【千野隆司】
玄武斃し: 主税助捕物暦
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江戸深川、永代寺門前の花柳街を仕切る、女郎屋女主人のおらん。町で逆らえる者はいなかったが、敵対する新興勢力が現れた。
奉行から別御用を仰せつかった同心・楓山主税助。その御用とは、大身旗本の姫を知行地・下仁田まで護衛するというものだった。
江戸深川の東に暴虐な悪党どもが集まり住みついた、岡っ引きでも手出しが出来ない無法地帯があった。
春嵐の夜に神田で起こった火事は多数の死傷者を出したが二年後に町は復興した。
烈風が吹き抜ける初冬、芝から起きた火事騒ぎに紛れて2人の悪党が押し込み強盗を働いた。
家禄三百五十石の旗本家の次男だった角次郎は米屋の大黒屋に婿入りした。
金貸の鉞ばばあお絹から金を借りた商家の主が首を括って死んだ。孫娘のお鈴は、残された妻子のため、真相を……。
七百石取り旗本の次男、大曽根三樹之助は、大身旗本小笠原監物の嫡男、正親の横暴で許婚を亡くし、剣の修業に励む日々を送っていた。
幾人もの侍に追われていたところを豊之助が救った常太郎と名のる若侍は、いかにもいわくありげな様子。
御留守居役を勤める五千石の旗本・坂東の側室綾乃は、坂東に酷い仕打ちを受けていたが、雪の降るある夜、意を決して家を飛び出した。
金貸の鉞ばばあお絹は孫娘お鈴と二人暮らし。お絹から金を借りた絵描きの与三次の身投げをお鈴が止めて……。
仇討ちの父子を道場に居候させた豊之助だったが、どうやらその仇とは、江戸を騒がす火付け盗賊団の頭らしい。
北町奉行・永田備前守正直の三男である豊之助は婿入りの話を断わり、剣客として生きる決心をした。
〜江戸を揺るがす死病は狐の祟り? / 混乱の八百八町で暗躍する極悪人を浅右衛門が裁く!〜安政五年(一八五八)、開国と同時に異国渡りの病“コロリ”が江戸に蔓延する。
貧乏旅籠、背水の陣!元無宿者、奮闘の物語 貧乏旅籠、背水の陣!大金二十一両の返済期限は、わずか二ヶ月後!稼がねば、ふたりの居場所は奪われる。
新見文蔵は播磨林田藩の下級藩士で槍の遣い手、料理上手でもある。
薬種屋として働いたのち、妻を亡くして隠居の身となった文之助。
材木問屋の奉公人が刺殺され、凶器の脇差が腹に刺さったまま残されていた。
秀吉が遺した百万両の財宝の手がかりを、敦賀の気比神宮まで捜しに行った近忠だったが、手がかりとなる図面は高嶋屋五郎左衛門に、財宝を開ける際に必要な宝刀は鼠小僧次郎吉に奪われてしまった。
五十両の借用証文を残して、仏具商川角屋の主人が失踪した。
江戸の町で薬種屋を営んでいた文之助は、妻を亡くし、商いを息子に譲って隠居の身となった。
神田上水の堀が決壊した。その甚大な被害が明らかになるにつれ、普請奉行の責任を問う声が日ましに大きくなっていった。
府内藩の財政難を救うために、秀吉が遺した百万両の財宝捜しを命じられた近忠。
上州の水呑百姓の家に生まれた藤吉は、下男奉公先で米作りや馬の世話、雑用など何でもこなす毎日を送っていた。
本所来栖道場の師範代・豊之助は懸命にオンボロ道場の立て直しをはかるが、弟子は遅々として集まらない。
高松藩士殺しの真相を暴いた礼として百両の当たりの富札を得たことで、無事正紀の初のお国入りの費えの目処が立った高岡藩井上家。
寛政四年七月、高岡藩井上家当主正紀に、公儀からお国入りの許しが出た。
御手伝普請の分担金を無事納め、改易は免れたものの、再び内証が厳しくなった高岡藩井上家。
洪水で崩れた深川洲崎の石垣普請の入札にまつわる普請奉行と岩槻屋の不正を暴いたものの、御手伝普請のための費用がいまだ足りぬ正紀たちは、窮地に追い込まれる。
高岡河岸の発展、〆粕や下り塩の販売など藩主正紀の指揮のもと、藩士たちの不断の努力によって、徐々に回復してきた高岡藩井上家の財政状況。
正紀の近習植村の嫁取り、待望の世継ぎ誕生と、慶事が続いた高岡藩井上家。
藩と領民が力を合わせ「国替え」という最大の難事を乗り越えた高岡藩井上家。
造酒額厳守の触が出されているなか、天領の村から手に入れた二升の酒によって窮地に立たされてしまった高岡藩井上家。
亀之助の一件を機に、加賀百万石の前田家と縁を結んだ尾張一門。反定信派の勢いが増すなか、公儀は『造酒額厳守』の触を出す。
四代将軍家綱の法要の折に、二人組の侍に襲われていた身なりのいい武家の男児を助けた北町奉行所与力の山野辺に頼まれて、高岡藩上屋敷で男児を預かることになった正紀。
浦川や正棠たちの企てを打ち破り、無事高岡藩主の座に就いた正紀。
廃嫡を目論む正棠や浦川たちの奸計に嵌まり、蟄居謹慎を余儀なくされた正紀。
先代藩主正森の頃から三十年にわたって仇を追っているという高岡藩の下士と出会った正紀。
正国のお国入りは無事済んだものの、今度は八月の参府の費用捻出に頭を抱える正紀たち。
正国の奏者番辞任で反定信の旗幟を鮮明にし、同じく反定信派の大奥御年寄滝川と急接近した尾張一門。
反・松平定信ということで急接近した尾張徳川家一門と将軍付御年寄・滝川。
定信が発布した棄捐令(徳政令)に歓喜の声を上げる旗本、御家人だったが、その喜びも長くは続かなかった。
武士が民の頂に君臨せねばならぬという松平定信の施政に疑問を抱きつつも協力してきた尾張徳川家一門だが、尊号事件を契機に定信政権との訣別を決める。
正紀と京のあいだに子が生まれ、正紀の親友、山野辺には許嫁ができた。
高岡藩では、河岸のさらなる発展のため納屋の普請を検討したが、先立つものがない。
海賊船は正紀らの活躍で退治したが、一味の幹部と悪徳商人は捕縛の手を逃れ、米俵四千俵とともに行方をくらましていた。
藩主井上正国の奏者番就任を祝って、狩野派の掛軸が贈られてきた。ところが、目利きの和によれば、掛軸は真っ赤な偽物。
血と汗を流して江戸への廻米を果たしたものの、米価高騰は続いている。
江戸の米価高騰を解消すべく、老中・松平定信が廻米の触を出した。だが、不作、凶作のなか余分な米など誰も持ってはいない。