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(短編集)

一人称単数



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【この小説が収録されている参考書籍】
一人称単数 (文春e-book)

一人称単数の評価: 3.83/5点 レビュー 166件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.83pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全114件 101~114 6/6ページ
No.14:
(4pt)

花鳥風月

日常の中にあるちょっとした非日常に心地良さを感じる小説でした。

東京奇譚集を読んだときは、面白くてスタイリッシュな生活もあるんだなあと読むのが楽しみでしたが、それ以降はその感覚がなくなった。

東京奇譚集を読んだのが大学最後の年で、就職をし結婚をし子供達に恵まれ、日々それなりに幸せに過ごしているのか、日常の不思議さよりも、日々誠実にどう生きるのかに興味が移ってしまった。

それでも、楽しみにしている作家さんです。
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P
No.13:
(5pt)

言葉とその連なりがなす、震えるような体験

またまた不思議な世界へ引き込まれ、味わい、言葉やその連なり、企みや喜びを味わってきました。
絵画や音楽や映像では表現できない世界です。
ひとつ間違えば、単なるホラ話になってしまいますが、この方のものは、最初の1字から引き込まれます。
■いっちゃう時に、歯形がつくくらいタオルを噛みしめながら、男の名前を呼ぶ女が詠んだ短歌、「やま かぜ に/ 首 刎 ねら れ て/ ことば なく あじさい の 根 もと に/ 六月 の 水」・・・。
『言葉』とは何か?
「僕ら の 身 に その とき 本当に 何 が 起こっ た のか、 そんな こと が 誰 に 明確 に 断言 できよう?   それでも、 もし 幸運 に 恵まれれ ば という こと だ が、 とき として いくつ かの 言葉 が 僕ら の そそば に 残る。」
「しかし その よう な 辛抱強い 言葉 たち を こしらえ て、 あるいは 見つけ出し て あと に 残す ため には、人 は ときには 自ら の 身 を、 自ら の 心 を 無条件 に差し出さ なく ては なら ない。 そう、 僕ら 自身 の 首 を、 冬 の 月光 が 照らし 出す 冷ややか な< 石 の まくら に> 載せ なく ては なら ない の だ。」
■「人の意識の中にのみ存在する円」を語る老人
■魂の深いところにある核心にまで届く音楽
■「with the beatles」を抱えた素晴らしく美しい少女とすれ違った頃にデートした、後に自殺する中産階級の少女(ノルウェーの森に繋がる)
■シューマンを溺愛する、知り合った中で最も醜い女性と驚異的 にハンサムな夫との詐欺事件
■愛する女性の名前を盗む、深化した品川猿
■一人称単数の私
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P
No.12:
(4pt)

一人称単数 自身のこと。「私」、「僕」、「俺」など。

全体的に「思い出」や「死」のイメージが横溢しているように感じました。一人称単数 自分自身。本当はあるようでもそれは無くて、周りに関わった人、(特に異性)、ビートルズやスワローズなどの音楽やスポーツと出会い、夢中になったりと、時代の思い出に集約されていることで、今の自分自身が出来上がっているような感じです。そんなに大したオリジナルな人生じゃないけど、印象的な思い出の層が重なって、今もこうして生きている。そう思わせてくれる本でした。『クリーム』は若い人に向けて、考える事の大切さをメッセージとして伝えたいのだと思います。アップダイクの『一人称単数』は古書で買えないのですが、読むと更にわかってくる事がありそうです。
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P
No.11:
(5pt)

作者自身の一人称単数表現と新たな長編小説の予感

村上春樹の短編の物語を深く味わうための、ある種の決まりごとがあります。
それは、物語が置かれた場所に読み手の方も同質化して、そこに留まるということ。

一人称単数という物語は、作者自身の人生の振り返りのではないかと考えました。
普段着ることのないスーツを身にまとい外出するという秘密の儀式。
その日は理由のない罪悪感と倫理的違和感を感じてしまいます。
ふらりと入ったバーでウオッカ・ギムレットを飲みながら小説を読んでいて、ふと鏡の中に写った自分がよそ者のように思え、同時に自分の人生は回路を取り違えてしまったのかという思いが沸き上がってきます。
そこからこの物語の深部に入り込んでいくのです。
女との会話はメタファーの世界にありながら実際的です。
言葉のやり取りとかみ合いは例のごとく、お見事。

