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イエスの生涯
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イエスの生涯の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全74件 61~74 4/4ページ
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非常に好きな本です。イエスを神の子としてとらえるというよりも、どこまでも偉大な人間として追究し、解釈しています。 おそらく、反対に神の子としてのイエスを信じている人からは、この書は蛇蝎のごとく嫌われるのではないかと思います。現に、そういう方もいるようですから。 人それぞれのイエス像があってもいいと私は思います。そう思う私にとっては、遠藤周作の見るイエス像はとても興味深い。師とは何か、弟子が目覚めるきっかけは何か、そういう視点で見るのも面白いのではないかと思います。お薦めの一冊です。 | ||||
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遠藤さんは、お父様、彼らをお許しください、彼らは自分たちが何をしたか、わかってはいないのです、というイエスの言葉を、お父様、彼らをお許しください、彼らは愛し方を知らなかったのです、と解しておられた。 そもそも、愛、とは何なのでしょうか。目には見えないもの、実際には役に立たないもの、そう遠藤さんは言っておられたような心持がするのだが。 障害を抱えている私にとって、出来ることなら、この障害から逃れたい、「普通」になりたい、という思いがあることは否定できない。しかし、もし、本当にイエスのような奇跡を行う方が、目の前に現れ、自分の障害を取り除いて下さったら、私は本当に幸せになれるだろうか? 生れ落ちてからこの方、自分はずっと、障害を背負ってきたのに、それを、「暴力的」、と言ってもいいほどに取り除いてしまったら、「なんだ、僕をバカにしているのか! 苦しんだ僕の二十何年は、いったい、なんだったのか、僕の時間を返せ!」と、かえって憤慨してしまうかもしれない。それよりも、遠藤さんのおっしゃるとおり、僕の苦しみを一緒に苦しんでくれるイエスのほうが、よほど愛にあふれている。自分の幸福など、目もくれず、苦しむ人と一緒に苦しんでくれる、イエス。「無力」であることによって、無限の愛を示すイエスの姿は、なんともありがたく、また、美しく、僕の目に映った。 | ||||
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ジーザスの舞台を見る前の参考にと、読みました。 久しぶりに読み応えのあるものを読んだ気がしました。 舞台終了後、再読。神の子イエスというだけでなく、 人間イエスとしての苦悩が伝わってきました。 また、聖書を読んだことはあったのですが、よく理解できず、文字だけを 追っているような感じだったのが、なんとなくですが、理解できる?読み方 がわかる?というか身近なものになってきた気がしました。 曽野さん、三浦さんなど他の作家の方のイエスに関する本も 読んでみたくなりました。イエスの乾きとは・・・ | ||||
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信念のために頑張る男が死を選ぶことにより信念を成就させる話です。 イエスを中心に当時のユダヤ人の生活状況や時代背景、ローマ帝国、ユダヤ衆議会の策略が絡みあい背景も非常におもしろいです。 またユダとイエスの関係が裏切り者と裏切られた者でなく、作者独自の解釈で書かれておりいい意味で衝撃的で心震えました。 弱い人間である弟子達がイエスの死により変わっていく様も感銘をうけます。 誤解され傷つきながらも自らの信念を貫くために歩むイエスの苛烈な生き様をぜひ読んでほしいです。 小説はとっつきにくいという方にはダイジェスト版『遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子』(新潮社)がオススメです。カラー写真も豊富で読みやすいです。(私もこれを読んで小説を手にとりました。) 以上キリスト教云々でなく小説のおもしろさで語らせてもらいました。 | ||||
