永遠の0

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評判

永遠の0の評価:

3.96/5点 レビュー 2,077件。 S ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点3.96pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全788件 461〜480 24/40ページ
No.328
(1pt)

右にキレキレだ

右翼の吉外が書いた戦死者を礼賛しただけの本です。 完璧超人の宮部久蔵には全く感情移入する事ができません。
永遠の0 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (講談社文庫)より
406276413X
No.327
(1pt)

右にキレキレだ

右翼の吉外が書いた戦死者を礼賛しただけの本です。 完璧超人の宮部久蔵には全く感情移入する事ができません。
永遠の0 (ゼロ) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (ゼロ)より
4778310268
No.326
(2pt)

歴史の傍観者。

宮部久蔵の孫たちが、戦時中、零戦のパイロットで、特攻で亡くなった、会った事もない祖父について、調べ、遡ってゆく。映画も、友人に誘われ、しぶしぶ見たが、いずれも肝心の、宮部久蔵じたいの人間性の描写がかなり、希薄であるし、全体からしても少ない。久蔵自身はあまり多くは語らない。家族の元に必ず帰ると、生にこだわっていた、久蔵が、何故、特攻に志願したのか。映画においてもその部分はあっさりスルーしていた。きっかけがなかった。映画では、かつての部隊での生き残りで、孫たちが訪ねあるく人物の方が、戦時中も、2004年現在も久蔵よりも描かれていた。平幹二朗、橋爪功山本學、夏八木勲など、実力派名バイプレーヤーが脇をかため、演技としての見応えはあった。
永遠の0 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (講談社文庫)より
406276413X
No.325
(1pt)

NHK経営委員になったから★

NHK経営委員になったら、個人的見解を選挙応援演説においてすら述べてはならないとする見解こそ、マス・メディアに携わる人間作家のあるべき姿かいな!と思う。で、★

 所詮、やらせ番組風味満点の「探偵ナイト・スクープ」あたりを作っていればいいものを、嗚呼・・・・
 これほどまでにも、空気の読めない単細胞人間だったとは、とほほ、とほほほほ・・・・
永遠の0 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (講談社文庫)より
406276413X
No.324
(2pt)

歴史の傍観者。

宮部久蔵の孫たちが、戦時中、零戦のパイロットで、特攻で亡くなった、会った事もない祖父について、調べ、遡ってゆく。映画も、友人に誘われ、しぶしぶ見たが、いずれも肝心の、宮部久蔵じたいの人間性の描写がかなり、希薄であるし、全体からしても少ない。久蔵自身はあまり多くは語らない。家族の元に必ず帰ると、生にこだわっていた、久蔵が、何故、特攻に志願したのか。映画においてもその部分はあっさりスルーしていた。きっかけがなかった。映画では、かつての部隊での生き残りで、孫たちが訪ねあるく人物の方が、戦時中も、2004年現在も久蔵よりも描かれていた。平幹二朗、橋爪功山本學、夏八木勲など、実力派名バイプレーヤーが脇をかため、演技としての見応えはあった。
永遠の0 (ゼロ) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (ゼロ)より
4778310268
No.323
(1pt)

NHK経営委員になったから★

NHK経営委員になったら、個人的見解を選挙応援演説においてすら述べてはならないとする見解こそ、マス・メディアに携わる人間作家のあるべき姿かいな!と思う。で、★

 所詮、やらせ番組風味満点の「探偵ナイト・スクープ」あたりを作っていればいいものを、嗚呼・・・・
 これほどまでにも、空気の読めない単細胞人間だったとは、とほほ、とほほほほ・・・・
永遠の0 (ゼロ) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (ゼロ)より
4778310268
No.322
(2pt)

