開を暴露する。 多襄丸も武士も女を奪い合うのをやめて、姦淫の罪の原因を女に擦り付ける。それに怒った女が2人の男を強く詰って男たちは仕方なく決闘を始めた。この事実を2人の男は検非違使に語ることが出来なかった。如何しても隠したかった。 女も自分が詰って男二人を決闘に追い込んだとは証言出来なかった。 人間は等しく良心の呵責に苛まれる。 芥川が『藪の中』で訴えたかったのは、人間は信じられないという事とは真逆の結論だった!と黒澤は読み取った。その証拠に女は、夫の死は決闘を求めた自分の責任だと後悔し、自殺を図っているではないか。 それなのに、現代に至っても日本人は“真相は『藪の中』”と言う使い方をして、小説『藪の中』を例に取って「人は自分勝手に嘘をつく」と言いたがる。これは芥川に取っても、黒澤に取っても心外な社会現象だ。 脚本『羅生門』は捨て子を樵が育てると決心するエピソードで終わる。 日本人はこれを取ってつけたご都合主義の展開だと酷評した。世界の観客がこのハッピーエンドに感動し拍手を送ったにも関わらず! 第4の証言にも偽証はあった。女が多襄丸と争った際に落とした高価な短刀を樵は盗んでいたのだ。樵には6人の子供がいた。家族を養う為に樵は盗みを働いたが、検非違使ではそれを隠した。 「6人育てるも、7人育てるも同じ苦労だ」 樵は涙を流して捨て子を育てたいと訴える。罪を犯した良心の呵責が、彼にそう言わせたのだ。ここに、黒澤明版『藪の中』は完結する。 そして映画本編にはない、希望の入道雲が雨上がりの青空に立ち上がって脚本『羅生門』は終わる。 人間を信じて良いんだよ、というメッセージ。全ての黒澤明監督の作品に共通する結論だ。 捨て子は豪雨の前から『羅生門』の下にいた。神は事件に遭遇した僧と樵を羅生門に呼び寄せて、下人を相手に事件を語らせた。 樵の心情を善良な方向に転換させる為に。そして、彼が罪の償いを決意する事に成功する。 神の愛の表現者として人は生まれ生きている。 映画『羅生門』の真相だ。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 12件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|
|





