本格ミステリ館焼失
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この本を色んな角度から分析される方もいるんだなぁ、と感嘆しますが 普通の読者としては「なんでこんなの出したんだろう」というのが 素直な感想です。 読む価値、というより書く価値が無いのでは、と思ってしまう。 とりあえず買う価値は無いので、興味がある方は図書館で借りるのが良いかと。 ----------ねたバレしてます---------------------------------- 小説のほとんどが事件を語る事に終始してるわけですが、 最後に「今までの話しはうっそー!! 本当は食事に睡眠薬入れて火つけただけ」と数行で書いてあるのです。 読んだ内容が嘘、と最後に言われた読者は 「うーん。やられた!!」なんて思わないんだけどね。 事件で死んだ関係者の姪に語ると言う設定ですが その姪は最初から殺すわけだったので、この話を聞かせる 意味だって無い。内容的にも破たんしてるじゃん。 語り手が最後になって「事件関係者の三つ子だった」とか出ちゃうし こんなの許せる内容とは到底思えないです。 そしてトリックも無い(入らない) 誰しもこうした小説を書かないのは 小説家として御法度だからだろう、と思うんですよね。 つまらない作品を読んでも 「次の作品は良い物を書くかも」と期待する人もいます。私とか。 でもこの本を読んでそうした期待を抱く人はいない。 次に続かないのでは作家として生きていけないじゃん。 だから御法度、書かない内容だと思うんです。 「小説の中だからなんでもあり」では共感を与える事も 感動や心に残る、というのも有り得ない。 ただ単に誰も書かない、やらない内容を書くだけなら 自分の日記に書けばいいのに・・ とすら思う本です。 | ||||
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カスタマーレビューで『アンチミステリ…」の方が論評(作品より遥かに面白かったです★5です!)を十分述べて頂いてくれたので、こちらは内容に触れます。 亡きミステリ作家のために造られた館。 人里離れたそこへ関係者が集まり一周忌を…しかし「人が一人ずつ消えていく」…不可解な電話があり警官が駆け付けると…燃え盛る館に焼け焦げの遺体達。一体何が起きたのか。 相手の顔を見れば真実が分かる…大学のサークル仲間の知人に真相を解明してもらうべく叔父の遺体から頭部を切断し、それを持って謎の人物に会いに行く…そこで騙られる驚愕の事実!(佐藤大) | ||||
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この小説はきっと「アンチミステリ」、その中でもその始祖である「虚無への供物」を目指して書いたのでしょう。わかりやすいところでいえば作中作の探偵の名前である「火沼蒼二」という名前からも、それはわかります。 ただアンチミステリといえば「反ミステリ」とか「坑ミステリ」と解釈するべきものですが、この小説の場合の”アンチ”は「〜〜信者」とか「〜〜オタク」に対しての「アンチ〜〜」という意味にしかとれません。 したがって作風をあらわす言葉としては「嫌ミステリ」とか「嘲ミステリ」といったところが妥当です。 「虚無への供物」は「いまや現実がミステリを越えてしまう(現実>ミステリ)」から「もはやミステリは書けないし読めない」と言うためにアンチミステリとして書かれたのでしょうが、この小説は「ミステリは現実とは違う(現実≠ミステリ)」から「もうミステリは書きたくないし読みたくない」と言いたくて書かれたように思えます。 そのためか最後に明かされる「真実(=現実)」が用意された「ミステリ部分」にボロ負けしてしまっていて、全く面白くありませんでした。 アンチミステリが”アンチミステリとして”面白くなるとすれば、ラストで「現実とはこういうものだ」という解決を提示して、それが「いかにもミステリ的」な解決よりも意外で面白い場合に限られるんじゃないでしょうか。 ただここで一つ気になるのは、全く逆の解釈もあることです。つまり「本格ミステリはリアリティがないからつまらない」というよくある意見に対し「アンフェアで面白くない現実」を提示することで、逆説的に「現実などという何の準拠枠ももたないものを小説にする意味など無い。準拠枠を遵守しつつも逸脱してみせることこそがミステリの面白さなのだから、遵守し逸脱するための準拠枠としての『非現実的なもの(=ミステリ的なもの)』は必要である」という意見をぶつけたかった、ということかも知れないということ。 「虚無への供物」がメタミステリであるため、そのオマージュであるこの作品にもそういうメタ的な試みがないとは言い切れません。そしてもし本当にそうならこれは、アンチミステリどころか、ミステリへの相当にひねくれたラブレターです。 まあ他人宛のラブレターを読まされたこっちもたまりませんから、結局星は2つにしましたが。 | ||||
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