これは小説とは呼べない

映画を観る前に、まずは原作を読もうと手にとって読んでみた。

文献と資料からの引用が多すぎて、これで小説と呼ぶにはあまりにお粗末な内容だと思う。
あらすじと物語の内容が噛み合ってない印象を受けた。

祖父・宮部久蔵について調べていくことがメインで打ち出されているのに、実際、肝心の祖父宮部についての描写は全体の3割にも満たないのではなかろうか。
戦争の話がメインとなって、完全に宮部の描写がおまけの付属となってしまっている。
読んでいて、この宮部はどういう人なんだろうというワクワク感が薄れるほどに冗長だ。
読み進めることによる、楽しさのようなものは感じられない。
知りたいのは戦闘描写ではなく、宮部という人そのものなのに・・・!というジレンマがあったのかもしれない。
目的と建前というかが、なんというか、入れ替わってしまっている感じがする。

これらは文献資料からの創作能力が作者にはなかった(いうなれば、力不足)からではないかと思う。
なので、引用部分に比べると、オリジナル部分が薄っぺらすぎて、また最後にとってつけたようなお涙頂戴的なストーリーにも感動どころか正直引いてしまった。
ただ、この本が幅広い世代に読まれ、とくに私のような若い世代と戦争を結びつける一つのきっかけを作ったことは評価できる。

私のように、合う合わないはあるとは思うが、
それでもなお、数多くの人に読んでほしいと思わせる本ではある。
永遠の0 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (講談社文庫)より
406276413X
No.321
(2pt)

これは小説とは呼べない

映画を観る前に、まずは原作を読もうと手にとって読んでみた。

文献と資料からの引用が多すぎて、これで小説と呼ぶにはあまりにお粗末な内容だと思う。
あらすじと物語の内容が噛み合ってない印象を受けた。

祖父・宮部久蔵について調べていくことがメインで打ち出されているのに、実際、肝心の祖父宮部についての描写は全体の3割にも満たないのではなかろうか。
戦争の話がメインとなって、完全に宮部の描写がおまけの付属となってしまっている。
読んでいて、この宮部はどういう人なんだろうというワクワク感が薄れるほどに冗長だ。
読み進めることによる、楽しさのようなものは感じられない。
知りたいのは戦闘描写ではなく、宮部という人そのものなのに・・・!というジレンマがあったのかもしれない。
目的と建前というかが、なんというか、入れ替わってしまっている感じがする。

これらは文献資料からの創作能力が作者にはなかった(いうなれば、力不足)からではないかと思う。
なので、引用部分に比べると、オリジナル部分が薄っぺらすぎて、また最後にとってつけたようなお涙頂戴的なストーリーにも感動どころか正直引いてしまった。
ただ、この本が幅広い世代に読まれ、とくに私のような若い世代と戦争を結びつける一つのきっかけを作ったことは評価できる。

私のように、合う合わないはあるとは思うが、
それでもなお、数多くの人に読んでほしいと思わせる本ではある。
永遠の0 (ゼロ) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (ゼロ)より
4778310268
No.320
(2pt)

まさかの、特攻に行く理由が描かれない

なぜ宮部が特攻を志願したのか。

ここが本作の力点であり、
ラストまで引っ張りに引っ張る。

ところが、だ。

あれほどまでに生に執着していた宮部が
突如自ら特攻を志願し、死を選ぶ。

こんな読者をバカにするような展開はありますか?
私は結婚しているからこそ言うが、
家族を思ったら他人を犠牲にしてでも生き残る。

星二つとさせていただいたのは、
冒頭の表現、「悪魔のようなゼロだった。」
このキャッチに星一つであり、
それがベストセラーを呼び込んだ。

残念だが売れる為に利用された愛の形、
それが永遠の0という作品である。
永遠の0 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (講談社文庫)より
406276413X
No.319
(2pt)

まさかの、特攻に行く理由が描かれない

なぜ宮部が特攻を志願したのか。

ここが本作の力点であり、
ラストまで引っ張りに引っ張る。

ところが、だ。

あれほどまでに生に執着していた宮部が
突如自ら特攻を志願し、死を選ぶ。

こんな読者をバカにするような展開はありますか?
私は結婚しているからこそ言うが、
家族を思ったら他人を犠牲にしてでも生き残る。

星二つとさせていただいたのは、
冒頭の表現、「悪魔のようなゼロだった。」
このキャッチに星一つであり、
それがベストセラーを呼び込んだ。

残念だが売れる為に利用された愛の形、
それが永遠の0という作品である。
永遠の0 (ゼロ) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (ゼロ)より
4778310268
No.318
(1pt)

