(短編集)

怪奇疾走



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    初公開日(参考)2021年06月
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    怪奇疾走 (ハーパーBOOKS)

    2021年06月17日 怪奇疾走 (ハーパーBOOKS)

    モダンホラーの名手が案内する、悪夢のドライブ旅行。 Netflix映画原作のスティーヴン・キング共作を含む傑作13篇! 著者自身による作品ノート付き。 顔の見えないトラック運転手に執拗につけ狙われる父と子――『激突!』の親子版「スロットル」、草むらに足を踏み入れた双子を恐怖が襲う「イン・ザ・トール・グラス」。 S・キングとの共作2篇をはじめ、死者が訪れる不思議な移動図書館「遅れた返却者」、お伽噺のような扉の先が血塗れの狩場に変わる「フォーン」、イタリアの港町を舞台に描く実験的作品「階段の悪魔」他、怪奇と奇想に満ちたアクセル全開の短篇集!(「BOOK」データベースより)




    書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.00pt

    怪奇疾走の総合評価:7.89/10点レビュー 9件。Cランク


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    No.1:
    (7pt)

    父に背中を押されたような作品群

    ジョー・ヒルの今回は短編集。しかも父親スティーヴン・キングとの共作も収録されている。

    まず開巻最初に収録されている「スロットル」が早速そのキングとの共作に当たる。

    本書のモチーフは映画監督スピルバーグのデビュー作『激突!』である。6万ドルをだまし取られたバイク集団<トライブ>が詐欺を働いた男とその彼女を殺害し、金を取り戻すためにその男の姉の許を訪ねる道中でいきなりタンクローリーに襲われるという物語である。

    スピルバーグの『激突!』では1人の男が運転する車が執拗に絡まれ、襲われるというものだったが、本作ではバイク集団という複数の人物が虫けらのように吹き飛ばされ、もしくはゴミのように踏みつぶされ、道路の消炭のように死んでいく。この辺の残虐性はキングならではだろう。

    そして本家が襲ってくる理由が不明なままで終わるのに対し、本作では理由が判明するのが異なる点だ。


    次の「闇のメリーゴーラウンド」は若い頃の過ちを描いた作品だ。

    短気な兄が恋人のお金をメリーゴーラウンドのスタッフが盗んだと思い込んで報復に向かった後、彼らが出くわすのはなんとメリーゴーラウンドの木馬たちからの復讐だったというホラーだ。

    若き日の度が過ぎた犯罪めいた悪戯や往々にして大人になってからの思い出話や武勇伝になり得るが、本作ではいつまでも覚めやらぬ悪夢となって今後の人生にも付きまとわされる、取り返しのつかない過ちとして描かれているのが印象的だ。


    続く「ウルヴァートン駅」はコーヒーチェーンの経営層の人間が出くわした怪奇の物語だ。

    本作の題名となっているウルヴァートンはイギリスに実在する都市で駅も実在する。ヒルはその狼の名を冠した都市を異世界へと変えた。

    そのトワイライト・ゾーンに迷い込むのはジミ・コーヒーの経営者の1人で海外進出を任されており、敢えてコーヒー店があるところに出店して地元の喫茶店含めて次々と潰れさせて独占する、“木こり”と異名をとる人物だ。
    若い頃の放浪生活でどこに行こうが人は誰しもマクドナルドなどの一流チェーン店の物を欲すると云う真理を悟ってバーガーキングやダンキンドーナツを経てジミ・コーヒーに引き抜かれた男だ。彼の行くところにジミ・コーヒー以外草木も残らないというやり方ゆえに彼はありとあらゆる抗議を受けているのでスーツを着た狼を見ても彼に対する嫌がらせだろうと思っていたのだが・・・。


    「シャンプレーン湖の銀色の水辺で」もまたとある作家の名作をモチーフにした作品だ。

    調べてみるとシャンプレーン湖は実在する湖でアメリカのバーモント州にある。ウィキペディアでも出てくるほど有名な湖らしく、しかもそこにはチャンプというUMAがいるとも伝えられている。
    そう、本作はこのUMAの死体が現れる物語だ。

