売色使徒行伝
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山田風太郎のいわゆる“切支丹もの”は、拷問・背教の心理・奇跡が絡むからどれも濃厚な味付けで、すべて傑作、A級と言ってもいいくらい面白い。ここに収められた6作品も例外ではない。 私見では、風太郎の切支丹ものには別バージョンとして“離れ切支丹”なるものがある。「隠れ切支丹」が孤立を続けた結果、似て非なる邪宗「離れ切支丹」に変容してしまう物語は、怪奇性が強調されて素晴らしい雰囲気になる。 「姫君どこにおらすか」はその離れ切支丹ものの傑作。怪異な雰囲気がたまらなく魅力的だ。(風太郎はミステリ分野の現代劇でも離れ切支丹テーマの作品を書いている) 拷問に長く耐えながらもついに屈服・転向し、その後は弾圧側に回って踏み絵を考案した“ころび伴天連”フェレイラ神父。日本名・沢野忠庵を名乗った彼は、江戸の切支丹牢(山屋敷)で頑強に抵抗を続けるジョセフ・キアラ司祭を訪ね、奸計を以て転ばせる。キアラは岡本三右衛門となり、以後、フェレイラ同様、幕府の切支丹弾圧コンサルタントとして活躍する・・・。 「山屋敷秘図」は、二人の背教者の異様にねじれ倒錯した心理を通して人間の不可解さを描き切った切支丹ものの最高傑作。対照的に、牢番の少年と幼なじみの少女が殉教に向かう終幕の描写が、シンプルにして限りなく美しい。 ザヴィエルの最初の日本人弟子・弥次郎の精神のねじれと崩壊を描いた「スピロヘータ氏来朝記」も傑作の名に値する。「邪宗門仏」も最初期の作品で、純な信仰心をテーマとした平易でストレートな物語。奇跡が起こるオチのどんでん返しが効果的で美しく、強く印象に残る。 以上の傑作4篇が作者の最初期の作品であることには本当に驚く。風太郎はこの後も切支丹ものを書き続けるが、それらは明治ものなど、別ジャンルに分類される作品が多くなる。 「奇跡屋」は、一人のヤクザな伴天連見習いがトリックを使って奇跡を見せるが、ネタがばれて捕らえられ、火刑になってしまう。しかし、最後に異様な奇跡が起こる。 「売色使徒行伝」は中期の作品。主人公は切支丹改めの町同心二人。一人は奉教人となって潜伏し、他の一人は歓楽街の裏稼業へ転身する。彼らの人生は最後に磔刑の場で再び交わるが、そのとき明らかになるのは… 皮肉の効いたストーリーで、初期の切支丹ものとは雰囲気が異なるけれど、やはりA級作と思う。 | ||||
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“隠れキリシタン”という言葉に何かしら不可解な淫靡さを感じる者にとって、そのイメージを完璧に具現化されたような作品集であった。 オープニングの「姫君何処におらすか」から強烈、凄絶なインパクトである。ここで頭をゴンッと殴られ、そのまま酩酊状態で読み進めてしまう。 フランシスコ・ザビエルを連れてきたパウロ弥次郎や、遠藤周作『沈黙』のモデルになったジュゼッペ・キアラ、クリストヴァン・フェレイラなど実在の人物も容赦なく描かれているが、同じ作者の『妖説太閤記』同様、これが真説のような気さえしてくる圧倒的な筆致。自由すぎる想像力と、宗教の持つ危うさが溶け合った摩訶不思議な小説世界を堪能できた。ちょっと間抜けさが漂う感じがまた、隠し味的でいい。 表題作のタイトルもカッコいいし、山本タカトによる表紙イラストも本の雰囲気にぴったり。 | ||||
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キリシタンもの、でまとまった初の文庫。山風といえば、「室町とキリシタンものは鬼門」(吉川英治)のその鬼門を見事に打ち破った天才ですが、この短篇集のどれもが空前絶後ですね。 特に、「スピロヘータ氏来朝記」は実に目の付け所がいいし、医者らしくしっかり書けてます。山田キャラの有名人には、エロティック奇想ものの常連「素広平太博士」もいます(笑) | ||||
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