テーマ、内容はともかくとして。

未だ読了には至っていないが、大学で端くれとは言え歴史学を学んだ人間として、
この作品は“程度の低い教科書”だと断言させてもらう。

この作品は、構成として“聞き書き”の手法を採っているが、歴史学への醜悪な挑発と言える。

歴史学ではこの手法を“オーラルヒストリー”…いわゆる口伝の聞き取りと言う。
自分が世話になった教授でこれを専門にしている人が居た。
授業が面白く、話も上手な人だったが、殊の他オーラルヒストリーの手法については厳しい人だった。

教授曰く、人間の記憶はとかく主観的で曖昧なものであるが、
歴史学とは事実の探求であり、客観性が担保されなければ資料として意味を為さない。
“オーラルヒストリー”はそこに根本的な矛盾を抱える以上、
研究者は常に謙虚で慎重に居る事を忘れてはいけない、と。

その前置きの上で、2つの絶対条件を教わった。
1.録音は絶対してはいけない。話の記録はメモを取れ。
2.語り手と心から打ち解けられるくらい、何度も通って話を聞け。

1は、オーラルヒストリーの最も危険な落とし穴である“聞き手の主観”が“録音を何度も聞く”事で増幅されたり、
或いは“録音”という油断によって聞き落しが出る危険性を指摘するもの。
語り手の主観が混ざる以上“同じ話”は二度聞けないと思え、という事だった。
メモは単なる記録だけでなく、聞いた時の状況や“聞き手の主観”を整理した資料として扱え、
集中して話を聞く為、話を整理する為のツールにもなる、という事だった。

2は、オーラルヒストリーの中でも“思い出したくない記憶”、それこそ戦争体験等について、
気楽に話してもらえる関係性を築け、という事だった。
人間、話したくない事や美化した思い出もあり得る以上、
一回で全てが聞けると絶対に自惚れるなという訳だ。
また、何度も同じ話を聞いて今までの記録と衝き合わせる内に、
違った記憶や主観が出てくる事もあり、それこそ重要な資料になるという事だった。
印象的だったのは、その教授が話を聞かせてもらった人が夕張のメロン農家で、
何度も通う内に採れたメロンをたらふくご馳走してくれるようになった、というエピソードもあった。
それくらいの関係性を築けという事であるらしい。

改めて作品を省みると、卑しくもジャーナリストがある種の資料、
それも記事化する事を前提としてオーラルヒストリーの真似事をしている訳だが、
その手法はまるで最悪の典型例と言わざるを得ない。
そうして得られた情報が“正しい”とされるのは、例えそれが偶然正しかろうと、
行為自体が歴史捏造に等しい蛮行だからだ。
もしこの作品を読んだ人間が“歴史を正しく認めろ”と主張するような事があるなら、
こんな作品が罷り通る事は絶対に許されない。
エンターテインメントとして読み捨てるなら別だが、
題材として“歴史”を取り扱っている以上、やはり座視してはいけない。

誰かの作った資料を読み漁っただけの人間が書いたものであり、
判で押したような額面通りの事しか書いていないという意味と、
その例示する手法が完全に間違っているという事を以て、
“程度の低い教科書”であるとしか言いようは無い。
歴史学を学んだ者の端くれとして、この程度の事は言わせてもらいたい。

これが、例えば戦争体験を遠い記憶の向こうへ押し遣った祖父との、短くも濃密な交流を通じ、
あくまで主人公が“個人的な体験”として“祖父の歴史を知った”という作品であったなら、
ここまで酷評する事は無かったと感じている。

なお、幕間として描かれるライター男性が展開する主張の気色悪さは、
現実味があって一顧の価値があったと評価を付け加えさせて頂く。
永遠の0 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (講談社文庫)より
406276413X
No.317
(1pt)