「恥を知りなさい」と、知らない女性に、身覚えのない罪を叱責され、逃げるように店を出ながら感じたことは、自分が覚えていない罪がもしかしたら本当かも知れないという、否定できない自分がいることです。

バーの階段を上りきって外に出たら、そこは蛇が樹に巻き付き、顔なしの男女が硫黄の息を吐いている世界です。
春の宵だった景色が、凍り付くような世界に姿を変えているのです。
決して抜け出してはいないという、持続する怖さがそこにあります。
そして、恥を知りなさいという女の声が響くのです。

物語としては、作者自身を一人称単数で表しているように思えます。
想像の域を出ないのですが、村上氏自身が今現在自分の人生を振り返る時期に来ているという事だと。
純文学的な部分をメタファーというオブラートに隠して表現してきた今までの作風から、新たな作風に走るのか。
次の長編への期待が膨らみます。
なにしろ、短編は次なる長編小説への試行錯誤のたたき台なのですから。
そして、最近の氏のメディアとのコミットの再構築から、何かしらの変化を感じてしまうのは私だけでしょうか。
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No.10:
(5pt)

もはや融通無碍の境地

数年前から「もう書けないものはない」と謙虚に豪語?していた村上春樹の熟達の境地を示した短編集です。

とくに最後の「一人称単数」の衝撃的な展開とラスト。いつもの(悪い意味での)村上節だと思って読み進むうちに景色が一気にホドロフスキー化します。リンチ? いや、ホドロフスキーだと思う。ボルヘスに読ませたい超絶な逸品です。老練といってよいか? 

「男と女」での「木野」や、「東京奇譚」の「猿」、「神の子」の「蜂蜜パイ」といい、短編集の末尾を飾る作品が、次の作品群の何物かを示唆することの多い村上ですけど、この「一人称単数」の不穏な恐ろしさが、ぜひ、次の長編にぬりこまれることを期待したいです。

丸谷才一や夏目漱石を想わせるところも多数。古井由吉の亡き今、好き嫌いは別にして、これだけ日本語を巧みに操れる作家は村上春樹のみ。

圧倒的な文章力にわれわれはひれ伏すのみというか、ひれ伏すことができることを、何者かに感謝すべきなのでしょうね。
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B089NDCT8P
No.9:
(4pt)

ビートルズ

かつてない感覚の装丁の中で目に入るのがビートルズのアルバム。
横顔の女性は、それに気付かぬまま通り過ぎている。
そんな断面が8つの短編で構成されている作品になっている。
うまくかみ合わないことが、なぜか納得させられる。
こういう短編は興味深い。
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B089NDCT8P
No.8:
(5pt)

やれやれ

僕は読書用の椅子に座って、ウィズ・ザ・ビートルズをレコードで再生し始めた(それはレコードだったかもしれないし、Youtubeだったかもしれない)。本を片手に、グラスにウィスキーを注ぎ、つまみのカシューナッツに手を付けた。だが高校の薄暗い廊下、美しい少女、揺れるスカートの裾のことは思い出さなかった。僕の記憶として浮かび上がったのは、十年以上前に、東京のそれほど混雑していない駅の、出発間際の電車のドアの横に立っている、美しい少女に一目ぼれしたことだった。長くて黒い髪、白いワンピース、揺れそうなスカート。彼女は僕と見つめあっているようだった。それは幻想だったかもしれないし、幻想でなかったかもしれない。そのとき以来、僕は彼女を見かけていない。だが僕の心の印画紙に鮮やかに焼き付けられたのは、ひとつの時代のひとつの場所の、一つの瞬間の、そこにしかない精神の光景だった。
やれやれ、いったいどこに正義なんてものがあるのだろう。
僕は本を閉じて、二杯目のオンザロックに口をつけた。『二度にわたる二人の出会いと会話は、彼らの人生のどのような要素を象徴的に示唆していたのでしょうか。』私には関係のないその問いが、頭の中でリフレインされた。
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
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No.7:
(5pt)