    この湖畔に住むロンドン一家は両親と4人姉妹の賑やかな家族で主人公のゲイルは多感な女の子。二日酔いに苦しむ両親を起こそうと深鍋を被ってロボットに扮するお茶目な女の子だ。他の姉妹もそれぞれ個性的だが、ゲイルはその中でも最たるものらしい。そして姉妹よりも近所に住むクウォレル家のジョエルと遊ぶのを好んでいた。

    そんな2人が発見するのが首長竜と思しき怪物の死体。この一大発見を早く大人たちに知らせたいのだがお互いの両親は昨晩のパーティでかなりアルコールを摂取したらしく、一向に起きる気配がない。

    ジョエルは弟を使ってロンドン一家の母親を連れてこようとするが、母親はそんなことよりも早く朝ご飯を食べなさいと他の姉妹にゲイルを連れ戻させる。

    この幻想味ある事件と日常生活の対比が本書では面白い。

    しかし物語の結末は何とも残酷だ。


    「フォーン」は狩猟好き誰しもが憧れる秘密の扉のお話だ。

    金持ちの道楽である動物狩猟。大金を払ってアフリカなどへ行き、ライオンやサイなどを撃ち殺して剥製にすることを趣味にする、我々一般人とはちょっと次元の異なる世界だ。従って極力銃傷を残さずに仕留めるのが大事らしい。

    そんな金持ちの道楽の究極はやはり珍しい動物を仕留めること。やってはいけない天然記念物を仕留めるのは禁断の果実だが本作では架空の獣、半人半獣のパーンのようなフォーンやキュプロクスが住まう狩猟区でそれらを仕留めることが出来る異世界への扉を紹介される。

    しかしここからが意外な展開だがネタバレになるので止めておこう。


    誰しも借りたままになって返していない物はあるだろう。「遅れた返却者」は借りっぱなしになっていた図書館の本を返す人々に訪れる奇跡の物語だ。

    いやあ、なんと素敵な物語だ。
    永らく延滞していた本を返したい人がいるが、事情により図書館に行けず、そのまま返せずに亡くなった人たちと過去に遡って出会い、延滞した本を返却してもらう代わりに、まだその人たちがいる時代には存在しない本を貸せ、そしてそれがその人のその後の人生を変える。

    1冊の本がその人の人生を変えたといよく云うが、その運命の分岐点を演出するのが両親の死によって長距離トラックの運転手の職をクビになって、両親が前世紀から借りていた本を―物語の舞台は2019年だから少なくとも20年以上借りっぱなしだ!―返却しに来たことで移動図書館の運転手として雇われることになった青年というのも本が繋ぐ縁を感じさせる。

    しかも例えばハインラインの『ルナ・ゲートの彼方』を返しに来た老人が渡される本が『ハンガー・ゲーム』だったり、ミュンヘン・オリンピックでイスラエル選手へのテロの報復を心配している女性が来れば、その女性がリーガル・サスペンスが好きだと聞いて20年後に出版される予定のスコット・トゥローの本を貸したりする。

    そしてそれがその人にとって読むに相応しい本であるというのが素晴らしい。
    そこに〈ハリー・ポッター〉シリーズがあろうが、〈ナルニア国〉シリーズがあろうが、その人にとって読むに値しなければそれは現代に存在する本としてでしかあり得なくて過去から来た返却者には目にも触れないのだ。つまりその本に“呼ばれない”のだ。いや、その人にとって必要とされる本だけを渡すことが出来るのだ。

    但し、その人にとってふさわしい本ならばその後の人生が変わる。印象的だったのは『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を返しに来た少女が、次の最終巻が出るころには自分がガンで死んでいるだろう、それが心残りだと云ったのに対して、まだ出ていない『ハリー・ポッターと死の秘宝』を貸してやったというエピソードだ。

    そんな素敵を演出できる移動図書館の運転手となった主人公が実に羨ましいではないか。

    素敵な思惑と余韻を残して物語は閉じられる。傑作。


    「遅れた返却者」が過去に遡る話なら一転して「きみだけに尽くす」は近未来が舞台だ。

    結末まで読んで改めて題名を見ると何とも胸が痛む物語だ。
    クロックワークと呼ばれる時間制限付きアンドロイドと事故によって寝たきりの身になった父親のために人生が一変した少女の一夜限りの夢のような誕生日を過ごす物語と典型的なシンデレラストーリー。1時間だけの、何でも叶えてくれる友人を得たアイリスは望んでいた〈スポーク〉という超高層タワーに上り、そこで星の出を見ることとスパークフロスという飲むと花火を発する飲み物を飲み、〈バブル〉という球場の乗り物に乗って〈スポーク〉から降りるというやりたかったことを全て叶える。