小説と言うより台本

作者は著書について、現代の若者に60年前にあった戦争の事を語り継ぎたかったと話している。読んでその意図は伝わる作品だったが、実在する将校名が数人登場し批判の対象となるなど、その客観性を考えた時に小説(虚構)の範疇を逸脱しているという感は否めない。そのためストーリーの部分が海軍批判や戦争記述の長さに圧倒され、希薄になってしまったように思う。生還を貫こうとした天才的零戦パイロット(主人公の祖父)の死の謎を探る旅を通じて、特攻隊という極限状態を描こうとしたが主人公宮部久三と二人の孫の人物像は平面的で奥行きに乏しく、小説と言うよりも芝居の台本といった感じである。ここらが放送作家の限界かな。
永遠の0 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (講談社文庫)より
406276413X
No.316
(1pt)

テーマ、内容はともかくとして。

未だ読了には至っていないが、大学で端くれとは言え歴史学を学んだ人間として、
この作品は“程度の低い教科書”だと断言させてもらう。

この作品は、構成として“聞き書き”の手法を採っているが、歴史学への醜悪な挑発と言える。

歴史学ではこの手法を“オーラルヒストリー”…いわゆる口伝の聞き取りと言う。
自分が世話になった教授でこれを専門にしている人が居た。
授業が面白く、話も上手な人だったが、殊の他オーラルヒストリーの手法については厳しい人だった。

教授曰く、人間の記憶はとかく主観的で曖昧なものであるが、
歴史学とは事実の探求であり、客観性が担保されなければ資料として意味を為さない。
“オーラルヒストリー”はそこに根本的な矛盾を抱える以上、
研究者は常に謙虚で慎重に居る事を忘れてはいけない、と。

その前置きの上で、2つの絶対条件を教わった。
1.録音は絶対してはいけない。話の記録はメモを取れ。
2.語り手と心から打ち解けられるくらい、何度も通って話を聞け。

1は、オーラルヒストリーの最も危険な落とし穴である“聞き手の主観”が“録音を何度も聞く”事で増幅されたり、
或いは“録音”という油断によって聞き落しが出る危険性を指摘するもの。
語り手の主観が混ざる以上“同じ話”は二度聞けないと思え、という事だった。
メモは単なる記録だけでなく、聞いた時の状況や“聞き手の主観”を整理した資料として扱え、
集中して話を聞く為、話を整理する為のツールにもなる、という事だった。

2は、オーラルヒストリーの中でも“思い出したくない記憶”、それこそ戦争体験等について、
気楽に話してもらえる関係性を築け、という事だった。
人間、話したくない事や美化した思い出もあり得る以上、
一回で全てが聞けると絶対に自惚れるなという訳だ。
また、何度も同じ話を聞いて今までの記録と衝き合わせる内に、
違った記憶や主観が出てくる事もあり、それこそ重要な資料になるという事だった。
印象的だったのは、その教授が話を聞かせてもらった人が夕張のメロン農家で、
何度も通う内に採れたメロンをたらふくご馳走してくれるようになった、というエピソードもあった。
それくらいの関係性を築けという事であるらしい。

改めて作品を省みると、卑しくもジャーナリストがある種の資料、
それも記事化する事を前提としてオーラルヒストリーの真似事をしている訳だが、
その手法はまるで最悪の典型例と言わざるを得ない。
そうして得られた情報が“正しい”とされるのは、例えそれが偶然正しかろうと、
行為自体が歴史捏造に等しい蛮行だからだ。
もしこの作品を読んだ人間が“歴史を正しく認めろ”と主張するような事があるなら、
こんな作品が罷り通る事は絶対に許されない。
エンターテインメントとして読み捨てるなら別だが、
題材として“歴史”を取り扱っている以上、やはり座視してはいけない。

誰かの作った資料を読み漁っただけの人間が書いたものであり、
判で押したような額面通りの事しか書いていないという意味と、
その例示する手法が完全に間違っているという事を以て、
“程度の低い教科書”であるとしか言いようは無い。
歴史学を学んだ者の端くれとして、この程度の事は言わせてもらいたい。