私の中にある私自身のあずかり知らない「私」

「私の中にある私自身のあずかり知らない何かが、彼女によって目に見える場所に引きずり出される<かもしれない(傍点あり)>ことを」(233頁)

「『恥を知りなさい』とその女は言った」(235頁)

来たー。新しい村上文学の反撃がすぐそこまで。
それを読むまで死ねない、と感じました。

《かんそうぶん》
おさるさん、かくれてないで、でてらっしゃい、とかのじょはいいました。
ぼくはいいました。「はじ」ってなあに?
おしえてあげる、とかのじょはいいながら、ぼくをこうえんのまんなかまで
ずるずると、ひきずりだしました。
ぼくははずかしくて、おしりがまっかになりました。

《感想文》
公園のベンチの後ろの植え込みの中に隠れた猿は思いました。
僕はレコードを盗んだわけではありません。

あなたがベンチで物思いにふけっていたので、
あなたの横に置いてあったレコードを植え込みの上に移動しただけです。
あなたが気付くように、
レコード・ジャケットの頭をのぞかせて、いたずらしただけです。

少女は「あら ない(存在しない)」と一声つぶやき、
植え込みから顔を出しているジャケットには気づかずに、
過ぎた初恋のように、目を閉じて行ってしまいました。

猿は家にレコードを持ち帰って、プレイヤーで聴いてみました。
なつかしい音に涙が出ました。
猿が高校生だったころのままの記憶がよみがえってきました。

「五十歳前後」(226頁)に見えた女性は、あの時の少女だったのか。

《備考》
本書の短篇8作のうち、7作は初出で読み終わっていました。
唯一の「書き下ろし」短篇「一人称単数」が読みたくて、購入しました。
わずか16頁の短篇のために。やっぱり買ってよかった、と思いました。
一冊にまとまってみると、個々の作品が違った印象になるのには驚きました。
不思議な統一感。
短篇「一人称単数」それだけでは、長篇小説のほんの出だしだけの予告編に過ぎない。
これからどんな長篇小説が生まれてくるのか、期待感でワクワクしてきます。
これまでの全作品を包括するような集大成の長篇小説になりそうに感じます。
小説のテーマは「恥」では? 「『恥を知りなさい』とその女は言った」(235頁)から。
男と女の間の恥?
いつもとは違った服装の自分が遭遇する、不可解な未知のドラマ。
鏡の向こう側の自分とよく似た(うりふたつの)人間の恥?
いくらなんでも自分の恥は、恥ずかしくて書きたくないですよね、誰(猿)でも。
自分ではない自分、自分によく似た「僕」の話としてなら、恥でも書けるのでは。
語り手は、「僕」とか「俺」とか、「私」とか「あたい」とか、<アイ>とか<ミー>とか、
「わたくし」とか「わし」とか、とにかく「一人称単数」で書かれることでしょう。
「一人称単数」で、いろんなことができる、と村上さんは考えていました。
それを具体化した小説が、これからどんどん出てきそうに感じます。
これまでの村上春樹さんの数多くの短篇で「切り口」が示されてきた
「ひとつの世界」(本書の帯より)。
ダイヤモンドが、カットの方法ひとつで色々に輝くように、
たくさんの切り口で刻まれた短篇小説が集合すれば、
核になるような長篇小説が出てきそうです。
「村上春樹全作品集」みたいな単純な寄せ集めではなく、
中心の硬い種のような長篇小説に凝集、圧縮、結晶化した物語が読みたいです。
人間にはどこかに恥部があります。
人間には必ず弱点があります。中華料理をまったく食べられないとか……
人間は矛盾の中で生きています。
弱者に対して、無自覚、無意識に加害者となってしまう罪と罰。
イタズラとオヤジのげんこつ。
殺さなければ殺される戦争。戦争責任の記憶喪失。
生き物を殺して食べなければ自分が死んでしまう。
死ぬときは一人。お一人様、単数で、孤独に死ぬ。無言でフェイドアウト。お先に。
ビートルズのレコードを胸の上においてください。