    そしてタイムリミットが迫る中、彼女は最後驚くべき行動に出る。
    現代のシンデレラは友達よりもお金なのだ。現実的なのだ。


    ガラッと打って変わって「親指の指紋」は退役した元女性兵士の話だ。

    ビンラディンによる同時多発テロによってアメリカはイラクにビンラディンがいると当時のブッシュ大統領が宣言し、アメリカはイラクに大量の兵士を派遣した。本作の主人公はその中の1人の元女性兵士でビンラディンのシンパと思われる人物たちの尋問と拷問の補助を行っていた。

    時間軸としては退役して実家に戻った彼女が地元の酒場で働きながら生活を送っている風景が描かれるが、イラクでの尋問・拷問の日々でささくれだった心は地元に残った友人たちに対して、例えば酔っ払って前後不覚になった友人を介抱するのではなく、なんと戒めとでもいわんばかりに結婚指輪を盗むことまでする。それは全く彼女にとって不要な物であり、単なる出来心であったが、そういうことを罪悪感抱かずに行うほど心が死んでいるのが解る。

    そんな中、彼女の許に何者かによって親指の指紋が付けられた手紙が送り付けられる。その親指の指紋の手紙は全て異なる人物の物だったが、おかれている場所が郵便受け、玄関、車のワイパーと次第にプライベート・ゾーンに近づいていき、最後は寝室の化粧台の鏡に貼り付けられる。

    物語は何とも云えない余韻を残して終わる。

    印象に残ったのは戦争とは国を守るために敵を倒しに行くことだが、彼女がそれを他人の身になにかをやれと求められることだと気付いたという件だ。戦うこととは敵を殺し、または傷つけることだ。そして戦争に出陣することはそれを強いられることだと気付かされる。お国のためにという大義名分の陰にはその後の人生を変えてしまう暗い現実が横たわっていることを思い知らされる部分である。


    横書きでしかも三角形を基調とした変わった文字組みで語られる「階段の悪魔」の舞台はスッレ・スカーレというイタリアの片田舎だ。

    赤い門に閉ざされた地獄へと繋がる階段と言い伝えられているイタリアの片田舎で主人公の少年はいとこに恋をしていたが、サラセン人の金持ち息子に彼女を盗られて激情のあまり殺害し、逃げ延びるためにその階段を下りていく。
    そこで出会ったのは美しい顔の少年。

    ただなぜヒルがこの作品を独特な文字組みで書いたのか解らない。
    険しい山を行き来して暮らす主人公の心情を表したものだったのか。
    恐らく三角形で組まれた文章は赤い門の奥にあるつづら折りになった地獄への階段を模しているのだろう。読者も共に地獄へ堕ちていく感覚を与えるためだったか。

    内容は田舎町での恋愛が絡んだ殺人事件。しかしヒルは第2次大戦にイタリアも参加するようになったことを示唆することで奇妙な読み応えを残した作品となった。


    次の「死者のサーカスよりツイッターにて実況中継」はタイトルそのままの作品だ。

    死者のサーカスというゾンビによるサーカスの模様をツイッター形式で語った小説。どこにでも今どきの反抗期の女の子のつぶやきで終始語られる。

    そして彼らが立ち寄った死者のサーカスではチケット売り場の売り子からは死臭が漂い、竹馬に乗ったリングミストレスが必死にゾンビから逃げ惑うショーで幕を開ける。彼女はもう6週間も囚われの身で観客に助けを求めるがそれもショーの演出だと思って取り合わない。

    更にゾンビの大砲ショーは客席に向けて放たれ、ゾンビの破片がそこら中に散らばる。さらにライオンとの格闘ショーもあり、最初はライオンがゾンビを食い殺すが、次々と投入されるゾンビに終いにはライオンが餌食になる。