これが、例えば戦争体験を遠い記憶の向こうへ押し遣った祖父との、短くも濃密な交流を通じ、
あくまで主人公が“個人的な体験”として“祖父の歴史を知った”という作品であったなら、
ここまで酷評する事は無かったと感じている。

なお、幕間として描かれるライター男性が展開する主張の気色悪さは、
現実味があって一顧の価値があったと評価を付け加えさせて頂く。
永遠の0 (ゼロ) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (ゼロ)より
4778310268
No.315
(1pt)

小説と言うより台本

作者は著書について、現代の若者に60年前にあった戦争の事を語り継ぎたかったと話している。読んでその意図は伝わる作品だったが、実在する将校名が数人登場し批判の対象となるなど、その客観性を考えた時に小説(虚構)の範疇を逸脱しているという感は否めない。そのためストーリーの部分が海軍批判や戦争記述の長さに圧倒され、希薄になってしまったように思う。生還を貫こうとした天才的零戦パイロット(主人公の祖父)の死の謎を探る旅を通じて、特攻隊という極限状態を描こうとしたが主人公宮部久三と二人の孫の人物像は平面的で奥行きに乏しく、小説と言うよりも芝居の台本といった感じである。ここらが放送作家の限界かな。
永遠の0 (ゼロ) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (ゼロ)より
4778310268
No.314
(1pt)

「永遠の0」の嘘

この作品には多くの嘘が含まれています。子供時代、「ゼロ戦レッド」「大空の誓い」「紫電改の鷹」などの戦争漫画を読んでゼロ戦に憧れすっかり軍国少年になり、その後、戦前のファシズム思想史を専攻して、子供時代に読んだ戦争漫画や戦記物がまるっきり嘘だったと知った者にとって、絶対に看過できない嘘が多くあるため、黙っていられませんでした。
最初は単なる著者の不勉強のためであると思っていましたが、戦前回帰を目論む安倍首相に近づき、NHKの経営委員におさまったり、都知事選で同じく戦前回帰を公言する田母神候補支援を表明するなど、単なる勉強不足だけでなく、著者の権力志向による意図的な「嘘」だと考えるようになりました。

前半に色々な登場人物に語らせているように、ゼロ戦が旋回能力や航続距離の性能を向上させるため、防御を犠牲にした戦闘機であること。それはゼロ戦だけでなく、特攻作戦や日本軍の全ての作戦行動に共通していることは間違っていません。一人の戦闘機乗りを一人前に養成するのに、今の金額で約二億円ものコストがかかるのに、それををほぼ百発百中撃墜されるか、途中で故障して海上に墜落して無駄死にさせてしまう。今放送中の大河ドラマ「軍師官兵衛」で、盛んに「戦わずして勝つ」というセリフが出てきますが、戦前の日本軍は全く真逆の過ちを犯していたのです。戦術、戦法が戦国時代よりもむしろ後退してしまっている。

しかし、著者はその原因を、新聞が戦争を煽ったためと片付けてしまっています。確かに戦前の新聞が戦争を煽ったことは確かでしょう。でも、戦前の新聞の力が軍部や政治家、国民すべてをコントロールしたと本気で思っているのなら大ばか者です。戦前の新聞なんて、部数は今よりはるかに少数部数で一家に一紙なんて読まれていなかったし、文盲率も高く、新聞の影響力などは微々たるものです。
本当に、戦争を煽ったものは何か? それは明治維新後、各学校に御真影を飾り、教育勅語を徹底的に浸透させた天皇制絶対主義にあることは明らかでしょう。維新直後は西欧諸国に遅れていることを自覚していて謙虚だったのが、辛亥革命、ロシア革命前夜で内部がガタガタだった清、ロシアにたまたま勝っただけなのに、実力だと勘違いして、無謀な戦争への道を突っ走ってしまったのは、天皇を振りかざせば何でも許されるという天皇制絶対主義国家自体の過ちです。しかし、著者はそのことには一言も触れておらず、新聞のせいにして終わりにしてしまっている。