《追伸》
表紙カバーの装画(豊田徹也さん)が漫画っぽくて良かった。
大事そうに抱きかかえていたビートルズのレコード『ウィズ・ザ・ビートルズ』を、
なぜか公園の植え込みの中に投げ棄て(置き去りにして)、
目を閉じたまま無言で画面左手に去っていく少女の絵が印象的でした。
目を閉じた少女にいったい何があったのでしょう?
胸のふくらみの中の下着には要塞のような頑丈なワイヤが入っているはずなのに。
硬い頑丈なワイヤで支えられた、やわらかい胸のうちは誰にも見えません。
自宅の鴨居から吊り下げられた
「沈黙する堅いロープの結び目に向けて、一歩一歩、歩を進めていた」(84頁)担任教師。
自殺に向かう教師の胸のうちの声は、高校生の「僕」にはまったく聞こえなかった。
この表紙カバーの装画になった短篇小説「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」は、
本書『一人称単数』に収められた8作のうちの「ひとつ」。

《追々伸》
<『一人称単数』としたわけ>
村上春樹さんの愛読者は、本当の話を好むから。
嘘がつけないぼくの嘘の話でも、面白ければ信じてもらいたいから。
えっ、うそでしょ、ほんと、と驚きながら、面白がる顔が見たいから。
「歌集『石のまくらに』」なんて実在しないのに……
「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、ぼくが作った架空のレコード。
「ウィズ・ザ・ビートルズ」は、ぼくが彼女と一緒に聴きたかったレコード。
彼女に完全に無視されて、ひとりで聴いたビリー・ホリデー。
ビリー・ホリデーに似ていた彼女。
「ヤクルト・スワローズ詩集」も未刊。出版の予定も聞かん。
「謝肉祭(Carnaval)」の中で語ったジャズの話は、ほんとやろか。
「品川猿の告白」は、「愚にもつかない猿の身の上話」(206頁)なんやろか。
「一人称単数」は、実在する「私」でしょ。
「実際の私ではない私」(233頁)も、鏡の中の私も、一人称単数です。
「私の中にある私自身のあずかり知らない」(233頁)私は、一人称単数ではない。
ゆえに、本書には含まれない。乞うご期待。

読者注)
アップダイクは、自分の話を<一人称単数>という<ジャンル>でくくりました。
几帳面に、我々と言う時には、<一人称複数>という<ジャンル>を作って区別しました。
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P
No.6:
(4pt)

意外な短編集だ。小説ではなくてエッセイと言えるものも1つは入っているし。

最期に収められている、一人称単数は、村上春樹さんしか、書けないかもしれない。いい小説を読んだ。
何度も読み直してしまった。どういうことかなあと。これも、実はエッセイではないか?実話ではないか?
そんな風に思えた。だがしかし、まさか?
村上春樹さんに、こんなことが、あり得るのか?? そこのところを聴きたい。
経験していなくて書けたとしたら、やはり素晴らしい。と、ここでは書いておこう。

短編集が好きなので、全体には、一つ一つが、独自のスモールワールド観が出ていて、とても楽しめました。
「ヤクルトスワローズ詩集」は、エッセイとして、とても楽しめました。

全体がエッセイ?実話?それとも全体がフィクション?いやノンフィクション?
わからなくなるところが、いいのかもしれない。
全体に、村上さんの人間味が身近な感触で、すごく感じられたのは良かった。

もう丸1.5日で読んでしまいました。
しかし、もう少し、違うものを期待していた自分がいた。
それは、否めないけれど、勝手な自分の願望だと思う。星が一つ少ないのはそのためです。
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P
No.5:
(5pt)

パナソニックのトランジスタ・ラジオと、やってしまったかもしれないことから逃避することの恐ろしさ(と別の解釈)

