武蔵野水滸伝
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天保の改革を背景に関八州取締りをテーマとして始まるのに、冒頭で大塩平八郎が登場するというのがまず不思議。 千葉周作、男谷誠一郎、島田虎之助、勝小吉その他、当時のスター剣豪が顔をそろえ、国定忠治、大前田大五郎、清水次郎長ら侠客もオールスターキャストで登場、それぞれが対決する。 さらには、下巻に入ると、キリシタンの妖人、南無扇子丸の妖術「知行散乱」によって、なんと剣豪と侠客の精神、術、体が入れ替わる。例によって風太郎独特のねじれにねじれた展開だ。 この破天荒な筋書きは進行するにつれてますます逸脱し、どうにも収拾がつかなくなるように思えるが、風太郎が提示する怪論理だけで破綻しそうでしない綱渡りが続く。読んでいてもわけがわからず、疲れる。 物語の内容は、あり得ない対決を実現する「魔界転生」に近く、その天保版リメークなのだろうが、爛熟し行き詰まった徳川末期の膿が破れようとする時代相を、先駆的な革命の動き(水滸伝)として物語にしたともいえる。しかし、時代伝奇ロマンというにはあまりに荒唐無稽で、どうにも評価のしようがない感じ。強いて言えば“Bランクの怪作”か。 それにしても、参考に見たサイトでこの作品を忍法帖に分類していたのは解せない。まず、忍者は一人も出てこない。南無扇子丸は人に憑依して数百年を生きる魔人だ。忍法も出てこない。南無扇子丸の「知行散乱」にしても著者は妖術(幻法)とし、忍法とは一度も書いていない。 忍者も忍法も出てこないのだから忍法帖にカテゴライズするのは無理というものだろう。 | ||||
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