また、フィリピンのガダルカナルなどでの戦闘を、アメリカと日本の戦いと片付けてしまっていて、原住民であるフィリピン人のことには一言も触れていない。戦前、フィリピンにはアメリカからの独立を目指す反米ゲリラ闘争を行っている人たちが各地にいて、最初、日本軍を「解放軍」と思い込んで歓迎したが、実際にはアメリカ軍より酷い原住民虐殺を行ったため、反米ゲリラが反日ゲリラに変わってしまった。そのため、日本軍はアメリカ軍だけでなく、フィリピンゲリラとも戦わなくてはならなくなり、自滅していったのです。そもそもフィリピンなどの東南アジアは、食料など豊富で、本当に「解放軍」であったなら原住民から食料を調達できて、ガダルカナル島の玉砕のように餓死者が大半であることはなかったはずです。先日亡くなった小野田元少尉が、その生き証人でしょう。なぜ小野田元少尉が何十年も逃げ回らなくてはならなかったのか。「解放軍」であったなら、敗戦後もフィリピン人と一緒に独立戦争を戦っていたはず。しかし、住民虐殺を行っていたから逃げ回らなくてはならなかった。戦争の舞台となったフィリピンの現地人について、一言も触れていないのは致命的な欠陥です。

小説(フィクション)だから、無視していいのか。著者がそう考えているのなら、小説家以前に人間として認めるわけにはいきません。

「生きて帰る」。そのモチーフを貫くのなら、ラストは特攻ではなく、どこかの島に意図的に不時着して生き延びるとか、アメリカ軍に投降して生き延びるとか、いろいろなラストシーンを選択できます。特攻せざるを得ないのなら、アメリカ軍ではなく、出撃地に戻って、特攻を命じた司令官室に爆弾もろとも突っ込み、司令官を爆殺する。そして、その事件は長く秘密にされていた、という結末にする。どうせフィクションというなら、私なら、そういうラストシーンにします。

著者はこの作品の映画を「反戦映画だ」と開き直っていますが、とんでもない。結局、最後に特攻をさせることで、「散華」(国の為に散ること)の思想を美化させているだけです。前半の、ゼロ戦が一発弾が当たれば撃墜される防御の思想がゼロの戦闘機だと語らせるのは、一見公平な立場に立った小説だと誤魔化すため、また「散華」を美化するため小道具に過ぎなかったのだとわかります。
永遠の0 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (講談社文庫)より
406276413X
No.313
(1pt)

「永遠の0」の嘘

この作品には多くの嘘が含まれています。子供時代、「ゼロ戦レッド」「大空の誓い」「紫電改の鷹」などの戦争漫画を読んでゼロ戦に憧れすっかり軍国少年になり、その後、戦前のファシズム思想史を専攻して、子供時代に読んだ戦争漫画や戦記物がまるっきり嘘だったと知った者にとって、絶対に看過できない嘘が多くあるため、黙っていられませんでした。
最初は単なる著者の不勉強のためであると思っていましたが、戦前回帰を目論む安倍首相に近づき、NHKの経営委員におさまったり、都知事選で同じく戦前回帰を公言する田母神候補支援を表明するなど、単なる勉強不足だけでなく、著者の権力志向による意図的な「嘘」だと考えるようになりました。

前半に色々な登場人物に語らせているように、ゼロ戦が旋回能力や航続距離の性能を向上させるため、防御を犠牲にした戦闘機であること。それはゼロ戦だけでなく、特攻作戦や日本軍の全ての作戦行動に共通していることは間違っていません。一人の戦闘機乗りを一人前に養成するのに、今の金額で約二億円ものコストがかかるのに、それををほぼ百発百中撃墜されるか、途中で故障して海上に墜落して無駄死にさせてしまう。今放送中の大河ドラマ「軍師官兵衛」で、盛んに「戦わずして勝つ」というセリフが出てきますが、戦前の日本軍は全く真逆の過ちを犯していたのです。戦術、戦法が戦国時代よりもむしろ後退してしまっている。