短編「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」のp.79に出てくるパナソニックのトランジスタ・ラジオの具体的な製品はなんなのか。そもそもそんなものは存在しないのか。
インターネットを検索すると、いろいろな種類のものが見つかります。
ナショナル・パナソニック R-803。これは1963年製のポータブルラジオ。同R-807 Transister 8。こちらは1964年製のポータブル。据え置き型だと1963〜64年でヒットしたらしいR-8 "パナペット"というのがある。R-8型の後継機種のR-80 パナペット7ってのもあるけど、1965年製で微妙に遅い。私はR-80だとカッコ良くてといいなと思うのですが、どうなんでしょう。あまり話の筋に関係ないですかね。でも、ラジオから「クロージョーアーイアンダイキッシュユー」って流れてくるのを想像するのって良く無いですかね? いかにも1960年代初期って感じで。。。リアルタイムじゃないので偉そうには言えませんが。

あと、最後に納められている短編「一人称単数」について。
一人称単数の主人公は、バーであった見知らぬ女性から「あなたは、私の友人に過去にひどいおぞましい仕打ちをした」、となじられてしまう。主人公にはそのような記憶はないのだが、反論せず、そのバーから逃げ出してしまう。
そんなひどいことをしたなんて記憶にない。記憶にはないのに、主人公はその内容を知ることを恐れている。
実は本当は何かやってしまったんじゃないのか。それを思い出してしまうんじゃないのか。

この短編の最後は、「「恥をしりなさい」とその女はいった。」だ。
目を背けたくなるようなおぞましい、ひどいことをしてしまった記憶は、忘れてはいけないのではないか、つらくても逃げてはいけないのはないか。やってしまったことを、受け止めてそのきつい記憶(言い換えると責任)を抱えていかなければならないのじゃないか。
この小説はそういっているように思う。

いままでの村上作にないイラスト風の表紙は、イラストに親しんでいる若い読者に読んでほしいというメッセージなのではないか。このイラストが本の発行日までオープンにされなかったのは、若い読者に書店で手にとってみて選んでほしいというメッセージなのかも、と勝手に推測している。

PS. ペリー・コモ の歌うジミ・ヘンドリクスの曲って本当にあるんじゃないかと思って探したけど見つかりませんでした。ジミ・ヘンドリクスが演奏するフランク・シナトラの曲(一部のみ)ってはありましたが。

(7/28追記)他の方々のレビューを読んで、再度読み返してみてこの小説の別の見方もあるかな、とも思ってきました。主人公に声をかけてきた女性の言い分があまりにも一方的です。ひとがどんな服装(スーツ姿)で何を読書してようが、それが楽しかろうがそうでなかろうが、他の人に迷惑をかけているわけでないし、大きなお世話ですよね。これはSNSなどでの作者への、匿名の悪意に満ちた人々の発言の当て付けのようにも思います。すくなくとも、この女性との前半の部分はそう感じます。
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P
No.4:
(5pt)

ウォッカ・ギムレットの意味!

