フランツ・シュテルンバルトの遍歴
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ドイツ「ロマン主義」を代表する小説家の一人であるルートヴィヒ・ティーク(1773~1853)による「芸術家小説」。巨匠アルブレヒト・デューラー(1471~1528 深い精神性と写実表現を併せ持った作品を描き、ドイツ・ルネサンス絵画の完成者と称される)の「若き弟子」フランツ・シュテルンバルト(ティークによる創作上の人物)が、「(デューラーの工房のある)ニュルンベルクを発ち、異国で知識を深め、いずれ遍歴の苦難の末に一人前の親方(弟子をとる資格が認められた画家)」となることを目指して旅に出る物語である。「ドイツの古い物語」という副題が示す通り、本作はルネサンス期を舞台にした歴史小説というのではなく(著者が「まえがき」で「この小著を国史のように扱わないでほしい」と述べているように、本作では実在の画家の生没年の正確さやルネサンス期での社会事象などは、ほとんど問題にならない)、幻想的な魅力に満ちた物語になっている。 シュテルンバルトは、第一部でドイツ・オランダ・ベルギーを巡り、第二部で「女伯爵」のいる山の中にある城館を訪れてからイタリアへ到着する。 師匠であるデューラーと別れ、故郷の村に立ち寄ったシュテルンバルトは、森の中を歩く。そして自分が「六歳の子供だったころ」に、見ず知らずの「金髪の愛らしい女の子(マリー)」と森の中で出会い、女の子に花束を差し出したことを突然思い出し、「こんなに長く忘れてしまっていたことが分かると」涙にくれる。その後、理想的な美しさに育ったマリーと教会で再会するが、マリーはまたすぐに去って行ってしまう。しかし、シュテルンバルトの中で芸術の理想像とマリーの姿が結びつき、芸術の探究とマリーの探索を巡り物語は(恋と冒険と神秘の)中世騎士物語のような魅惑的な幻想の色合いを帯び始めるのである。 シュテルンバルトは様々な芸術家や評論家たちと芸術について語り合うが、本作では絵画技術についてはほとんど触れられず、“美や芸術を正しく判断すること”が主なテーマになっている。 本作によると、美や芸術の正しい判断のためには、①感性(=自然や人間の美を鋭敏に感じ取る感受性の強さ)、と②知性(=洞察力)、の二つが必要である。①については、人間の美について感じるにしても「下卑た官能」に堕してはならず、②については、「偏狭さ」を避けるべきである。そして、本作では①と②を統合するのが、③宗教(=基本的にはキリスト教だが、本作では“自然を通して神が啓示する“神聖なもの”を、優れた知性感性で察知できるのが芸術家なのである”という独自の神秘的な思想になっている)、なのである。 例えば、詩人のフロレスタンや画家のルーカス・ファン・ライデン(実在の人物でオランダの画家。デューラーの影響を強く受けた画風であり、自然の細部描写などが特徴的)や芸術評論家のカステラーニらは、それぞれが優れた資質を持っている。しかし、フロレスタンは①の部分で時おり「官能」や気分に流れて作品が適当になることがあり(そもそも本人が作品の完成にこだわっていないのだが)、ルーカスは②の部分で“自分の手の届く範囲の表現にとどめておくべきだ”とする「偏狭」なところがあり、カステラーニは②の部分で芸術を神聖視するあまり芸術家の作品を素直に評価できない「偏狭さ」に陥ってしまっている、というように、それぞれに短所がある。本作で①と②が素晴らしく、③の領域に達していると見られているのが、デューラーとラファエロとミケランジェロの三人である。デューラーについてはドイツ的な敬虔さと精神性の高さが評価されているが、本作で宗教的な高揚感で作品の評価が語られているのがラファエロ(神聖なまでの精神性と優美さ)とミケランジェロ(神聖なまでの精神性と強烈さ)である。 これらの芸術的な見解の他に、本作で対立した見解を示しているのは、都市の実業家や農村の人々の示す物質主義と有用性の原理である。彼らが、生活の必要物資を生産しない画家たちに対して不信の目を向けていることに、シュテルンバルトは改めて意識をするようになる。 本作では、芸術と正業(少なくとも生業に励む実業家や農民たちは、自分たちは芸術家よりも“まともな仕事”に就いていると思っている)・知性と感性・聖と性・北方ヨーロッパ(純朴・重苦しさ)と南方ヨーロッパ(洗練・軽薄)などの相異なる世界観の衝突がドラマ化されている。本作において芸術を会得することは、“神聖なもの”を察知する能力を磨くという幾分神秘的な領域に達することであった。自然や人間の美に対する洞察と想像力は感覚の領域を拡大し、限りなく奥の深い世界へと変じる。そして物語はファンタジックな雰囲気を帯びてくる。旅で紆余曲折の経験を経ながら、シュテルンバルトは言う。「いまやっと、どれだけ幸運なのか痛感した!僕の人生は、金糸のように次々と紡がれていくんだ。だって僕は旅をしていられて、僕のことを気にかけ愛してくれる友人がいて、僕を思いがけないかたちで前進させてくれる芸術があるんだから」 本書は「初版(1798年)全訳」であるが、ティークが1843年に刊行した「第二版」の「改稿」部分も「訳注」に載せられている。それに「訳者解説」でティークがドイツ文学史上でどのように評価されているのかもよく説明されている。小説が面白いだけでなく解説が丁寧な良書なので、興味を惹かれた方はぜひご一読を。 | ||||
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