しかし、著者はその原因を、新聞が戦争を煽ったためと片付けてしまっています。確かに戦前の新聞が戦争を煽ったことは確かでしょう。でも、戦前の新聞の力が軍部や政治家、国民すべてをコントロールしたと本気で思っているのなら大ばか者です。戦前の新聞なんて、部数は今よりはるかに少数部数で一家に一紙なんて読まれていなかったし、文盲率も高く、新聞の影響力などは微々たるものです。
本当に、戦争を煽ったものは何か? それは明治維新後、各学校に御真影を飾り、教育勅語を徹底的に浸透させた天皇制絶対主義にあることは明らかでしょう。維新直後は西欧諸国に遅れていることを自覚していて謙虚だったのが、辛亥革命、ロシア革命前夜で内部がガタガタだった清、ロシアにたまたま勝っただけなのに、実力だと勘違いして、無謀な戦争への道を突っ走ってしまったのは、天皇を振りかざせば何でも許されるという天皇制絶対主義国家自体の過ちです。しかし、著者はそのことには一言も触れておらず、新聞のせいにして終わりにしてしまっている。

また、フィリピンのガダルカナルなどでの戦闘を、アメリカと日本の戦いと片付けてしまっていて、原住民であるフィリピン人のことには一言も触れていない。戦前、フィリピンにはアメリカからの独立を目指す反米ゲリラ闘争を行っている人たちが各地にいて、最初、日本軍を「解放軍」と思い込んで歓迎したが、実際にはアメリカ軍より酷い原住民虐殺を行ったため、反米ゲリラが反日ゲリラに変わってしまった。そのため、日本軍はアメリカ軍だけでなく、フィリピンゲリラとも戦わなくてはならなくなり、自滅していったのです。そもそもフィリピンなどの東南アジアは、食料など豊富で、本当に「解放軍」であったなら原住民から食料を調達できて、ガダルカナル島の玉砕のように餓死者が大半であることはなかったはずです。先日亡くなった小野田元少尉が、その生き証人でしょう。なぜ小野田元少尉が何十年も逃げ回らなくてはならなかったのか。「解放軍」であったなら、敗戦後もフィリピン人と一緒に独立戦争を戦っていたはず。しかし、住民虐殺を行っていたから逃げ回らなくてはならなかった。戦争の舞台となったフィリピンの現地人について、一言も触れていないのは致命的な欠陥です。

小説(フィクション)だから、無視していいのか。著者がそう考えているのなら、小説家以前に人間として認めるわけにはいきません。

「生きて帰る」。そのモチーフを貫くのなら、ラストは特攻ではなく、どこかの島に意図的に不時着して生き延びるとか、アメリカ軍に投降して生き延びるとか、いろいろなラストシーンを選択できます。特攻せざるを得ないのなら、アメリカ軍ではなく、出撃地に戻って、特攻を命じた司令官室に爆弾もろとも突っ込み、司令官を爆殺する。そして、その事件は長く秘密にされていた、という結末にする。どうせフィクションというなら、私なら、そういうラストシーンにします。

著者はこの作品の映画を「反戦映画だ」と開き直っていますが、とんでもない。結局、最後に特攻をさせることで、「散華」(国の為に散ること)の思想を美化させているだけです。前半の、ゼロ戦が一発弾が当たれば撃墜される防御の思想がゼロの戦闘機だと語らせるのは、一見公平な立場に立った小説だと誤魔化すため、また「散華」を美化するため小道具に過ぎなかったのだとわかります。
永遠の0 (ゼロ) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (ゼロ)より
4778310268
No.312
(2pt)