①今回の短編集は最後の短編を除き、すべて文芸誌『文學界』に掲載された作品であり、既に読んでいるので新鮮味はない。
最後の短編『一人称単数』のみが書き下ろしである。よって、この作品から読んでみた。
②まず、表紙に注目したい。二枚の絵で構成され、上の絵は冬枯れた公園にベンチが二つ横に並んでいる。誰もいない。下の絵は黄緑をバックに黄色いブラウスを着た若い細身の女性が横向きに描かれている。ロングヘアーが幾分風になびいている。
③このような表紙の図柄は村上作品では初めて見た。この図柄と表題の『一人称単数』はいかなる関係があるのだろうか?
それともないのであろうか?
④『一人称単数』では、二人の〈一人称単数〉の「私」が登場する。決して二重人格というような大げさなものではなく、例えて言えば、「普段着(日常的気分)の私」と「フォーマル(非日常的気分)の私」である。Tシャツ・ジーンズを着て、野球帽を被り、インタビューに登場した村上春樹は前者なイメージであり、ブランド物のスーツを着用し、ネクタイをしっかり締めてイスラエルで文学賞受賞のインタビューに答えた村上春樹は後者のイメージであろうか?
⑤普段着の村上春樹の方が読者には親しみがあり、フォーマルな村上春樹にはどこか違和感を感じるのは、よほど村上春樹は普段着がよく似合うのであろう。彼はサラリーマン経験がない。ジャズ喫茶のマスターを辞めて作家業に専念している。
⑥しかし、時には作者村上春樹はフォーマルな出で立ちで外出するようだ。本作では行きつけのバーで読書をしながらウォッカ・ギムレットを飲んでいる主人公=村上春樹が登場する。右から2人分離れたスツールには50代と思われる美貌の女性が座っていた。この女性を観察する村上は読書に集中出来ない。そのうち、この女性が隣に席を移したかと思うと、突然村上に話かけ、「かつて(三年前)に水辺で自分にひどいことをした。」と村上を非難し始める。
⑦耳覚えのない村上は不快感を隠せず、店を立ち去る。
しかし、本当に村上は耳覚えないがないのであろうか?この作品のラストで村上は彼女の言葉が不当な糾弾でありながら彼女に具体的な説明を要求することが出来ず、怖れていた。それは「実際の私ではない私が、三年前に〈どこかの水辺〉で、ある女性ーおそらくは私の知らない誰かーに対してなしたおぞましい行為の内容が明らかになることを。そしてまた、私の中にある私自身のあずかり知らない何かが、彼女のよって目に見える場所に引きずり出されるかもしれないことを、…。」それよりはこの場を離れる方が良いと判断した原因となる何かを想起することを避けるように村上を強いたのである。「部分部分は鮮明でありながら、同時に焦点を欠いていた。その乖離が私の神経を奇妙な角度から締め上げていた。」
⑧これだけの引用でも、村上には心当たりがある何事かを彼女に対してなしたのであろう。〈どこかの水辺〉とは、どこでも良いどこかの非日常的場所の象徴を意味し、おそらくはそうした場所で愛し合う男女が交わし合う性的な行為(愛撫等)を想起させる。
⑨表紙の上に描かれた冬枯れた公園の「二つのベンチ」は、かつて愛し合った男女を思い出す瞬間の凍りついた気分を、下の絵は春ののどかな日に愛を夢見て心浮き浮きする女(もしかしたら村上自身)を象徴的に描いたものであったかもしれない。
⑩花に「花言葉」があるように、カクテルには「カクテル言葉」がある。〈ギムレット〉はジン+ライムジュースのカクテルであり、「遠く離れた恋人を想う」という意味がある。村上春樹が訳したレイモンド・チャンドラー作の『長いお別れ(ロング・グッドバイ)』で、探偵フィリップ・マーロウが「今はまだ〈ギムレット〉を飲む時ではない」と述べている。
⑪村上はこの作品を念頭に置いて、ウォッカ・ギムレットを飲みながら、バーで出会った見知らぬ女によって、「遠く離れた彼女を想う」場面に連れ戻されたのである。
なかなかの佳作である。
他の短編もそれなりに楽しめる。
お勧めの短編集だ。
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P
No.3:
(4pt)

ぼくらの人生にはときとしてそういうことが持ち上がる。説明もつかないし筋も通らない、しかし心だけは深くかき乱されるような出来事が

もはや初期の短編作品を初めて読んだときのようなハッと驚く輝きのようなものは感じられないものの、今回の短編集からは、初期の短編「中国行きのスロウボート」の雰囲気を思い出しました。
 本書に収められた短編は村上春樹の言葉を引用すると「僕の些細な人生の中で起こった、一対のささやかな出来事」だ。「しかし、それらの記憶はあるとき、おそらくは遠く長い通路を抜けて、僕のもとを訪れる。そして僕の心を不思議なほどの強さで揺さぶることになる。」
 そしてそれらは「ぼくらの人生にはときとしてそういうことが持ち上がる。説明もつかないし筋も通らない、しかし心だけは深くかき乱されるような出来事」であるという。