    火吹き男は口の中に松明を押し込められてハロウィンのカボチャのように燃え盛り、絶命する。

    そしていつの間にか家族の一員が磔になって手斧投げのショーの標的となって首の横に命中して退場。

    そして再度登場した弟は手斧が首に刺さったまま登場し、舞台中央でリングミストレスを押し倒して食らいつく。

    それまでは数々の演目をトリックだと云って解説していた父親もさすがにこれがリアルなゾンビの殺戮ショーだと気付くが最後はゾンビたちが客席に襲い掛かる。

    翌朝の9時過ぎに主人公のツイッターが更新され、全てが彼女の演出であったかのように呟かれて閉じられる。

    色んな意味合いを含んだ話だ。通常ならば語り手が出来事が終わった後に当時を振り返って物語を綴るが、ツイッター形式をとることでリアルタイムで物語が進行し、展開が見えないのがミソ。

    特撮やCGやSNSとデジタル技術が進歩した現代の虚と実の境界線の希薄さを巧みに利用した作品だ。


    次の「菊(マム)」は奇妙な作品だ。

    何とも評し難い作品だ。
    父親の許から逃げ出そうとしていた母親は夫が爆発物をこっそり製造しているのを知り、曾曾曾おばあさんの許に息子と共に逃げ出そうとするが、夫に見つかって食い止められ、発覚を恐れて殺されてしまう。この時点でこの家族が異様だというのが解る。

    母の死後、息子は老女から菊の種を買うがそれを母の墓地に植えるとなんと母親の頭がいくつも根付き、彼女から父親が爆発物製造という罪を犯しているのを知らされる。恐らく彼はテロリストなのだろう。

    この悪夢のような展開は夜驚症を患っている息子の視点で語られるため、彼の妄想なのかリアルなのか境界が曖昧のまま進行する。


    父キングとの2作目の共作である「イン・ザ・トール・グラス」は明るい基調から一転して不穏な空気に包まれる作品だ。

    背の高い草原と云えばキング作品ではおなじみのトウモロコシ畑を想起させる。本作はジョー・ヒル版「トウモロコシ畑の子供たち」と云いたいところだが、キングが共作に加わっていることから21世紀版と称するのが正確か。

    1年7カ月しか年の離れていないツーカーの仲の兄妹という陽気な2人が迷い込むのは一度入ると抜けられない背高い草の生えた野原。しかしそこから抜け出すには禍々しい黒い岩に触れなければならない。

    私は本作を読んで日本でも有名な妖怪譚「隠れ里」を想起した。しかし後半の展開は最近読んだキングの『デスペレーション』を連想した。キングの想像力の陰惨さは全然衰えを見せない。いやこれは息子の設定だろうか。とにかく気持ちの悪い作品だ。


    最後の「解放」はある特殊な状況に陥った人々それぞれの点景を綴った作品だ。

    飛行機に乗っている時、もし世界戦争が起きたら人々はどう思い、どう行動するだろうか。本作はそんな状況に陥った乗客と飛行機のスタッフの心の変化をそれぞれの登場人物に焦点を当てて描いた作品である。

    アメリカ空軍の空襲のために空路を開けざるを得なくなり、最寄りの空港に着陸することを指示された機長が当該空港が核攻撃地点であることからカナダの空港へ進路を変える。少しでも生き延びるために。

    隣り合わせた男女は人生最後の恐怖を和らげるように抱き合い、口づけを交わす。

    いがみ合っていた乗客はやがて罵倒されても笑い飛ばせるようになる。

    そんな悲喜こもごもの物語だ。そしてタイトルの「解放」“You Are Released”はまた何かのメタファーであると思える。それについては後で語ろう。


    ジョー・ヒルも父親キング同様、物語が長大化しており、前作『怪奇日和』は1作がページ前後の中編集だったが、本書は好評を以て迎えられ、一躍ジョー・ヒルの名を知らしめた『20世紀の幽霊たち』と同様の30~70ページ前後の短編集であり、しかも父親キングとの共作も含んでいるとあれば期待も高まるものである。

