無用の隠密 未刊行初期短篇
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まだ無名の若い頃の作品群であるが、どの作品も藤沢氏らしい良さが光っている。 | ||||
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・「未刊行」となると、例え「大家」と云われる人の作品でも、一般購読としては、手を出し辛い。 藤沢周平氏の作品は40年来愛読。2度3度と味わいを重ねたものも多いが、この本は未だしで来た。 偶々地域の図書館で見掛けて、試しに借り受けて読んだところ、『意外にも』の感を強く持った。 掲載は何れも、40頁弱の15篇、直木賞受賞10年程前の、昭和37~9年発表で、「後年の無理なくしかも意外性に富んだストーリーの起伏に比べると、話の運びに安易なあるいは不自然な部分が多少ある」作品も無くはないが、「才能の片鱗を窺わせるに十分」なものも多く、「書き直して後年もう一度発表したと考えられるもの」を含め、「後年さらに円熟を加える勁さ巧みさ優しさ清冽さと、わずかな稚拙さを見てとることが出来るのはやはり嬉しい」(何れも「解説;阿部達二氏」)に、全く同感。楽しみが一つ増えた思いがしている。 | ||||
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「合わない、合わないな」と言いながら、藤沢周平をまたまた読んでしまった。どうも相性があまりよくないので、はたして彼の作家としての出発点はどんな作品だったのかという思いから、今回は著者死後の2000年代に再発見された、「未刊行初期短篇」を読んでみた。高橋書店という余り聞いたことのない出版社から出されていた雑誌に、1962年から1964年にかけて発表された15の短編だ。今回はそのうち14編を読んでみた。なお「無用の隠密」はその中の一編のタイトル。 よく処女作にはその後の展開が萌芽のかたちで凝縮されているといわれるが、彼のその後の作品はあまり読んでいないので、いわゆる彼の到達点からさかのぼってbackward interpretationをする知識も資格も僕にはない。藤沢の全作品に詳しい読者にとっては、藤沢の「型」の様々な萌芽をここに見出すことが出来るのだろう。 ただいくつかの特徴を確認することが出来た。 時代順に読んでみたのだが、最初の隠れキリシタン物二編はどうもうまくできていない。登場人物も結構多く、筋を追うのもなかなか厄介で、何度も前後を行き来してやっとそのストーリーラインをたどるほどだ。16世紀の戦国時代の庄内をめぐる武将者二編もどうもわかりにくい。スペースの限界なのか、もしくはこの地域の勢力争いそのものの複雑さだろうか、事実そのもがあまりわかりやすく整理されておらず、描かれた人物とどうもうまく交錯しないのだ。思いに作家の力量が追い付いていないのだろう、 ただこのわずか2年という短期間の間にも、著者の力量は着実に進歩を遂げていることには疑いはない。この期間の後期に発表された隠密物ともいうべき、「上意討ち」や「無用の隠密」になると、短いスペースの中で、話の起承転結と「隠密」(この時代は「隠密剣士」というテレビ番組がヒットしていた)というモティーフがうまくはまり、最後の余韻といい、「藤沢節」といっていいそれなりの型をものにし始めているのだ。「浮世絵師」もなかなかうまくまとめられている。 全部とは言えないにしても、ここに明らかなのは、故郷庄内への深い愛着だろうか。庄内藩という越後と山形に挟まれたこの地域の歴史に題材を取った作品が何本もあるのだ。それも扱われた時代は戦国時代から江戸時代までだ。登場する人物も藩の上層部、豪族・武将から隠れキリシタン、市井の木地師や人形作りの職人までと幅広い。また風景の描写も非常に細かい。 | ||||
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藤沢周平が『オール讀物』新人賞を獲得するおよそ9年前、無名の中間小説誌に書いていた短編15編が発掘された。藤沢周平の真のデビュー作だろう。びっくりするのは、一作毎に明らかに上手くなっていくのである。 それで、あえて最初の連作二編について詳しく感想を述べる。藤沢周平にしては拙いその作品に、後世の時代小説を塗り替えた作家の原石が見えるからである。 「暗闇風の陣」(S37.11)と「如月伊十郎」(S38.3)。隠れ切支丹の事件に臨む公儀隠密如月の活躍を描く。この題名の付け方は、きっと黒澤明「用心棒(S36)」「椿三十郎(S37)」に影響を受けていると推察する。内容もテーマも全く違うが、飄々とした如月のキャラはどことなく黒澤明の浪人キャラと被る。藤沢周平が切支丹ものを描いたのはこの時だけだった。また隠密や不良剣士、忍者が暗躍する世界は、当時の流行りではあるが、我々の知っている藤沢周平ではない。藤沢周平は読者の喜ぶエンタメから始めたのである。ストーリーは、粗さが目立ち成功しているとは思えない。唯一活き活きと描けたのは、元結いの亭主、実は泥棒の新吉という庶民だった。また、時々見せる透明度溢れる情景描写に、原石を私は見た。 その後、「霧の壁」のようにムショ帰りの使用人がお嬢さんを助けて去って行く高倉健映画のような構造の小説もあるにはあるし、読者を意識してほとんどの短編に濡れ場を用意してはいるが、総じて男女の哀歓を詩情豊かに描く藤沢周平の世界を、特に15編の終わりの頃には確立してしまう。 忘れてはならないのは、これらが描かれた時期と並行して、長女展子さんの誕生、妻悦子さんのガンの発覚、手術、再発、死亡という人生の激動が起きていることである。子供をあやしながら描き、病室で描き、締切に追われて安易な結末を描きながらも、悦子さんが「小説掲載を喜んでいた」ことを励みに、藤沢周平はいっとき生き甲斐を見出していたのかもしれない。 最初の十五編で、藤沢周平はここまでの高みに登った。私には、ほとんど奇跡のように思える。 2019年6月14日読了 | ||||
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藤沢周平の小説は、どれを読んでも大変興味深く、また面白い。既にほとんどの文庫本を、購入しました。 | ||||
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