 そういう意味において、個人的には「ウィズ・ザ・ビートルズ」と「謝肉祭」が好みです。
「ウィズ・ザ・ビートルズ」には、村上春樹ならではの比喩が登場します。
 二つほど引用します。
「あるときには記憶は僕にとっての最も貴重な感情的資産のひとつとなり、生きていくためのよすがともなった。コートの大ぶりなポケットの中に、そっと眠りこませている温かい子猫のように」
「顔を合わせるたびに彼女は、いつも奇妙に感情を欠いた目で~冷蔵庫の奥に長い間放置されていた魚の干物がまだ食べられるかどうかを精査するような目で~僕を見た」

 一方「ヤクルトスワローズ詩集」などは小説というよりエッセイ風~風の歌を聞けのあとがき的~にしあげたものですが、ユーモアがありなかなか楽しめます。
 黒ビールを売る売り子が、たぶんこれまで普通のラガービールを求められお客さんをがっかりさせた経験が何度があったのであろう、「すみません。これ黒ビールなんですが」と謝る場面がある。村上春樹自身、小説を書いていて黒ビールの売り子と同じような気持ちを味わうことがあり、世界中の人々に謝りたくなるという「すみません。これ黒ビールなんですが」と。
 でも我々はやはり、その「黒ビール」を村上春樹に期待しているのですね。
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P
No.2:
(4pt)

著者自身が語り手をつとめる、少し奇妙で回顧的要素の多い短編作品集

『女のいない男たち』以来、六年ぶりの短編集。
少し奇妙で回顧的要素の多い私小説的な八つの短編作品。収められているほとんどの作品において、語り手が著者であろうことが作中より窺い知ることができます。著者の過去作では(こちらは著者が聞き手ですが)、同じように不思議な体験談をフィクションとして構成した『回転木馬のデッドヒート』を思い起こしました。静的な印象の作品が多く、とりわけ新規の読者への訴求力は弱いかもしれません。また、いくつかの作品内では関西弁が用いられており、私的要素が強い作品集とはいえ、村上春樹の小説作品としては珍しいのではないでしょうか。

以下、各作品の簡単な情報と印象に残ったフレーズなどです。
----------
『石のまくらに』18ページ
十九のときに関係をもった年上の女性と、彼女がつくった歌集について。
「人を好きになるというのは、医療保険のきかない精神の病にかかったみたいなものなの」

『クリーム』22ページ
十八で浪人生の僕は、受け取った案内状の指示に従って山の高級住宅街にあるピアノ・リサイタルの会場に向かうのだが…。国立大学を落ちて一年間の浪人生活を神戸で送るといったあたり、著者の経歴と一致が多い。
「中心がいくつもあってやな、いや、ときとして無数にあってやな、しかも外周を持たない円のことや」

『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』19ページ
大学生の頃に僕が書いた架空のレコード批評と、二つの不思議な後日談。
「しかしもし、あんたがそのレコードをいつか手に入れたなら、私にもぜひ聴かせてもらいたいものだね」

『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』49ページ
もっとも長い作品。十七歳ではじめて付き合ったガールフレンド、彼女の兄の告白、当時のポップソング、そして後日談。物語の舞台はおもに神戸。本書装丁は、本作の冒頭で登場する「「ウィズ・ザ・ビートルズ」のLPを抱えていたあの美しい少女」をイメージしたもの。
「妙なことを訊くみたいやけど、君には記憶が途切れたことってあるか?」

『「ヤクルト・スワローズ詩集」』25ページ
小説というよりはエッセイといって良さそう。かつて半ば自費出版したとしている「ヤクルト・スワローズ詩集」を交えつつ、ヤクルトスワローズを中心に、阪神タイガース、父の死、母のことなど。
「そう、人生は勝つことより、負けることの方が数多いのだ」

『謝肉祭(Carnaval)』31ページ
五十歳のころに出会った「これまで僕が知り合った中でもっとも醜い」と同時に「実に普通ではない存在だった」彼女との究極のピアノ音楽をめぐる対話と交流、別れと結末。
「幸福というのはあくまで相対的なものなのよ。違う?」

『品川猿の告白』30ページ
あらゆるものが年老いて古び、劣化している小さな旅館で出会った年老いた猿。僕が猿の身の上話を聞くくだりがコミカル。本書の扉絵は本編に由来している。
「いや、ちょっと待ってくれ、どうして猿がこんなところにいて、人間の言葉を話しているんだ?」

