三日月邸花図鑑 花の城のアリス
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一度読んだだけでは分かりづらいと思います。読み返ししていくとストーリーが分かっていくと思います。 白川先生の花の表現は素晴らしいです。 | ||||
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この作品を読んで、この作者さんのファンになりました。他の作品もみんな面白いと思います。 | ||||
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読み始めてわかります。これは、面白い❗ | ||||
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面白かったです。私も一緒になって彼女の為にどうしてあげたらいいんだろうと考えてしまいました。友人(?)の存在も中途半端だし、続きを書かれるつもりなのかもしれませんが、話としては完結させとく方が良いような気がします。最後だけちょっと「え?」となってしまいました。 | ||||
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kindle で読まれた方は、恐らくこの本と「後宮の烏3」の目次にある「世界図」との共通性 (記号論哲学では「共時性」と言ったりする) に気づいていないのではないかなと考えます。つまり哲学的な俯瞰をするには、相当量の読解力と論理理解力 (いわゆるリテラシー) が必要になる。ただ字面を眺めて「面白い」「マンガはだらだらと巻数が多い方が良いという洗脳に気づいていない」読者は、極めて低い読解力かつ論理理解力しかないと断言することが出来るでしょう。 ゆとり教育以降の学生に極端にこの手の若者が増えて来て、下手に不可をつけて留年させたりすると「アカハラだ」とか言い出す学生たちと面談していて気が付くのが、字面を眺めてただ暗記して答案やレポートを「丸写し」するしか能力のない哀れな「作られた優等生」の姿です。つまり「短くまとめることの難しさ」はリテラシーを有するかどうかの問題とも絡んでいる。前後関係、つまり文脈を理解することができるのならば、この本と「後宮の烏」はパラレル・ワールドであるということに気づくはずだ。 この辺が「紙の本」と「電子図書」の大きな違いです。私は老眼なので「電子図書」はとてもではないけど専用端末やスマホでは読めません。パソコンの32インチディスプレーを縦にして使わないと、とても読む気にはなれません。逆に言えば、電子図書で読まれている方々は、強度の近視や、その末に罹る緑内障などによる眼底出血などの「未来の視覚障害」の恐怖などを全く考えていない若い方なのかなと、ある意味哀れに思ったりもします。 専門書を含む「電子図書」を幾つかパソコンにインストールして気づいたのが、「紙の本」と異なり「前後関係」が分かりにくいという特徴です。確かに「特定のキーワード」を検索するのには、電子図書は非常に便利です。同じことは有料の科学雑誌や医学雑誌の論文検索にも言えて、論文を書く時などに他人の書いた論文を読んだり引用したりする際に威力を発揮するのがインターネット上の電子図書やデータベースだ。つまり電子図書はデータベースとしての機能は非常に優れている。でも、よく考えてみると、医局に置いてある診断用の医学マニュアルとそれはどこが違うのだろうか、という疑問も出て来たりします。 私の論文もネットで検索すれば、雑誌に投稿して掲載されたものは全てが瞬時に出て来る。これによって IF つまりインパクト・ファクターも客観的に分かる仕組みだ。つまり学術性の高さを IF だと勘違いすることも可能になっている。でもそれは、実は SNS などの「Good!」に過ぎないことを理解してないと、例えば Nature のような「商業誌」に載れば一流の科学者であると勘違いをすることにも繋がる。もちろんアマゾンの「読書感想文」の「役に立った」も同じ程度の意味合いしかない。こういうイデオロギーをポピュリズムと言う。イデオロギーだから、ただの「人気投票」以上の意味はない。どこぞの植民地の過激派による「民主化」も実は単なる「ナショナリズム」というイデオロギーに過ぎないのと似たようなものだ。 権威主義はこうしてでっち上げられる。例えば Harvard が Massachusetts の Cambridge にあると言われて、具体的にそこが Boston (airport) からどれくらいの距離にあるのかという「論理理解力」を持っている人はどれだけいるのだろうか。日本で言えば筑波大のような場所にあると言うと、ある程度納得が行くかも知れない。つまりは陸の孤島だ。こういう所で Admission を授かったら、自分は世界一のエリートだと妄想するかも知れないが、私個人はここの Medical School には二度と行きたくない。市街地に病院がなければ瀕死の患者は死んでしまう。研究をするには確かに天国なのだが、学部教育には向いてないとも言える。 この手の勘違いのことを「前後関係を理解できない」と置き換えても構わないだろう。世の中の基準なんていうものは「偏差値」と同じで、どこの予備校の模試を受験したかによってコロコロ変わるもので、絶対的な基準なんてものはない。同じことは民主主義や人権などにも言えて、複数の民主主義や人権の考え方があるという原則を認め合わないと、必ず原理主義の罠に取り込まれてしまう。哲学的な俯瞰をするということは、即ち価値観の多様性を認めるということだ。文化人類学や社会人類学が教えることは「価値観の相対性」に他ならない。 アマゾンで洋書を買われたことがある方なら気づくだろうが、海外には「CDブック」というものがある。ゆっくりとした語り口で、本の内容を朗読してくれるCDだ。私個人はこちらの方がお気に入りです。読書をする時間のない時に、このCDを掛けっぱなしで眠りに落ちる。あとで紙の洋書を引っ張り出してみると、不思議と読書スピードが上がるから不思議だ。同じ「電子図書」でも、視覚障害者向けに作られたCDブックは「読解力」や「論理理解力」を上げるための良い副教材かも知れないと考えるようになって来た。kindle に音声機能がついていたらなぁと考えることもある。 前置きが長くなったが、本書も「後宮の烏」同様、人物や話の流れが入り組んでいて、読書に慣れてない人 (読解力や論理理解力に欠けてる方々、つまり知的職業に就いてない方々) には少々難しかったのではないかと考えている。ところが最初に書いたように、その世界観はと言えば、実は「後宮の烏」と同様、外部へ開かれていない「閉じた世界」での物語に過ぎない。フィクションの小説というものはこういうものだろう。現実に存在しない世界 (三日月邸) を仮定しているから、そこへ通じる「太鼓橋」を渡ってはいけないと光一は洗脳されているのだ。 この世界観は「後宮の烏」で高峻や寿雪などが霄という島国の他を知らないで住んでいる仮定とやはりパラレル・ワールドだ。世界が高麗門で完結している別邸がなぜ二重の堀に囲まれた城郭のような作りになっているのかを、主人公の光一は東京の大学へ進学して八重樫家を継いだ後に知ることになるのである。 小説の内容に関しては他の方も触れているので詳しくは書かないが、この小説で仮定された「三日月邸」は、実は前に書いた「権威主義」などの「作られたイデオロギー」と非常に似た「仮想空間」なのである。だからアリス (咲) はいつまでも年齢を重ねない少女で居られる。この仮想空間では時間が停まったままだ。光一はうっかりこの空間に足を踏み入れてしまったために様々な事件に遭遇する。そして家族から二度と太鼓橋を渡ってはいけないと諭された意味を理解するのだ。触れてはいけない「仮定」は、実は八重樫家が抱えてきた「過去の世界」だったのである。 | ||||
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