パラレルワールド―11次元の宇宙から超空間へ
- 脱出 (172)
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インフレーション理論で佐藤勝彦の名前が出てこないのはおかしい | ||||
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出版当初は物理学の歴史と新たな概念を多く学んだ。特にM理論の項目は分かり易く今でも白眉。が、時代進歩は激しく、マスコミで量子コンピューター登場を報道。ネットではQFS(量子金融システム)稼働・メドベッド・タイムラインの移動・ポータル・パラレルワールドの移動・アセンション(肉体を持っての次元上昇)・スターゲイト・ノーベル賞の本質暴露(DS洗脳手段)・マンデラ効果等々が当然の如く語られる時代。これらの概念・事実は唯物論では理解不能。基盤となる量子論は意識が物を生み出すこと(影響する)が前提。本書は唯物論的視点から描かれており、それが足かせとなっている。今再読すると古典として歴史を知るには良書だが、そこを押さえておかないと迷路にはまり込む。 | ||||
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なぜ私は存在しているのか。存在しないこともできたはずなのに。なぜ人類は存在しているのか。存在しないこともできたはずなのに。なぜ生物は存在しているのか。存在しないこともできたはずなのに。なぜ地球は存在しているのか。存在しないこともできたはずなのに。なぜ宇宙は存在しているのか。存在しないこともできたはずなのに。 天文学の入門書を繙いてみると、地球の、わけても生命の存在は、ほとんど奇跡に近い出来事だということが分かってくる。ほんの少しでも条件が異なれば、生命も、人類も、私も存在しなかった。私の存在は無限を分母とする偶然によって成立している。しかしなぜそのような偶然が起こったのか。 自由論が正しいならば、未来には常に複数の可能性が開けている。歴史は無数に分岐しうる。しかし現実となりうるのは、その中の一本の枝のみである。 そうだろうか。本当に歴史は単線なのだろうか。いや仮に単線なのだとしても、その単線が並行して無数に走っている可能性はないだろうか。 俗にパラレルワールドとも呼ばれるこの多世界説はあまりにも常識から隔たっているように思われるが、それは「世界は一つ」という先入観に囚われているからかも知れない。なるほどこの世界は一つだろう。しかしこの世界とは別の、あの世界があるとすれば? 複数の世界という概念はあまりにも突飛で受け入れがたいが、それは原理上世界は一つでなければならないという固定観念、そして複数の世界を俯瞰する位置には立てないという絶対的制約による盲目的な思い込みに過ぎないのではないだろうか。 何よりもこの多世界説を受け入れるならば、私の存在、人類の存在、生命の存在、地球の存在という天文学的な偶然も容易に説明することができる。無数の世界が存在し、その中のたった一つの世界に私がいて、その世界に私が属しているのだと仮定すれば、奇跡は奇跡ではなくなる。何しろ世界は無数に存在しているのだ。その中の一つに私が存在したところで、不思議なことは何一つない。 量子論が正しければ、観測というプロセスが、電子の最終的な状態を決定することになる。観測をおこなう前、物体はありとあらゆる状態で同時に存在する。しかしそのようなことが果たしてありうるのだろうか。 一匹の猫が箱に閉じ込められているとする。箱の中には毒ガスの入ったビンがあり、ビンにはハンマーが取り付けられ、さらにそれがウランのかけらの近くに設置したガイガーカウンターにつながっている。ウラン原子の放射線崩壊が、あらかじめ予言できない純粋に量子論的な事象であることについては、異論の余地がない。ウラン原子が次の一秒間に崩壊する可能性が五十パーセントだとしよう。もし崩壊すれば、ガイガーカウンターが崩壊し、それでハンマーが作動してビンを割り、猫は死ぬ。しかし箱を開けるまで、猫の生死は分からない。さてここで箱を開ける。箱の中を覗くと観測がなされるので、波動関数が収縮し、猫の生死が分かる。しかし箱を開ける前は? われわれが見ていないからというだけで、猫が生きていると同時に死んでいるなどといったことがどうしてありうるのか? 