『一人称単数』17ページ
唯一の書き下ろし。もっとも短い。スーツを身に纏う機会がほとんどない僕は、まれに気が向いたときにスーツを着て出歩く。そんな珍しいある一日、僕はなぜか漠然とした違和感を抱いて街に出掛ける。
「私はどこかで人生の回路を取り違えてしまったのかもしれない」
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
B089NDCT8P
No.1:
(5pt)

さすが短編の名手、不思議な結末を楽しむことができる

2014年の「女のいない男たち」以来、6年ぶりだと言う村上春樹氏の短編集「一人称単数」を読んだ。さすが短編の名手だけあって、楽しめる。

『石のまくらに』の冒頭では、学生時代にアパートに泊まりに来る女性の話が出てくるので、またかな、と思っていたら、この女性の不思議な短歌集の話であることが分かり、安心して読み進むことができた。『クリーム』では、村上氏に馴染み深い神戸の街が出てくる。昔同じピアノ教室で習っていた年下の女の子から浪人生である僕はリサイタルに誘われて、神戸の山手にある会場を訪れる。だが、そこは無人の屋敷であった。諦めて帰路につく僕が訪れた公園で、奇妙な老人に出会うと言う話である。『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』も、奇妙な話である。1955年に亡くなったバード(チャーリー・パーカーの愛称)についてレコード批評と架空のレコードをでっちあげたら、15年後にニュー・ヨークでそのレコードに遭遇すると言う内容である。そしてバードは、僕の目の前に現われるのだ。『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』は、村上氏の高校時代に流行したビートルズがもちろん登場する。氏が卒業した兵庫県立神戸高校も、登場している。僕は高校時代ある女の子と交際していたのだが、ある日女の子の家を訪れると彼女は不在で、ちょうど在宅していた4歳年上の兄に、僕は芥川龍之介の最晩年の傑作『歯車』を朗読すると言うビートルズとはだいぶ異なる話が展開される。「ヤクルト・スワローズ詩集」』は、恐らく実際に出版されたことのある、でも作品内で語られているように僅少の部数のようだ、ヤクルト球団の賛歌である。氏は関西出身であるにもかかわらずヤクルト・ファンであるのは有名なのだが、おまけにファン・クラブの名誉会員らしい。『謝肉祭(Carnaval)』は、クラシック音楽の作品名が頻繁に登場する作品である。クラシック音楽好きの女性と知り合い、音楽についてさまざまな会話が展開されるので、クラシック、特にピアノ音楽に関する知識があると楽しめるだろう。ちなみにDebussyとFranckのヴァイオリン・ソナタも登場しているのだが、いずれも音楽史上でも指折りのヴァイオリン・ソナタである。そして小説の名前どおり、Schumannの「謝肉祭」聴き比べが始まる。その結末は……。『品川猿の告白』、そう「東京奇譚集」で登場した品川猿が群馬のM温泉に登場して、BrucknerやRichard Straussについて語るのだ。そして猿の雌にどうしてもなじめないビール好きの猿が選んだ行動は、前の作品とよく似たものだった。そして本の題名ともなっている『一人称単数』は、短編集「TVピープル」の『ゾンビ』に似た怪奇小説と言えるだろう。主人公の私は、村上氏と同じく中華料理が苦手な人物である。その私が、珍しくスーツを着て訪れた初見のバーで話しかけられた女性とは……。BartokとStravinskyの生年について知っているなんてさすが村上氏である、2人の生年は実は1年しか違わないのだ。

村上氏の短編集は、まず間違いなく楽しめるので、誰にでもお勧めできるのだが、今回は特に不思議な結末が用意されている作品が目立つので、そうした傾向の作品が好きな方にはうってつけだろう。これだけ気の利いた短編を次々と生み出すことができるのだから、もっと頻りに短編集を発表してほしいものだ、もちろん「騎士団長殺し」に続く長編も、読んでみたいのだが………。
一人称単数 (文春e-book)Amazon書評・レビュー:一人称単数 (文春e-book)より
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