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遠藤周作が、日本人の小説家としての観点からイエスの生涯を綴った本。しかしそこから導きだされるイエス像は決して偏狭なものではなく、国家を超えた普遍的なものを持って我々に迫ってくる。最終的に現れてくるイエスは非常に単純明快な意味での『愛の伝道者』なのだ。 これだけを書くとありふれた事しかこの小説には書かれていないと思えるが、そこに至るまでの話の運び方が秀逸である。様々な紆余曲折、イエスの孤独な悩みの描写を経たのちに辿り着くこの結論は、ただ結論だけを述べられるよりも遥かに分かりやすさと深みを持って理解される。 著者は聖書で語られているイエスの奇跡描写の言及を極力排し、あくまで一人の人間を見る目でイエスを見つめる。そこには奇跡を行うことで、苦しんでいる者を具体的な苦しみから直接救うイエスは描かれていない。 苦しんでいる者は、病気などの具体的な苦しみよりも、むしろ誰からも愛されないという苦しみが根本にあると言う事をイエスは熟知していた。そして深く同情し、自らが彼とともに苦しむ事によって彼の根本の苦しみから解放しようと言うのがイエスの愛だ。奇跡的な側面を描かない事で、このような『愛』の構造がより深く理解できる。そしてこのように描写されたイエスは、いっそう人間的な魅力を持つ人物として我々の目に映る。 この他にも、このような考え方のイエスがなぜ当時の人々に全く理解されなかったか、ユダはどんな感情の変遷を経た後にイエスを裏切ったのか、などの興味深い事柄が、遠藤周作の独自の、しかし非常に真実味を帯びた語調で語られる。 とかく奇跡を崇拝する宗教だと誤解されがちなキリスト教だが、この作品ではキリストが崇拝される理由を、極めて人間的な部分においている。ゆえに宗教は信じないと力んでいる日本人にも違和感なく受けいられる。キリスト教をただ崇拝するだけでなく客観的に見る事が可能な日本の小説家だからこそできた事だろう。 | ||||
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「奇跡の物語」ではなく「慰めの物語」を…。裏切り者のユダに、事なかれ主義のカヤパ、弱虫の弟子たち。われわれの身近にいるような、おもわず親近感をもってしまうような人たちばかり出てきます。読む側の人生の季節によって、共感する人物がかわるであろう、それゆえいつまでも手元に置いておきたくなる本です。 | ||||
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そもそもイエス・キリストとは如何なる人物だったのか?世の神学者の永遠のテーマとも言うべきこの問いに、遠藤周作がさまざまな資料を紐解きつつ、彼なりのイエス像をゆっくりと深く語っている作品です。 彼の最大の疑問は、なぜあれほどまでに数々の奇跡を行ったイエスがああも無惨な死を迎えなければならなかったのか。そして無惨に死んだはずのイエスがどうしてキリストとしてかくも崇められるようになったのか、という二点。 私はキリスト教信者ではありませんし、そもそもどちらかというと絶対神なんてものは存在しないと思っているので不敬極まりないのですが、それでも著者の語る「無力なるイエス」なら信じられる気がします。神的な存在ではなく人として存在したイエス。試練ばかりを課す神に対し、それでも決して神への愛を疑わず、最後までその愛を説き続けたイエス。それは結局、神がすべての人間を愛するように、すべての人間は自分以外のすべての人間をもを愛すべきだ、と説いているように私には感じられました。 なんとなく疲れた時に心に染みる一作です。 | ||||
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何の予備知識もないままに、映画「パッション」を観ました。 この本を先に読んでおくべきだったと後悔しています。 「なぜユダは裏切ったのか」 「なぜイエスは奇蹟を起こして助からなかったのか」 といった疑問が氷解しました。 ただ、ある程度の基礎知識は必要となりますので、 阿刀田高の「新約聖書を知っていますか」をお勧めします。 次は続編の「キリストの誕生」を読みます。 | ||||
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遠藤さんが長年の作家生活と信仰の中で見出したイエス像「永遠の同伴者としてのイエス」を描いた作品。注意して頂きたいのは、遠藤さんは決してこの作品をもって他の信者のキリストとしてのイエスへの信仰を否定しているのではない、ということです。 イエスとはどんな人間だったのか、「神の愛」を説いたイエスの真意は何か、イエスを裏切ったユダの心の深奥は、なぜイエスは民衆から歓迎され、そして見捨てられたのか…などなど、史料や過去の研究成果、遠藤さん自身の考えなどが織り交ぜられ、当時の史的背景やイエスの人間像などが語られていきます。「よく考えれば、聖書とかキリスト教についてあまり知らないな…」という方にこそオススメです。読みやすいし、当時の社会状況、各人物・(ユダヤ教)宗派の事情などについてかなり理解が深まると思います。 私自身愛読してきた、心にしみる一冊。ちなみにこの本の続編ともいえる「キリストの誕生」もオススメです。 | ||||