観測したとたんに、猫がひょっこり現れるとでもいうのか? この疑問を解決できるのが多世界解釈である。猫が生きていると同時に死んでいるという状態が、ふたつの別個の宇宙でなら可能かも知れない。片方の宇宙では猫は死んでいるが、もう片方の宇宙では猫は生きているのだ。それどころか、どの量子論的な転機においても宇宙はふたつに分かれ、果てしなく分岐し続ける。このシナリオではあらゆる宇宙が存在可能で、どれも等しく現実だ。 スティーヴン・ワインバーグは、この多宇宙理論をラジオにたとえている。われわれの身の回りには複数の放送局から発信された無数の電波が飛び交っている。しかしわれわれはその中の一つしか受信することができない。この宇宙も同じである。複数の宇宙が――ほんの目と鼻の先に――並列して存在している。しかしわれわれはその中の一つしか生きることができず、他の宇宙は互いに干渉することがない。別の宇宙では、地球は存在していなかった。別の宇宙では、生命は存在していなかった。別の宇宙では、人類は存在していなかった。別の宇宙では、私は存在していなかった。私はたまたま地球が存在し、たまたま生命が存在し、たまたま地球が存在し、たまたま私が存在していた宇宙に、たまたま存在しているだけだ。要するにそれは確率の問題なのである。 かつてニュートンの万有引力の法則が、地球のみならず宇宙の神秘を解き明かしたかのように思われた。ところがアインシュタインの相対性理論が、それまでの物理学を根底から覆した。ニュートンにとって時間と空間は、その中に全ての物質が内包される無限かつ等質な容器であった。しかしアインシュタインは、時間と空間が物質の状態によってゆがむことを証明した。光の速度で光を見ても光が止まって見えないのは、光の速度で動く観測者にとっては時間の速度が遅くなるからである。すなわち物体が光速に近づくと、時間の歩みは減速して静止に向かうため、光速の壁を破ることができない。宇宙における空間と時間は、地球におけるそれとは異なりゆがんでいることをアインシュタインは予測し、1919年の日食で行われた有名な実験でそれが証明された。 しかしアインシュタインは宇宙の未来を予測できなかった。アインシュタインにとって宇宙は静的なものだと思われていた。ところがハッブル・ガモフ・ホイルの三人による三様の理論からビッグバン説が生まれ、宇宙には始まりと終わりがあることが分かってきた。宇宙が動的なものであり膨張しているのであれば、その膨張が始まった時点があるはずであり、さらに膨張が終わる時点もあるはずである。その終わり方は三種類考えられる。その一。宇宙は膨張し続け、ビッグフリーズへ向かう。その二。宇宙の膨張はやがて止まって収縮に転じ、ビッグクランチ(灼熱)に至る。その三。宇宙は平坦なまま永久に膨張し続ける。 そのいずれの場合でも知的生命体が、すなわち人類が生き残る可能性を追求する第三部は、悲愴も滑稽も通り越してむしろ痛快である。宇宙からの脱出! 何百億年も先の、宇宙が終焉する未来における人類の運命を案じることにいかなる意味があるのか? しかし科学者たちはその課題に大真面目に取り組んでいる。ここまでくると科学者とはリアリストなのかロマンチストなのか区別がつかない。いや両者は究極において一致するのかも知れない。 本書は難しい数式は一切使わず、SFネタも織り交ぜながら、物語を読むように楽しむことができる科学書である。「優れたガイドによる、素晴らしい宇宙ツアー」という紹介文にふさわしい、ノンフィクション・エンターテインメントとも呼ぶべき快作である。 | ||||
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無事届きました。 | ||||
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宇宙論や量子力学の入門書です。ボリュームがありますが、最新の理論を、数式を使わず、非常に分かりやすく、自然に頭に入るよう説明してくれる、驚くべき啓蒙書です。 新書でありながら難しいブルー・バックスとはえらい違いです。久々に、科学書を読む快感に浸りました。翻訳も上手いのだと思います。名著だと思います。 | ||||
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