火の闇 飴売り三左事件帖
- 事件帖 (68)
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早逝というほどの若さではないが、処女出版である『夏の椿』(2004年)をふくめて八冊の本を残し、2009年に61歳で亡くなった北重人。藤沢周平を思わせる抑制された筆致のなかに透けて見える抒情、巧みなプロット。劇画のような剣戟シーンが売り物の粗製乱造の時代小説が多いなか、一瞬の光芒を残して消えていった彗星のような存在、それが私にとっての北重人という作家である、 だが、八冊の本のなかで、本書だけは読む気がしなかった。「飴売り三左事件帖」という題名からして、なにやら、お手軽なシリーズもの時代小説に北重人が手を染めたのではないか、読んでガッカリするのではないか、と思い込んでいたからだ。 だが、それは違った。 物語は、土屋三左衛門が武士を捨て、飴売りになって十余年たったところから始まる。一介の飴売りから元締めになり、頼まれて巷間の事件にかかわってゆく三左。そして妻の小紋は、実は三左が武士のときに可愛がっていた後輩の与十郎の思い人であったという。なにやら不思議な設定であるが、その理由は明かされぬままに、三左はいくつかの事件をといてゆく。だが、「事件帖」というわりには謎解きの要素は乏しい。どの事件も比較的単純な事件で謎解きの面白さややプロッツトの妙はない。むしろ、最大の謎は、なぜ三左が武士を捨てたのか、ということである。 そして、短編の連作である本書の最後の短編、表題にもなっている『火の闇』でその謎は明かされる。謎を明かしてしまうので、内容については触れないが、読者は本書の影の主人公は亡くなった与十郎である、ということに気づかされるだろう。北重人は、残された者たちの悲しみ、そして悲しみを乗り越えて生きてゆく二人の姿を描きたかったのではないだろうか。そして、その二人の姿は、残された三左と小紋が、愛する与十郎に捧げた鎮魂歌、でもある。 『火の闇』を書いてほどなくして、北重人はガンにより亡くなった。深読みかもしれないが、本書は北重人が残された家族や友人に残した遺書であり、自身で書いた鎮魂歌のようなものではないか、とぼくは思う。つまり、残された者たちにしっかり生きて欲しい、そうすれば自分は安らかにこの世を去ることができる、そんな切ない思いを本作に込め、北重人はこの世を去っていったのではないだろうか。だからこそ、時間的には本書の冒頭に来るべき『火の闇』が、この連作短編集の末尾にくるのである。 なお、「飴売り三左事件帖」という副題は、時代小説ブームを意識して編集者がつけたのだろうが、著者の気持ちになれば、この副題は不要。むしろ、この副題により、遠のく読者のほうが多いのではないかと思う。文庫化される時には、ぜひこの副題を削除して欲しい。 北重人が好きな全てのファンに、そして粗製乱造の時代小説に飽きた人にぜひとも読んで欲しい作品、である。合掌。 | ||||
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早逝というほどの若さではないが、処女出版である『夏の椿』(2004年)をふくめて八冊の本を残し、2009年に61歳で亡くなった北重人。藤沢周平を思わせる抑制された筆致のなかに透けて見える抒情、巧みなプロット。劇画のような剣戟シーンが売り物の粗製乱造の時代小説が多いなか、一瞬の光芒を残して消えていった彗星のような存在、それが私にとっての北重人という作家である、 だが、八冊の本のなかで、本書だけは読む気がしなかった。「飴売り三左事件帖」という題名からして、なにやら、お手軽なシリーズもの時代小説に北重人が手を染めたのではないか、読んでガッカリするのではないか、と思い込んでいたからだ。 だが、それは違った。 物語は、土屋三左衛門が武士を捨て、飴売りになって十余年たったところから始まる。一介の飴売りから元締めになり、頼まれて巷間の事件にかかわってゆく三左。そして妻の小紋は、実は三左が武士のときに可愛がっていた後輩の与十郎の思い人であったという。なにやら不思議な設定であるが、その理由は明かされぬままに、三左はいくつかの事件をといてゆく。だが、「事件帖」というわりには謎解きの要素は乏しい。どの事件も比較的単純な事件で謎解きの面白さややプロッツトの妙はない。むしろ、最大の謎は、なぜ三左が武士を捨てたのか、ということである。 そして、短編の連作である本書の最後の短編、表題にもなっている『火の闇』でその謎は明かされる。謎を明かしてしまうので、内容については触れないが、読者は本書の影の主人公は亡くなった与十郎である、ということに気づかされるだろう。北重人は、残された者たちの悲しみ、そして悲しみを乗り越えて生きてゆく二人の姿を描きたかったのではないだろうか。そして、その二人の姿は、残された三左と小紋が、愛する与十郎に捧げた鎮魂歌、でもある。 『火の闇』を書いてほどなくして、北重人はガンにより亡くなった。深読みかもしれないが、本書は北重人が残された家族や友人に残した遺書であり、自身で書いた鎮魂歌のようなものではないか、とぼくは思う。つまり、残された者たちにしっかり生きて欲しい、そうすれば自分は安らかにこの世を去ることができる、そんな切ない思いを本作に込め、北重人はこの世を去っていったのではないだろうか。だからこそ、時間的には本書の冒頭に来るべき『火の闇』が、この連作短編集の末尾にくるのである。 なお、「飴売り三左事件帖」という副題は、時代小説ブームを意識して編集者がつけたのだろうが、著者の気持ちになれば、この副題は不要。むしろ、この副題により、遠のく読者のほうが多いのではないかと思う。文庫化される時には、ぜひこの副題を削除して欲しい。 北重人が好きな全てのファンに、そして粗製乱造の時代小説に飽きた人にぜひとも読んで欲しい作品、である。合掌。 | ||||
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