    『20世紀の幽霊たち』でもそうだったが、ジョー・ヒルの短編の舞台は何ともヴァラエティに富んでいる。

    アメリカの路上にとある遊園地にあるメリーゴーラウンドやロンドンのウルヴァートン駅、そしてバーモント州のシャプレーン湖にアフリカの狩猟区から異世界の狩猟区、移動図書館、近未来の世界、ニューヨーク州のハメット、イタリアの片田舎スッレ・スカーレ、アリゾナのサーカス、どこかのアメリカの片田舎、カンザス州の背高い草原、ボストン行きの飛行機の中ととにかく同じところが一つもない。

    そして内容もまた同様だ。

    アメリカの路上を横断するバイカーたちを襲うタンクローリーの話に曰くあるメリーゴーラウンドの木馬たちに突如襲われる闇夜の悪夢、そして出張先のロンドンの列車内で遭遇する狼人間たちの群れ、そして湖に棲むと云われていた怪物との遭遇に空想上の動物たちがいる狩猟区での狩りで見舞われる意外な展開、過去に遡って延滞した本を返却してもらう代わりに運命を変える本を貸す移動図書館、人生のどん底にいる少女の前に現れた友達ロボットとの素敵な一夜、退役した元女性兵士が出くわす見えない脅迫者、片思いの幼馴染を盗られた嫉妬に駆られてその恋人を殺害した男が逃げ込んだ異世界、旅行中の一家が迷い込んだゾンビたちのサーカス、アメリカの片田舎でとある家族の不和と不思議な菊の話、妊娠した妹と共に親戚の家に行く途中で出くわした高い草原に迷い込んだ親子を救おうとしたことで自分たちも脱け出せなくなる兄妹の話、フライト中に核戦争が勃発した乗客と乗組員たちの心模様と扱うジャンルも様々である。

    またそれぞれの物語で語られるエピソードや設定が何とも瑞々しい。

    例えば「闇のメリーゴーラウンド」ではイケてる美男美女の兄妹が登場するが、主人公はそのイケてる妹の恋人だが、ごく普通の青年。そしてその兄も恋人は読書好きの大きな眼鏡をした胸の小さな女性でどう見ても性格も違い、見た目も不釣り合いなのだが、この兄妹にとってそれぞれの恋人がパズルのようにピタッとハマる存在であることや、その妹が主人公に平気でちょっとエロいジョークを云って困惑させるが、それが数年後かには喜ばしい思い出に変わるなどと云ったことなど、読者の心をくすぐる設定や文章がある。
    私が特に気に入ったのは「シャプレーン湖の銀色の水辺で」の主人公の少女ゲイルとその3姉妹だ。これについてはまた後程述べよう。

    あと気になったのは「ウルヴァートン駅」に登場するやり手の経営者ソーンダースの必勝法だ。この作品には実在するチェーン店が実名でいくつか登場するが、例えば彼がダンキンドーナツに移った時にスターバックスよりも売上が上回った時の撃退法などが書かれているがこれは本当だろうか。

    本書の目玉はなんといっても父親スティーヴン・キングとの共作だろう。
    そのキングとの共作は2編あるが、1編目が最初に収録された「スロットル」である。これはスピルバーグの『激突!』の本歌取りのような作品だが、タンクローリーに襲われるバイク集団の中心人物が親子であるというのが心憎い。いつも人を馬鹿にしたような態度を取る息子が恐怖に向き合った時にひたすら逃げるだけの態度を取る息子の姿に失望をしながらも、ただ一人ローリーに追われる身になった息子を思うときに蘇るのは幼き頃の肖像。

    この父と子の物語を2人はどんな思いで書いたのか、興味がそそられるではないか。

    もう1つの「イン・ザ・トール・グラス」は背高い草原に迷い込む兄妹の話だが、2人を導くのは子供の助けを呼ぶ声。つまりモチーフとしてはキング自身の短編「トウモロコシ畑の子供たち」を想起させるのだが、ある意味これはキングから息子へのバトン渡しを示しているのではないか。

    ジョー・ヒルは作品はあとがきにも書いているが、過去の色んな名作から本歌取りをして作品を紡ぐことが多いようで、その中には父キングの作品も入っており、特に『ファイアマン』はもろ『ザ・スタンド』と設定が被っている。
    それは一方で読者にやはり父親キングを超えることは叶わないのかと物足りなさを感じさせたが、本作を共作とすることでキングは父親から自身の作品の衣鉢を継いで伸び伸びと創作してほしいとメッセージを込めたのではないか。