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遠藤周作とamazonで検索すれば、彼が敬虔なキリスト教徒であったことは、その著作からすぐに判るが、彼をいわゆる「信者」扱いして欲しくない。彼は、思考を止めない。 愛するべきイエスが何故、愛するに足るのか。莫大な資料と大胆な推理によって、時には学術的に、そして時にはサスペンスのように物語を構成し、イエスという「人間」の人格を描ききったのが、この作品である。 そこでは、遠藤の人生論がイエスによって語られているようでもあり、イエスによって遠藤が確立したようでもある。 他方、「イエスの生涯」につづく作品、「キリストの誕生」は、イエスの死後、弟子たちの布教活動を通して、イエスが神格化されていく様が描かれることになる。ここでの疑問は、イエスが何故神になったか、ということであるが、遠藤の考え方をよりよく語るのは「イエスの生涯」の方である。 一見「生涯」の方がとっつきにくいかもしれないが、それは、遠藤が、自身の愛するイエスの人格像を描くにあたり、感情移入を避け、極力冷静、客観的に論じることに徹したことの証でもある。 イエスという実在の人間像を探求する書物は数多あるようだ。中には、イエスをローマ帝国に対するテロリストとして描いたものもあるという。僕は遠藤が描くイエスがいい。遠藤の描くそんな人間が人類の歴史上存在したのなら、人間も捨てたもんじゃないんじゃない、などと思うわけです。 ちなみに、有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」(だったかな)もおもしろいです。ぜひ。 | ||||
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宗教には全く興味がなかった私。 幼い頃、クリスマス会で聞いた イエス像と、この本のイエス像は かなり違ってびっくりしました。 イエスが日雇い大工だったなんて 知ってる人少ないんじゃないかな。 実際のイエスはどうだったか、 奇蹟についての定義など、 現実に則した観点から述べられていて、 共感できる部分や問題提起があって イエスの見方が変わる一冊です! ただ、難しい言葉に眠くなり 理解するには、何度も読む必要が あるから星4つ。 | ||||
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キリスト教は、イエスの奇跡の上に成り立っている宗教だ。彼は次々に死人を甦らせ、自らも死から3日目で復活を果たす。もしそうした奇跡がなかったならば、今日キリスト教は存在していないだろう。 ところがこの作品で、作者はキリストの奇跡伝承をことごとく排してしまった。教会関係者の困惑を余所に、作者のメッセージは明快だ。「イエスは奇跡など行わなかったが、奇跡よりもっと深い愛がその窪んだ眼に溢れていた。彼の生涯はそれだけだった」(本文より)。要するに遠藤周作は、たったこれだけのことを伝えたくて、この作品を構想したわけだ。 せっかちにストーリーを追うのではなく、細部をゆっくり味わいたい。そのためにはある程度聖書について知っておいたほうがよく、まったくの初心者には、先ず三浦綾子さんの『新約聖書入門』(光文社)からお読みになればよい。 | ||||
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それほど多くない文章の中に、イエスの誕生から、その時代背景、聖書に記された内容の真偽、その宗教的意味等、イエスを余すところなく、伝える内容は、キリスト教という宗教を信仰しないものにっても、そのイエスの苦行を知ることができ、非常に感動的な内容です。奇蹟そのものの内容が先行しがちなイエスの言動が、奇蹟そのものではなく、その中に包含される宗教的な意味合いを伝えています。 さらには、遠藤氏が敬虔なキリスト教徒でもあり、そこから来るイエスへの思い入れが熱く伝わってきて、胸を熱くします。 | ||||
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私の場合は、通っていた保育園の園長先生が敬虔なカトリック教徒だったので、クリスマスなどは、オブラートに包んだような奇跡の話であるキリスト誕生を演じる学芸会が、恒例のイベントになっていました。 イエスに関する舞台劇を行うにあたって、幼い園児が、まだ迫害という言葉を理解するに至らず、高校時代「イエスの生涯」を読んでキリスト教という宗教の歴史を知りました。数々の試練に遭いながらも人を愛し、人に仕えられたイエスを遠藤周作がイエス伝研究史として残しています。贖罪としての十字架の死の意味を宗教を超えて、ローマ帝国やキリストや弟子を描写していきます。 | ||||
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