ドキュメンタリーと小説

これを最初に読んだとき、このゼロ戦乗りの話はどこかで読んだ事があるなあってずうっと思っていて、思い出したのは柳田邦夫の「ゼロ戦燃ゆ」です。
これは本当のドキュメンタリーで面白かった。この「永遠の0」もゼロ戦乗りの話はほとんどそこからの引用で、たとえば、横滑りとか、左手ひとつで帰還したとか、それをもとにして小説仕立てにしたものでしょう。(「ゼロ戦燃ゆ」は本当の取材ももとにしたドキュメンタリー)でも僕にはやっぱりオリジナルのほうが迫力があって面白かった。まあ、こっちには小説仕立てにしたというメリットはあるのですが・・・
永遠の0 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (講談社文庫)より
406276413X
No.311
(2pt)

ドキュメンタリーと小説

これを最初に読んだとき、このゼロ戦乗りの話はどこかで読んだ事があるなあってずうっと思っていて、思い出したのは柳田邦夫の「ゼロ戦燃ゆ」です。
これは本当のドキュメンタリーで面白かった。この「永遠の0」もゼロ戦乗りの話はほとんどそこからの引用で、たとえば、横滑りとか、左手ひとつで帰還したとか、それをもとにして小説仕立てにしたものでしょう。(「ゼロ戦燃ゆ」は本当の取材ももとにしたドキュメンタリー)でも僕にはやっぱりオリジナルのほうが迫力があって面白かった。まあ、こっちには小説仕立てにしたというメリットはあるのですが・・・
永遠の0 (ゼロ) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (ゼロ)より
4778310268
No.310
(2pt)

感想を一言で言えば「釣られた!」してやられた気分

感想を一言で言えば「釣られた!」してやられた気分。本屋大賞もテレビでの良すぎる評価も全てプロモーションであることに気付くべきだった。
物語は放送作家らしく、関連資料を周到に寄せ集めてキャッチーなエピソードをつなぎ合わせ飾り付けた素人小説。見たあと時間を無駄にしちまったと後悔するような本質が薄い3時間スペシャルみたいな作り。

導入のゼロ戦に関するエピソードは殆どが「大空のサムライ」からのコピペで興醒め。宮部の死なずに必ず生き延び戦い続ける姿勢も坂井三郎氏の持論そのもの。
祖母の前夫である特攻隊員宮部の人間像を関わりのあった人に語らせ探っていくストーリーだが、取材対象がかなりの高齢者なのに、インタビューに対して理路整然すぎる語りが老人らしくなく最後まで不自然で違和感が消えない。
最後に宮部の命を救った祖父と宮部の関係が明らかになる。
あれだけ生に執着していたのに、たまたま命を助けられたことだけで、ただの顔見知りに妻を託し特攻志願するだろうか?
特攻出撃を決意したのは、軍人として戦争に加担していた自分への贖罪意識か? 無責任な上層部に対する命がけの抗議か?
著者が特攻攻撃を肯定しない姿勢を盛込みました感たっぷりな、敵艦突入後不発弾となる結末。
物語上ラストで、敵にも尊厳を持って名誉ある戦士として弔われたのが最期の救いかも?

結局作者の言いたかったことは何か?
軍指導者に死ぬことを強要され、無責任な煽動マスコミに祭り上げられ、馬鹿げた精神論がまかり通る戦争の狂気と理不尽。
この時代に生まれたばかりに、普通の生活が蹂躙され人生を翻弄された若者世代のとんだとばっちりの日本暗黒史。
集団ヒステリーに呑み込まれ、貧乏クジを引かざるを得なかった学徒を慮り尊厳を護る、やりきれない想いを追悼する気持ちなのかな?

言いたかったことには共感できるが、作りが稚拙で感動にはたどり着けない。
永遠の0 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (講談社文庫)より
406276413X
No.309
(1pt)

足元にも及ばない

友人に勧められて読みましたが、薄っぺらで全く感心しませんでした。「壬生義士伝」と同じ手法ですが、足元にも及びません。
そんな作品を、映画でどう表現したのか興味があり観てみました。普通、原作より映画の方が良い場合はほとんど無いのですが、
この作品に関しては、一部の役者の力量で、多少は観られるものになっていました。

なぜ高評価を得ているのか、全くわかりません。
今後この作家の作品を読むことはないでしょう。
永遠の0 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 永遠の0 (講談社文庫)より
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