    そういう意味では「スロットル」もまた大型のタンクローリーが襲い掛かる恐怖はキングが昔から扱った“生ある機械の報復”のテーマを感じさせる。やはり本書で父は息子へバトンを託したのだ。

    それは最後の収録作が「解放」、原題“You Are Released”であることが象徴的だ。
    この物語はしっかりした結末が付けられているわけではない。着陸前にロシアとアメリカの核戦争の開戦に出くわしたボストン行きの飛行機に乗り合わせた乗客と乗組員それぞれのエピソードが語られるだけである。そして機長は管制塔から指示されたアメリカの都市ファーゴが第一核攻撃地点だと判断して北のカナダに進路を取る。

    私はこの作品が題名と云い、情況と云い、今後のジョー・ヒルの作家活動を暗示しているように思えるのだ。

    ジョー・ヒルがカナダに活躍の場を移すというのではない。上の父キングとの2作の共演を終えて、彼は本歌取りをしても、自身なりの物語を生み出せばいい、そして父キングからそれは今まで自分の数多ある題材から取っても構わないと背中を押された、文字通りリリースされたように感じた。もちろん上に書いたように最近の作者は開き直って堂々と父親の作品の設定を似せて作品を書いてきたが、どこかしこりがあったのではないだろうか。
    しかし今回ようやくそれが父に正式に認められ、重荷から解放されたように感じられるのだ。世間や書評家、そして読者はどうしてもジョー・ヒルを語るとき“スティーヴン・キングの息子”と付けてしまうだろう。それを彼は嫌がって自身の著者名にキングの名を付けなかったのだが、逆に彼は父があまりに偉大であるから、敢えてその看板を背負おうと決心したのであはないか。ただ彼は父の過去作の亜流であれ、自分の好きなものを書くと決意し、ある種憑き物を落としたかのように思えるのだ。

    さてそんな本書のベスト作を挙げるとすれば「遅れた返却者」だ。これは本を愛する者全てに読んでほしい物語だ。

    私はよく“本に呼ばれる”感覚に陥る。
    それは特に何の意図もなく選んだ本たちの内容が何らからの関係性を持って数珠つなぎのようにリンクし、心にテーマが刻まれるような不思議な縁を感じることを云うのだが、本作もまさにそのようなもので、延滞した本を返しに来た、既にこの世にいない「遅れた返却者」が本来なら読む事の適わない21世紀の本を渡されることでその後の運命が変わるという設定が素晴らしい。まさに本がもたらす人生のワンダーである。
    「読まずに死ねるか!」と云ったは内藤陳氏だが、もしそんな自分の死後に出版される自分好みの本を読むことが出来たなら、読書好きにとって本望に違いない。これはそんな読書家の夢を描いた作品だ。

    次点では「シャンプレーン湖の銀色の水辺で」と「きみだけに尽くす」の2作を挙げよう。

    前者はレイ・ブラッドベリの名作「霧笛」の本歌取りとも云うべき作品だが、舞台をチャンプと呼ばれるUMAがいると云われている実在の湖シャンプレーン湖を舞台にし、首長竜らしき怪物の死体が打ち上げられているのを大発見だと近所に住む娘が叫ぶが両親は前夜のパーティーの二日酔いで寝てばかりで他の3人の姉妹は自分のことで取り合わない。この主人公のゲイルという女の子がお鍋を被ってロボットに扮するなど自分の世界を持った不思議少女であり、近所に住む兄弟の兄が好きで将来結婚を誓っているというのがまた私の心をくすぐった。特に2人が怪物の死体の発見した記念として歯を抜き取ろうとするシーンも郷愁を誘われる。

    後者は未来を舞台にしたシンデレラストーリーで、題名は主人公に尽くすアンドロイドの献身を表している。主人公の未成年の女性は父親が突然仕事で再起不能となったため、予定していた友人との誕生日パーティーを取りやめざるを得なくなった。彼女が誕生日に行きたかったタワーに街角に立っていたコイン・フレンドというアンドロイドは有料で1時間彼女の友達になる。そのアンドロイドは116年前に作られたもので彼女をいつも街角で見ていたのだ。彼女は彼のサポートで憧れのタワーに上り、飲みたかった不思議な飲み物を飲み、乗りたかった乗り物に乗って、夢のような一夜を過ごす。不遇の若い女性に夢を与える典型的なシンデレラストーリーなのだが、最後の結末は何とも現実的で驚かされた。

    この766ページにも亘る大著となった短編集をもしキングが著者ならば二分冊か三分冊で出版されただろう。
    これはつまりはジョー・ヒルの版権料が父には及ばないからだろうか。それとも分冊刊行して売れるほどまだ知名度が低いからか。
    いずれにせよ、原書と同様に一冊で出版したのは嬉しいことではある。

    しかしこんなことを考えていること自体、やはり私も彼を一作家と見なしていなく、“キングの息子”というレッテルを貼っている事に過ぎないのだから、下衆の勘繰りと云われても仕方のないつまらない詮索だ。

    そして私はやはりジョー・ヒルは長編よりも中編・短編向きの作家だと再認識した。上に書いたように本書の題材や舞台は実にヴァラエティに富んでいる。つまり彼の中にも父同様、沢山の物語が詰まっているのだ。しかしそれを長編化するとかなりのヴォリュームになることが最近の長編で解っているので、やはりエッセンスを凝縮した短・中編としてどんどん内なる物語を開放してほしい。そしてそれを父が読み、またキングも触発されて素晴らしい作品を紡ぐ相乗効果を期待したい。

    しかしキングも既に御年73歳だ。それでもなおまだ新作を発表しているのだから畏れ入る。
    しかしそろそろ次のキングが出てもいい頃だ。それがジョー・ヒルであることを期待しよう。
    解放された彼が次からどんな作品を我々に見せるのかを私はこれからも彼の作品を追って行き、確かめていきたいと思う。

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    No.8:
    (3pt)

    切れ味の悪いスティーヴン・キング(「フォーン」除く)

    確かに才覚はあると思うが、どうにも「切れ味の悪いスティーヴン・キング」感は否めない。縮小コピーというか。短編とは言え長さに閉口し、「早く終らないかな」という気持ちに何度もさせられた。

    そんな中、「フォーン」だけはこれはいいと感じられた。毛色も他の作品とは違う。ヒルの本当の才能はこういう方向性にあるのではないだろうか。

    良くも悪くも、スティーヴン・キングの陰から出て行くべきだと思うことです。
    怪奇疾走 (ハーパーBOOKS)Amazon書評・レビュー:怪奇疾走 (ハーパーBOOKS)より
    B096KD4HVC
    No.7:
    (5pt)

    父親との供作含む

    才能は遺伝なのか努力なのか?
    怪奇疾走 (ハーパーBOOKS)Amazon書評・レビュー:怪奇疾走 (ハーパーBOOKS)より
    B096KD4HVC
    No.6:
    (3pt)

    スティーヴン・キングの後継候補の候補

    大御所スティーヴン・キングが本作に関わる点(一部共著)は評価できます。
    しかし、全体的に「劣化版スティーヴン・キング」という感想を抱きました。
    何というか、父親キングと比較すると世界観などの内容が浅く思えるんですね。重厚感が足りません。

    ただ、ジョー・ヒルの今後の御活躍には十分期待したいと思います。
    怪奇疾走 (ハーパーBOOKS)Amazon書評・レビュー:怪奇疾走 (ハーパーBOOKS)より
    B096KD4HVC
    No.5:
    (4pt)

    蛙の子は蛙

    親父の S・キング ファンの私。 息子の作品はいかにと彼の処女作を読んだ時、少しがっかりしたことを覚えている。 あれから何年たったか・・・、この作品を読んで、まるでオヤジの短編を読んでいるみたいでとても面白かった。 これからは息子の作品をすべて読んでみたいと思っている。
    怪奇疾走 (ハーパーBOOKS)Amazon書評・レビュー:怪奇疾走 (ハーパーBOOKS)より
    B096KD4HVC
    No.4:
    (5pt)

    良かったです。

    ジョー・ヒルの短編・中編は割と好きなので、今回も読んでみました。期待通りでした。
    特に父親のスティーブン・キングとの共作2編が良かったです。
    怪奇疾走 (ハーパーBOOKS)Amazon書評・レビュー:怪奇疾走 (ハーパーBOOKS)より
    B096KD4HVC



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